亀田報道と格差
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.11
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
ボクシングの亀田一家が不作法な試合をして、連日、テレビに叩かれまくりました。すごい叩き方。「謝れ」、「いや、謝った」、「でも、あれじゃ謝ったことにならない」とか。とりあえず謝りゃ、それで済むのか?とも思ったけど。 ボクシングの本質からかけ離れたいじめに近い状況だけど、まあ、仕方ない。そもそも基本的に、僕にはそんなことどうでもいい。ホントに、どうでもいいことばっかり報道されるのは面白くないな。むしろ、そっちのほうが気になった。なんで、あんなことをごちゃごちゃ言うのだろう?
ちょっと、なんか違うんだよなあ、なんなんだろう?と考えた。
数年前だったらそういう騒ぎにすっと入っていけたけど、今は確実に違う。多摩川のアザラシのタマちゃんが川崎市に住民登録されていたころは、タマちゃんが出る生中継を喜んで見ていた。亀田の話も自分にとってはそんな距離感であるはずなんだけど、なんというか、今は自分のことで精一杯で、そういうのはやっぱりどうでもいい。
最近、感じるのは、世の中が確実に変化しているということです。格差、格差と言われて久しいけど、その「格差」が顕在化し始めているんじゃないかと感じます。
きっと、産業の構造や経済やインターネットや携帯などの通信技術の変化で会社や人間関係の構造に変化があるのでは?と思います。以前の、失敗しても優しかった、ぼんやりとした環境が消え、ドライに人に監視されていて、いつも批評されているような感覚が強まっている。
「みんなそんなモンだから大丈夫だ」――みたいな感じがなくなってきていて、曖昧なことが少ない。曖昧なことをやってるとひどく叩かれるし、社会的な信用が一気になくなっちゃって、回復するのが難しい。
社会保険庁も赤福も白い恋人も、みんなすごい目にあってる。一気に世の中の膿が吹き出ている気がして気持ちいいのだけど、実は、それを見ている僕たち、世の中のみんなも平均台の上を歩かされている感じ。
そんな世の中で自分が平気でいられるようにするのに精一杯で、アホな報道にいちいち腹をたてて燃えるほど、暇じゃないということなのかもね。
格差社会の、下のほうに入ってしまうと、生きていくのがつまらなかったり、難しかったりする。そういう危機感があるから、がんばって僕しかできないことを身につけて生きなきゃなあと思うし、社会的な信用をなくさないように常に気を遣う。僕は、むしろそれくらいのほうが、緊張感があってすがすがしいのだけど。
だけど、世の中全体は、そういう風潮にすでに疲れているのかもしれないな。だから、どうでもいいささいなことを生け贄にして、みんなそんなモンだっていう感覚を呼び戻そうとしている。そんな風にも受け取れます。格差を受け入れるのはけっこう辛いことなので。
僕は、どっちかっていうと亀田の父親が嫌いじゃありません。インディペンデントな姿勢で旧態依然としたシステムをぶっ壊して、息子を世界チャンピオンに育てたのは事実です。 今までもいろんなところから圧力がかかり、批判され、バッシングされながらここまで昇り詰めてきたんでしょう。既に傷だらけですよ。だから、あの態度やもの言いは、自分や息子たちを守るための武器です。葛飾区にジムを構えたのは「勝つしかない」からだそうです。反則したって勝とうとする態度は、村社会を否定した自己肯定への執念ですね。反則はある意味技術だと思うけど、やり方を間違った。ちょっとだけ思慮が浅いところも災いしましたね。
ただ、格差社会的な考え方で言うと、独自のアイディアと作戦で息子を世界チャンプにしたのだから、あの一家は勝ち組。小さな独立ファンドの若い奴が大きな銀行のおっさんより社会的ステータスを得られるのと同じ。組織より個人の力量が問われている。つまり、亀田の親父と子供たちは、変化し始めた社会に順応した、ある種新しい人種だとも言えるのではないでしょうか。
その予想外に出現した新種の勝ち組に驚異を感じた保守的な人たちが、彼らをバッシングしまくっているようにも見えるけれど。それはそれで、誰が本当に強い奴か――時代の流れがジャッジをくだすでしょう。それに任せたい。俺は知らん。
問題の本質は、国のでっかいテレビ局や新聞社、出版社が何を考えているかです。シリアスな事実を見せちゃうと愛想をつかされるし、「みんな思うことはあんまり変わらない」という意識を大声でうたったほうが金になると踏んで、そんな共同意識をキープしようといつも誰かを悪役に仕立て、どうでもいいささいなことを大騒ぎする。見てる側もそれを鵜呑みにして、一緒にバッシングして、不安な毎日のストレスを少しでも解消しようと思っている。「人間として許せない」とかブログに書いちゃって、ちょっとスッキリ。
でも、それより別に考えるべきこと、やるべきことが山ほどある。
僕は、格差社会が必ずしもいいと思っている訳ではないです。でも、事実、資本主義社会はかならず敗者を生みます。しかも、勝者と敗者の間が今までよりも断然開きやすくなってきているから、がんばらないと、もらえるものが極端に減る――それに気づいている人があまりに少ないことには、危機感を感じます。誰かはっきり言えよと思う。「痛みを伴う改革」とか言っちゃって、ごまかすなよ。
勝てば天国、負ければ地獄というボクシングの世界のような社会になりつつある今です。亀父は漠然とそれがわかっているんじゃないか?身を呈して教えてくれたような気がするんです。 成功のプロセスも、失敗のイメージも。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。