「見えないマスク」
先週末、2日続けて夜の街で吐いている人を見ました。全く困ったものですが、コロナ前はよく見かけた光景なので、少し安堵してしまう自分がいたりしてそれはそれで困ったものです。いわゆる行動制限がなくなってから半年以上経ちました。とはいえ僕の仕事の大半はリモートでできることがバレてしまったので出社するのは月に2~3回くらいでしょうか。
つい先日、会社に郵便物を取りに行ったら僕と同じくらいの年恰好の男性から「お~~、久しぶり~~!元気にしてたぁ?」と声をかけられました。彼は大きめのマスクをしていて目から上しかわからなかったのですが、たぶん以前同じフロアにいたD先輩だなと思い「ごぶさたです。おかげさまで何とかやっています」と曖昧な大人挨拶をするととてもうれしそうにご自分の近況を語ってこられました。最近はわりと頻繁に出社されているとのこと。奥さんも元気だということ。うん?僕は奥さんには会ったことないよなぁ、と思っていたら「そういや、あれから子どもはどうした?」と聞かれ、「え!?僕は子どもいないですけど」と答えると、「あ~~、ごめんなさい。ぜんぜん違う人だ。マスクしてるから」と言われ去って行かれました。ということはD先輩ではなかったのでしょうか。そして大きな疑問。僕はマスクから上は一年中黄色いメガネとバケットタイプの帽子というスタイルです。これで間違えられたということは社内にもう一人、僕と同じスタイルの人(※写真①)がいるということでしょうか。いるのならぜひ会いたいです。
さて政府の発表によれば3月13日からマスク着用は個人の判断という名の自由になるようですね。うれしい反面きっとまた何かトラブルが起きるのでしょう。どんな想定外のことがあるのかハラハラします。特に花粉の時期と重なるので毎年涙目の僕はまだしばらくはマスクが手放せないけど、付けているとまわりはこれまでとは逆にイヤな気持ちになるのでしょうか。あ~、だれか早く人間から飛沫が出ないクスリを開発してくれませんか。
あ、そうだ。僕は今、マスクはAmazonの定期便で購入しているのですが、春には解約したほうがいいのかな。迷います。そういえば部屋を掃除していたら使わなかったアベノマスク(※写真②)が出てきました。少し黄ばんでいますが何となく捨てにくいです。
マスクといえば、コロナのずいぶん以前から薄々感じていたことがあります。僕たち広告制作者は常に見えないマスクを付けさせられます。そしてそのマスクが2枚3枚と重ねられて今や何枚被さっているのか、とにかく息苦しいです。コンプライアンス、ハラスメント、ルッキズム、ジェンダー、エビデンス、SDGs等々。もちろんどれも大切なことで意識しないといけません。ただそれぞれ今は過渡期で極端に気を付けるのが当然になっていて、広告物は至るところに※印の注釈だらけ。スナック菓子のパッケージにも「※写真・イラストはイメージです」と記されています(※写真③)。
ここまでやるとやり過ぎだと思うのですが令和はそれを許さないのでしょう。僕の携わった仕事でも牛の着ぐるみがオスなのかメスなのかを問われたことがあります。いやいやいや、着ぐるみですから、キャラですから、中性ですから!
コラムニストで雑誌「広告批評」の主宰者だった天野祐吉さんは常々「TVコマーシャルに何を求めるかというと、ただ一つだけ。面白いものを見せてくれ!ということだ」とおっしゃっていました。天野さんが亡くなられて今年でちょうど10年。おそらく僕たち広告制作者はこの天野さんの遺言のような言葉を信じて仕事をしています。そもそも広告はいつの時代もクライアントの注文と世間の規制があるのは常でそこをいかに搔い潜り面白いものを発信するかが制作者の醍醐味。しかしさすがにここまでがんじがらめだと、もうムリかもしれません。マス媒体、特に地上波は令和という時代とは相性が悪いです。と言って諦めるわけにもいきません。僕の友人でメディアプランナーの草場滋さんが「テレビは余命7年(大和書房)」を出してから早12年。テレビは何とかまだ生き残っています。お笑いの世界でも「傷つけない笑い」が主流の中で昨年末のM1グランプリではそこを逆手に取ったウエストランドが優勝しました。
まだ何とか突破する方法はあるはずです。たった今、天野さんやナンシー関さんがいたら、どんなことを言うのでしょう。とても聞いてみたいです。
あ~、イカンイカン、今回はずいぶん真面目な話をしてしまった。こんなの誰も読まないな。ところで、花粉症で出る鼻水のSDGs的利用法についての話はまたの機会に。