正しい演技、間違った感情・・・、ほんとに、正しい選択を見抜くそんな職人になれるのだろうか。
高校を卒業して、しなければならないこと、行かなければならない場所がなくなった時、ボクはやっと「自由」を手に入れた気分だった。『イージー・ライダー』(70年)で焚火を囲む放浪者たちの会話で知った、その「フリーダム」だ。誰にも邪魔されずにやりたいことをやる権利という意味合いだ。法の下の「リバティー」、つまり、制限をあまり受けずに自分の生き方ができる、そんな自由以上の感覚だった。見たい映画を片っ端から見て、映画に身も心も捧げて生きていこうと誓ったのだった。
卒業後の春、真っ先に見たのは、アメリカ開拓史の恥部を暴いたと噂になっていた『ソルジャー・ブルー』(71年)という、騎兵隊とインディアンの残酷な歴史モノだった。封切りで見逃していたが、大阪の場末にある名画館にかかっていると知って、わざわざ行って観たのだ。この、わざわざ出向くことが、映画の持つ意味だった。映画館のない街に用がなかった。駅裏にピンク映画のポスターとパチンコ屋のネオンサインがない街に文明はあっても文化は無い、コカ・コ―ラのデカい看板は文化じゃないと、フォークシンガーの三上寛が深夜ラジオで喋っていたが、ボクには映画館のない街は息苦しかった。当時、映画評論家の松田政男が、日本中の都市が均一化されていくことを「風景の死滅」という自著で書いていて、ませた高校生はそれを読んでいたからかも知れない。
見たい映画がかかっていれば、何処の街へでも行って、見たら他に何もせずに帰るのが日課になっていた。当時は、上映途中から入場しようが何回見ていようが、日本中、まったく自由だった。一回見ても物語に納得できない時は、売店でジャムパンとカレーパンとコーヒー牛乳を買って、もう一度見て、それでハタとその台詞の意味が呑みこめたら嬉しくて、またもう一回、初めから見直したりと。それが映画館で生きる意味だった。
『ソルジャー・ブルー』は、アメリカのテレビ映画の勇敢な騎兵隊しか知らない18歳の少年には衝撃だった。西部史の汚点といわれる“サンドクリークの大虐殺”の実話を元にしたと雑誌で読んでいたが、19世紀中期、シャイアン族と暮らしていた白人女性が騎兵隊の先住民たちへの蛮行を目の当たりにする話には絶句した。西部開拓史モノは騎兵隊が「善」でインディアンが「悪党」と決まっていたが、それを初めてぶち壊したからだ。先住民と開拓者、騎兵隊の衝突の歴史劇はもっと描かれていいのにと思った。主人公の女優キャンディス・バーゲンが光っていた。自由に生きるには勇気がいるのだと教えられた。そして、悲劇を迎えるシャイアン族。女たちを犯し、子供を殺す騎兵隊。過去のテレビの騎兵隊は何だったんだと頭が混乱した。アメリカ本国では観客はもっと混乱しただろうなと想像した。まだベトナム戦争は続いていたし、その2年前に、米軍によるソンミ村の虐殺事件が発覚して世界を騒がしていたので、その戦争犯罪とも重ねて描いたんだなと思った。
翌年、『ダーティハリー』(72年)のドン・シーゲル監督を知ることになる。とりわけ、無名の俳優が演じた元ベトナム帰還兵の殺人鬼“サソリ”に釘付けにされた。無表情な主人公のクリント・イーストウッドより、その悪党、アンドリュー・ロビンソンの狂いざまに心を奪われっぱなしだった。映画は、悪党を如何に描くかで決まるんだと実感できたのは、彼のお陰だった。じつは、シーゲル監督の『殺人者たち』(64年 ※)というならず者たちのアクションものは、中学生の頃に観たのだが、殺し屋2人が人を殺しておいてから、さて何の理由で殺したのか判らないので死んだ奴の過去を調べていく奇妙な話で、その時は、善人が一人も出てこないことに呆れるだけで食いつけなかったのだが。今になって見直してみると、人間の浅ましさ、卑しさ、性悪さが分かりやすく、後に大統領になる若き日のロナルド・レーガンも小悪党で出ている。勿論、演技は下手だが、作品は一見の価値ありだと思う。
ボクは、演技派のその新顔、アンドリュー・ロビンソンを追ってみようと思ったが、シーゲル監督の傑作、『突破口!』(74年)まで待たなければならなかった。彼はこれでもまた、コメディ派のベテラン、ウォルター・マッソー扮する銀行強盗の相棒役で、終いには、追ってきた殺し屋にすぐにやられてしまう身寄りもない哀れな役だった。殺人鬼“サソリ”役で映画界から一目を置かれたため、しばらく悪役のオファーばかり続いて困っていたそうだ。でも、その死に顔は誰にもマネできないぐらい、滑稽でリアルで不気味だった。
俳優の演技とは俳優本人にある感情や人格の一部を自分で選び出すことだが、その選択がその場面で正しいかどうか見抜くのは監督だ、と、ドン・シーゲルは何かのインタビューで語っていた。正しい演技、間違った感情か・・・、ほんとに、正しい選択を見抜くそんな職人になれるのだろうか。あの頃、洋画3本立ての小屋の中に一日中いることが、ボクの修業だった。
≪登場した作品一覧≫
『イージー・ライダー』(70年)
監督:デニス・ホッパー
製作:ピーター・フォンダ
製作総指揮:バート・シュナイダー
出演:ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン 他『ソルジャー・ブルー』(71年)
監督:ラルフ・ネルソン
脚色:ジョン・ゲイ
原作:セオドア・V・オルセン
出演:キャンディス・バーゲン、ピーター・ストラウス、ドナルド・プレザンス 他『ダーティハリー』(72年)
監督・製作:ドン・シーゲル
脚本:ディーン・リーズナー、ジョン・ミリアス、リタ・M・フィンク、ハリー・ジュリアン・フィンク
製作総指揮:ロバート・デイリー
出演:クリント・イーストウッド、レニ・サントーニ、アンドリュー・ロビンソン 他『殺人者たち』(64年 ※)
監督・製作:ドン・シーゲル
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
出演:アンジー・ディキンソン、リー・マービン、ジョン・カサベテス、ロナルド・レーガン 他『突破口!』(74年)
監督・製作:ドン・シーゲル
製作総指揮:ジェニングス・ラング
出演:ウォルター・マッソー、ジョー・ドン・ベイカー、フェリシア・ファー、アンドリュー・ロビンソン 他
出典:映画.comより引用
※()内は日本での映画公開年。
ただし、『殺人者たち』のみ製作年の表記としています。
※掲載の社名、商品名、サービス名ほか各種名称は、各社の商標または登録商標です。
●映画『無頼』
『無頼』はNetflixでも配信中、セルレンタルDVD も発売中。
■出身地 奈良県
奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している
■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw
■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp