「取り直しの哲学的検証」
「ただいまの協議についてご説明申しあげます。行司軍配は東方力士(ひがしかたりきし)にあがりましたが、同体ではないかと物言いがつき協議の結果、同体とみて取り直しといたします(大歓声)」。大相撲を観戦しているとときどき見かける物言いの光景。千秋楽までもつれにもつれた令和4年5月場所も毎日何番かは物言いのつく相撲が目立ちました。そしてビデオ判定が導入されている令和のこの時代にも関わらず相撲の世界ではよく同体取り直しということが行われます。しかし僕たち日本人はこの判断が決して嫌いではないのです。特に今場所5日目の宇良対若元春の一番、宇良がうっちゃりで物言いがついたときにテレビ解説の北の富士さんが「二度も楽しい宇良の相撲が見られてお客さんも私も満足」とほんとに嬉しそうに本音で話しておられました。
これって、西洋の人たちにどう話せばわかるのでしょうか(松鶴家千とせ的には「わかんねェだろうナ~」ですね古ッ)。いまや多くのスポーツで取り入れられているビデオ判定。たとえば野球のアウトセーフやサッカーの反則かどうかを確かめるVAR判定のときに、微妙なのでもう一度やり直しというのはありえません。おそらく中途なものを好まないのだと思います。白黒ハッキリさせないと気が済まないのでしょう。その点、日本人は曖昧でぼんやりした判断をヨシとすることが度々あります。昔からこのイエスかノーかをはっきり言わない国民性は諸外国から皮肉の対象や場合によっては非難の的でした。コロナ禍でも日本人の優柔不断を扱ったジョークを目にしました。テーマはマスク政策。各国政府が国民にマスクの使用を促した。アメリカ政府の発表「マスクをすればあなたは英雄です」、イギリス政府の発表「マスクをするのが紳士淑女です」、ドイツ政府の発表「マスクをするのがルールです」、イタリア政府の発表「マスクをすると異性にモテます」、日本政府の発表「みんなマスクしていますよ」。これは有名なタイタニックジョークの応用型ですが言い得て妙です。
おっと、話の方向が違ってきたので戻しますが、またしても野球で例えるという前時代新橋オヤジ的で申し訳ない。それでもあえて野球で言うと、アメリカのメジャーリーグには引き分けという考え方はありません。同点のままであれば何回になろうが終電がなくなろうが構うことなく決着がつくまで試合は続きます。一方日本の野球には引き分けがあります。毎年のようにルールが変わってややこしいですが、令和4年5月現在、プロ野球は延長12回生で同点の場合は引き分け、硬式高校野球は延長15回生で同点の場合は引き分け再試合です。そうです。日本は白星黒星ともう一つ違う星があるのです。
さらに説明が難しくなります。もうこの先は翻訳で意図を伝えるのは至難の業だと思います。さっき言った白星黒星と違うもう一つの星の色は決してグレーではないのです。日本人はグレーはそんなに好みません。パンダも白黒折衷だからかわいいのです。これは断言できますがパンダがもしグレーの一色だったら今の人気はなかったはずです。要は僕たちは白も好き、でも黒も好きなのです!今川焼きは黒餡もおいしいし白餡もおいしい。これも断言しますが黒餡と白餡を混ぜるのもダメです!そういえばこの春、パンダの抽選に当たって久々に上野動物園に行きましたが1分間の観覧時間ずっと母パンダは背を向けたままでした(※写真)。それでも許せてしまえるからパンダにはかなわないよなぁ。
さて、もうすぐまた夏の甲子園を目指して高校野球の季節が始まります。1915年から100年以上もの歴史のある大会ですが、数ある名試合名勝負と言われる対戦の中でも必ず取り上げられ後世にも語り継がれる2試合があります。1969年の松山商業対三沢高校の決勝戦と2006年の駒大苫小牧対早稲田実業の決勝戦。1969年の試合は延長18回0対0、2006年の試合は延長15回1対1でいずれも引き分け再試合。どちらも「コーちゃんフィーバー」「ハンカチ王子」という流行語や社会現象が起きました。高校野球の予選を見に行くと必ずのように観客席から「どっちも負けるな~」という声援が飛びなぜかスタンドがどよめいたりします。どっちも勝てではなくどっちも負けるなの気持ち。僕たちの中には引き分けや物言い取り直しを愛するDNAが入っているのかもしれませんね。ま、とはいえアマチュアの大会等は引き分けだとジャンケンで決めたりするのも日本人のフシギな一面。それまでの名勝負の台無し感がハンパないです。因みにジャンケンの良さはあいこがあるところです笑。
ところで、なぞなぞで「引き分けの好きな国はどこの国?」の答えはまたの機会に。