勉強になる映画は、間違いなく、ボクの人生に役立っている・・・・。
1973年がくるのが殊更、待ち遠しかった。年が明ける前に、大阪の歓楽街・新世界にある洋画封切り館にかかっていた『バラキ』(72年)なんぞを、何か得るものがあるかも知れないと見納めに行ったのだが、全篇イタリア語に吹き替えられた主演のチャールズ・ブロンソンのお粗末な演技も鼻につき、仲間との血の掟を破って、イタリアンマフィアの実態を司法取引で全部バラしたバラキ本人の人生話の中身も、画面の作りもテンポもすべてがだらしなく、流石に、20歳の映画青年も途中で眠ってしまいそうで(事実、何度も居眠りしていたから今や記憶がおぼろげなのだが)、その年の夏に観て、しばらく座席から立てなかった『ゴッドファーザー』(72年)とは比べようもない駄作だった。映画に当たりとハズレがあるのは当たり前だが、ここまでひどいとは思わなかった。選んで観たのは自分だから後悔しても仕方ない。近くの東映館で封切られた如何にもマンネリ化してそうな高倉健の『昭和残侠伝 破れ傘』(72年)も今さら悔し紛れにハシゴをしてまで見る気はないし、ブロンソンの疲れた顔の後で、北島三郎の顔はしんどかった。かと言って、松竹の小屋にかかる正月映画『男はつらいよ』など、元から趣味ではなかった。旧態依然として新しさの欠片もなく勧善懲悪しかなく世界の潮流から取り残されたような邦画たちに、ボクは愛想をつかしていて、もう恐らく一生見ないだろう、邦画とはそろそろ決別だと考えていた。
ひたすら、ボクは、年明け1月13日土曜日、道頓堀東映の封切りオールナイト初日を待つしかなかった。それは、自分にとっての最後の邦画になるかも知れないプログラムピクチャーを見切ることだった。
いきなり、シネスコの画面一杯に広島の原爆のキノコ雲、そして、赤字で叩きつけるメインタイトル、『仁義なき戦い』(73年)に、あ然となったのは確かだ。続けて「昭和21年広島県呉市」と出て、ナレーションが始まった。「敗戦後すでに一年、戦争という大きな暴力こそ消え去ったが、秩序を失った国土には新しい暴力が渦巻き、人々がその無法に立ち向かうには、自らの力に頼る他はなかった」と。そして、焼け跡の闇市の中を悲鳴を上げて逃げてくる若い女の顏、追いかけてくる進駐軍の米兵たち、そこに復員兵姿のならず者たちの顏、顔、顏。この冒頭だけでもうボクは十分に参ってしまったのだ。後は、最後まで画面に釘付けだった。席に埋めた尻が痺れて立てなかったのも覚えている。それまでのヤクザ者を美化した任侠映画のスタイルを破り、実録小説を元に邦画の新しいリアリズムを発見したのだった。しかも、主人公が一人だけでなく何人もいて、その傍で名の知らない若いチンピラ役がいきいきと台詞を吠え叫び、銃弾を放ち、身体をもんどり打たせ、飛び回ったのだ。それは、未来が見えないまま社会の周縁で生きあぐねるボクみたいな20歳の無職者たちの代弁者だった。
こんな激しいテンポと熱い心情がほとばしる実録の青春映画が登場してくれたのでは、邦画を見限るわけにはいかないと思ったし、深作欣二という活動屋と笠原和夫という脚本家のニューシネマがこれ一本で終わろうと、あの劇場での熱気と昂奮は忘れることはないし、オレも撮ってやるぞと思った時だった。『ゴッドファーザー』に打ちのめされ、邦画はもう終わりだと思い、『仁義なき戦い』に煽られて、邦画はオレら若い者がその古臭い映画をぶっ壊し、新しく作り変えてやるんだと奮起したのだ。
この作品は今までヤクザ映画など毛嫌いしていた女たちや大学生にも影響して、まるで市民権を得たように連作され、早くも4月には『広島死闘篇』が封切られ、9月に『代理戦争』、翌年の正月は『頂上作戦』と続いた。ボクも熱病に冒されたように見続け、新しい邦画のための修士課程のようにスクリーンを前に目と耳で勉強した。
2月には『夕陽の群盗』(73年)というニュー西部劇もあった。南北戦争時、徴兵から逃げ延びた2人の若者があちこちで泥棒をしながら自由を求めて荒野をさまよう話で、撮影が『ゴッドファーザー』の名手、ゴードン・ウィリスだったので、リアルな光と影の画面作りを学んだ。
3月にはスティーブ・マックィーンがカッコいい銀行強盗に扮し、夫婦でメキシコに逃げ延びるニューシネマ、『ゲッタウェイ』(73年)でペキンパー監督流の暴力と愛に、世間の憂さを忘れた。『広島死闘篇』では高感度フィルムの粗い16ミリ画像の北大路欣也扮するチンピラに心を奪われ、秋には、アメリカ南部の田舎で、いがみ合う二つの家族が些細なことから殺し合いになる『ロリ・マドンナ戦争』(73年)なんて実録ニューシネマも観ている。名優ロッド・スタイガーやロバート・ライアンの存在感は味があったが、でも、『代理戦争』と『頂上作戦』で眉毛を落として出演した梅宮辰夫には敵わないと思った。梅宮さんとは終ぞ出逢えないままだったが…。
ボクも監督になり、深作さんと酒を酌み交わせるようになったある夜、本人に「2作目の死闘篇のオールナイトで舞台挨拶に立った“サクさん”を間近に見て、人生決めましたよ」と言うと、「そうか、それは悪いことしたなぁ」と笑っていた。
この年、米軍兵士は南ベトナムから退散したが、ボクは古臭い映画界と闘うぞと人生を決心させた年だった。
≪登場した作品詳細≫
『バラキ』(72年)
監督:テレンス・ヤング
脚本:スティーブン・ゲラー
原作:ピーター・マーズ
出演:チャールズ・ブロンソン、リノ・バンチュラ、ジル・アイアランド 他『ゴッドファーザー』(72年)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
製作:アルバート・S・ラディ
原作:マリオ・プーゾ
出演:マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ジェームズ・カーン 他『昭和残侠伝 破れ傘』(72年)
監督:佐伯清
脚本:村尾昭
企画:俊藤浩滋、吉田達
出演:高倉健、安藤昇、北島三郎 他『仁義なき戦い』(73年)
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
原作:飯干晃一
出演:金子信雄、木村俊恵、松方弘樹 他『仁義なき戦い 広島死闘篇』(73年)
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
原作:飯干晃一
出演:菅原文太、前田吟、松本泰郎、北大路欣也 他『仁義なき戦い 代理戦争』(73年)
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
原作:飯干晃一
出演:菅原文太、五十嵐義弘、川谷拓三、渡瀬恒彦、梅宮辰夫 他『仁義なき戦い 頂上作戦』(74年)
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
原作:飯干晃一
出演:菅原文太、八名信夫、黒沢年雄、梅宮辰夫 他『夕陽の群盗』(73年)
監督:ロバート・ベントン
脚本:デビッド・ニューマン、ロバート・ベントン
製作:スタンリー・R・ジャッフェ
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:ハーヴェイ・スミチッド
編集:ラルフ・ローゼンブラム
出演:ジェフ・ブリッジス、バリー・ブラウン、アグネタ・エクマンネル、デビッド・ハドルストン、ジョン・サベージ 他『ゲッタウェイ』(73年)
監督:サム・ペキンパー
脚色:ウォルター・ヒル
原作:ジム・トンプソン
出演:スティーブ・マックィーン、アリ・マッグロー、ベン・ジョンソン、サリー・ストラザース 他『ロリ・マドンナ戦争』(73年)
監督:リチャード・C・サラフィアン
脚本:ロドニー・カー=スミス、スー・グラフトン
原作:スー・グラフトン
出演:ロッド・スタイガー、キャサリン・スクァイアー、ティモシー・スコット、エド・ローター、ロバート・ライアン 他
出典:映画.comより引用
※()内は日本での映画公開年。
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●映画『無頼』
『無頼』はNetflixでも配信中、セルレンタルDVD も発売中。
■出身地 奈良県
奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している
■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw
■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp