「知りたくないの」
いつの頃からか、わからないことがすぐに調べられるようになってそれはとても便利でよいことなのですが、ひどく味気なくつまらない世の中になった気がするのです。何を言っているのかわかりにくいですかね。具体例で言います。
仕事の打ち合わせが築地で終わって(この頃ようやく対面が戻ってきました)その後の移動先が神楽坂だったとき、僕がポロッと「どうやって行くのがいいかな?」と口に出したら、そのとき一緒にいた気の置けない仲間たちから「とりあえず銀座で銀座線に乗り換えて日本橋で東西線に乗り換えて神楽坂ってのが早いんじゃないかな」「築地市場まで出て大江戸線で牛込神楽坂という手もありますよ」「新富町から有楽町線で飯田橋で降りてちょっと歩くけど天気いいし神楽坂まで歩くのも悪くないッスよねー」「時間あるならいっそ得意の赤い自転車(※写真①)で行くなんてどーですか」と色んなアイデアが出て久々に楽しい会話。
すると横から一番若いPM(プロダクションマネージャー)のイケメン24才がスマホを見ながら「日比谷線で茅場町で東西線に乗り換えて神楽坂まで19分です。日比谷線は前方車両に乗っておくと茅場町での乗り換えがスムーズです」と非の打ちどころのない模範解答をくれました。
はい。きっとその通りです。ありがとう。
とても助かります。でもなぁ~、談笑はそこでモヤモヤっと終了。本来ならこのあと飯田橋から神楽坂に行く途中にあるうまい蕎麦屋さんのこととか、ギンレイホールのクラウドファンディングのこととかを「あーだこーだ」と話したと思うのですがここでおしまい。菅原洋一の歌(ほんとに古くってスミマセン!)じゃないけど「知りたくないの」ということが最近よくあります。(※)
という僕もふだんはすぐにネットで何でも調べますし、後輩にも調べてわかる過去のことならグズグズ考えるよりもサクッと検索することを勧めます。要はそこで簡単に手に入れたものをどのようにアウトプットするかだと思うからです。思えば遠くへ来たもんだ(これも古いな苦笑)です。(※)
あれは1991年か92年頃。僕は乃木坂にあった仲畑広告制作所でコピーの修行をやっていました。まだスマホどころか携帯もネットも普及前。ググったりタグったりすることのない時代、僕はよく大宅壮一文庫に通いました。大宅壮一文庫は日本初にして最大の雑誌図書館。一般の図書館とはずいぶん違うルールがあります。入館料が必要です。そして図書館なのに本のある場所に自分で直接入ることはできないのです。膨大な索引データ(当時はカードだったと思う)をもとにいつのどの雑誌が見たいのかを係員に伝えて書架から持ってきてもらい、コピーをするときも自分ではできず専門の係員にお願いするというやり方。そして一度に見ることのできる本の数も決まっていました。おそらく貴重な本(雑誌)の保存や著作権保護の観点や私立という色々な事情があってのことでしょうが、ひとことで言うと使い勝手がよくない。それでも情報を求めて沢山の人が来館していましたし、係の方たちがとても詳しくて熱心で親切だったので僕は足繁く通いました。
うん!?日本いや世界中どこにいても何でも調べられる今、あの図書館は大丈夫だろうかと思ってそれこそすぐに調べると去年50周年を迎え、今日もオープンしています。元気なようです。これはもう行くしかありません。京王線八幡山駅(※写真②)で30年ぶりの下車。
駅前は驚くほど変わっていません。徒歩約7分。地図に頼ることもなく図書館に到着(※写真③)。
パッと見た目はあの頃のままです。玄関で消毒をして入ります。入館料500円。1階の検索スペースにはズラリとパソコンが並びそこは当時と変わりました。膨大な量の雑誌記事がデータ索引化されています。その機能を使ってどの雑誌のどの記事を見たいかを調べます。なるほど進化しています。しかしそこから先は昔のやり方。見たい雑誌を紙に記入して提出。2階に移動してその雑誌が運ばれるのを待って閲覧。コピーをしたいページにしおりを挟んで提出すると係の人が1枚85円(カラーだと145円)で複写してくれます。このシステムは変わっていません。デロリアンに乗って30年前に戻ったみたい。僕の行った時間(平日の夕方)は利用者よりも係の人数の方が多かったです。ここまで来なくても調べられますもんね。知りたいことを知るまでの紆余曲折や見つけたときの喜びはもう必要ないのかなぁ。いやいや、違うと言いたいです。今回僕は1984年の週刊文春(※写真④)の記事を読んで楽しみましたが、データで見るのではなく現物を手に取って指でページをめくる快感はネット検索ではムリと日記にはつけておこう(古ッというかもはや死語)と思います。
話は変わりますが、1999年にファッションビルのCM撮影でアラスカの最北端にあるイヌイットの村に行きました。氷点下20度の雪と氷の世界。カメラがときどき寒さで回らなくなります。無事に撮影(※写真⑤)が終了した後にイヌイットのみなさんのお宅に呼ばれおもてなしを受けました。
そこで僕が受けたのは寒さ以上のショック。家自体は石造りのドーム型で想像通りでしたが、家の中は完璧な暖房設備どころか家電も家財道具も日本と変わりません。僕の部屋よりハイテクです。子どもたちはプレイステーションで遊んでいました。文化保護のため国からの援助も手厚くて夏には家族でハワイに行く話をされました。いや~、知りたくなかったです。
さて話はまた変わりますが、僕は同じベッドでもう25年以上寝ています。人生のかなりの時間を過ごす大切な場所なので若い頃になけなしのお金をはたいてエイヤッと買ったフランスベッド。名前の響きがたまりません。流石フランスベッド。丈夫で長持ち!と何気なくネットで引いてみたら(あれ?辞書を引くみたいなつもりで「ネットで引く」と書いたけど間違っていそうだな)愕然としました。フランスベッドって、日本製なんですね!!あ~~知りたくなかったです。しばらくショックで寝込みそうです。ところで、強炭酸水のウィルキンソンも外国産だとばかり思っていた話はまたの機会に。
※「知りたくないの」作詞(英語版)ハワード・バーンズ、(日本語版)なかにし礼、作曲ドン・ロバートソン
※「思えば遠くへ来たもんだ」武田鉄矢(海援隊)
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