人生を一週間にたとえると
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.64
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
たまに酔っぱらったりして、面倒くさいおじさんに豹変したときに若者、特に20代の男の子にする話があります。
自分が若い頃に誰かから聞いた話をきっかけに、自分で何年もかけて練ったくだらない話なんですけど、自分の生きる指針にしてきた話でもあります。どんな話か? 「人生を一週間に例えると」という話です。 この話には事実としての前提があります。
まず、 「時間のすぎる感覚は年を取るにつれて加速度的に早くなる。」 という事です。
人生の中で一年という単位を最初に意識するのは6歳の時だそうです。小学校一年生。一学期があり、夏休みがあり、二学期があり、冬休み、三学期が終わると春休みがあって、桜が咲いて、次に登校したら二年生。ああ、一年がすぎたのか。そう思う最初の体験。 一年の長さの感じ方なんて、自分の中での比率の問題です。6歳の一年は人生の1/6の大きさです。そして、僕は43歳だから、一年は1/43。はじめて一年を意識した6歳の頃から比べると、一年は1/7のサイズになっている。つまり7倍のスピードで時間が過ぎて行く事になります。今の一週間の感覚はあの頃の一日分くらいの長さにしかならないということです。どおりで一週間が早い訳だ。
次に、 「人間は、これをやる、と決断して、死にものぐるいになってその事をやって10年以上やらないと社会には一人前とは認めてもらえない。」 ということです。
例えば、自分で5000万円のお金を工面して、誰かに家を建ててもらうとする。そんな大事な仕事、やり始めて5年や7年の人には頼めません。少なくとも10年以上やっていないと怖いです。逃げないことや、その経験と洗練、人脈みたいな事もその人の後ろに見ちゃうからでしょう。
スポーツ選手でも、プロ1年目だって、たいていの選手は小学校くらいから練習をはじめて、プロ入りするまでに実は10年以上の研ぎすまされた時間があるはずなのです。だから10年。だからどんな仕事をしたって、その後長続きする人材の修行期間は10年以上だと思うのです。自分の想像を超えた提案を求めるからです。
最後に、 「人間の人生のピークなんか、よくて10年くらいしかもたない。」 という事です。
10年まじめに修行して、社会的な信用もできて、名前も売れ始め、ちょっとしたスターになって人気が出たとしてもそのピークが10年保てればいいほうです。新しい才能は次から次に生まれてくるし、仕事を発注する側もどんどん世代交代をして行きます。あるラインを超えたスーパースターにならないと、自分より年上の人から仕事を受注するのは難しいです。という不文律を考えて行くと、いろんな仕事を見ていても人間が一番力を発揮できるのは経験と体力のバランスのいい時期がせいぜい10年程度だと言えます。
そういう事を前提に、 10年を1日として、無理矢理人生を一週間に例える わけです。週休2日、土日は休みにして。
まあ、1日の1/3は睡眠時間ですから、10年のうち3年は寝ている事になりますね。意識のあるのは7年くらいです。まあそれはおいておいて。
大学を出たばっかりで、新卒で会社に入ってくる奴らは、やっとこれから自分の人生を始めるところだ。と思っているんでしょうけど、既に月曜日も火曜日も終わっていて、人生の水曜日に突入しています。加えてちょっと早いけど土曜日と日曜日は休みです。休み。
ということは、大学をでたばかりの若者に残された時間は、水、木、金の3日間です。え?今はじまったばかりだと思っていたのにそんだけしかないの?というのが会社で若者にこの話をしたときのリアクションでもあります。 そう、そんだけしかないの。
だけど、水曜日いっぱい努力して修行して、木曜日に花が咲き、その花を枯らさないように金曜日を過ごすと幸せな週末がまっている。というとても都合のいい計算になっていきます。
ただ、僕の前提をもとにすると、月曜日と金曜日では時間のすぎるスピードが体感的に何倍も違ってくるということも注意しなければいけないのです。当然体力も無くなってくる。勝負をかけるならなるべく若いときがいいに決まっています。
こんなくだらない事をいちいち考えて、それで何が言いたいかというと、 「今、あなたは人生の何曜日か?」 「自分のピークは何曜日に設定しているか?」 ということを考えて生活してるかを問うているのです。
矢沢永吉は自分の映画の中で自分の半生を振り返り「人間は35~45歳が一番力を発揮する」と言い切りました。個人単位での力の発揮の仕方としては真実だと思います。経験、人脈、体力のバランスのとれた時期なのでしょう。この話からすると木曜日の後半と金曜日の前半ということです。
大体、誰しもがその辺りにピークを設定して、逆算して、その前の10年間はがむしゃらに走る。人に会う。海外に行く。成功と失敗のナレッジをためる。自分が疑問に思う事を絶妙な質問に変えて人に聞く。そして他人に売るための自分の技術を高く売れるように磨く。という時期が必要になってくるんだと思います。
暴論ですけどね、僕が作った。2浪している頃に思いついたんだと思います。2年の遅れも、この理論でなら、吸収して挽回できると。コンプレックスと、焦りの中から生まれた理論。大手を振って道を歩きたかったらちゃんと税金をおさめる大人になる。税金を払って警察に捕まらなかったら何やったっていいんだから。そういうくだらない考えもあったんだと思います。
だから、僕はこの理論にそった計画で生きています。大していい事は起きてない様な気もしますが。ただ、なんとなく、のんべんだらりと生きていた頃にくらべて、この理論にそった事で、人生にやる気が出たのは確かです。目標のための修行だと思ったら、些末な事に腹を立てず我慢できる事も多くなった。
若い頃にはわかりませんでしたが、(まだ若いとは思っていますが)20歳から40歳なんて、実感として、あっという間でした。それなら40歳から60歳なんてもっとあっという間だという事が容易に想像できます。一年が、とにかくあっという間にすぎて行きます。大人になると、やらなきゃいけないことも、社会的な責任もどんどん増えて行くからです。いい事も嫌な事も。そのうちのぽっくり逝っちゃうでしょう。それが人生だとしたら、人生なんてあっという間だということです。
あっという間の人生だったとしても、勝負所を決めておいて、そこでちゃんと勝負してみたかどうかが重要で、たとえそれが勝っていても負けていても満足できるんじゃないかと思うのです。
何のために生きてるのか?なんて考えたって、どうせ明確な答えなんかないんだから、じゃあ、せっかく生きてるんだったら何するか?という考え方にシフトするのは当然だと思うのです。やれることよりやりたい事をやった方がいい。簡単にできる事は誰にだってできるんだから、簡単にできない事で面白そうな事を時間をかけてやる。その方が楽しい。そのためのタイムテーブルを作った方がいいのです。そうやってるとチャンスも増えるだろう。 「計画通りに行かないから人生」だとしたらそれすら楽しんでしまえばいいと思うのです。予測と修正。 自分の事だから自分しか考えてくれません。だから考える。 世の中のせいにしたり他人のせいにしたりできないわけですから。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~
- 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
- 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
- 2000年にプロデューサーに昇格。
- 2009年 社名がリフトに変更。
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。
<主なプロデュース作品>
- AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
- 日清食品 焼きそばU.F.O
- マルコメ 料亭の味
- リーブ21 企業CM
- コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
- クレイジーケンバンドPV