ボクは小躍りしたくなるほど嬉しかった。 同世代の若者たちに見てもらえるなら願ったり叶ったり、だ。
「映画は、人を退屈にさせてはならないし、愉しませて、悲しませて、喜ばせて、時間を忘れさせるものです、さて、次に紹介するのはこのアメリカンニューシネマです。主演はサム・ペキンパー監督作品の常連で、今作で主役の座を得た、男臭さムンムンのあのウォーレン・オーツです。では、早速、そのさわりをご覧ください・・・」と、深夜テレビの「11PM」で映画評論家が有頂天になって紹介していた。この『ガルシアの首』(75年)は封切られるや、すぐに観に行ったが、映画を作っていくことにすっかり自信を失くしていたボクの眼には、そんな海の向こうの人気監督の最新作はただ眩いばかりで、ますます落ち込むだけだった。
比べても仕方がないが、田舎で自堕落にやり過ごす孤独な青年の性的な日常をとりとめなく描いて並べただけのボクのピンク映画モドキには映っていない荒野の風の匂いや、その切り取られたガルシアという若い男の首の腐臭までが、スクリーンから漂ってくるのだった。ウォーレン・オーツの顏にもその恋人のメキシコ女にも、追っ手の殺し屋どもにも人間味がしっかり出ていたし、追跡劇のサスペンスは途切れることがなく、そこには、ありきたりの娯楽映画にはない「見せて見せ抜く」という力業の画面があって、その力業こそが作家の心なんだと痛感させられたのだった。ボクは呆然としたまま、隣席で観ていた友人に「…まいったなぁ」としか言えなかった。
夏が過ぎた頃、週刊誌が「若者たちがピンク映画を作った」と記事にしてくれて、それを読んだという、聞いたこともない出版社の人から電話があった。
「東京で発行してます、『ぴあ』という映画演劇音楽などの若者向けの情報誌なんです。実は自主制作映画のイベントをやってまして、そのイヅツさんの映画を、ぜひ上映したいと思いまして。フィルムを送って頂けないかなと。一ツ橋の科学技術館のホールで、うちの購読者を集めて映したいんです」と。
「ぴあ」はまだ東京周辺だけで売られ始めたローカル情報誌だった頃だ。
ボクは「映画は一応、成人指定やけど、いいんですか?」と念を押した。
「ああ。それは構いません。こっちで先に見せてもらって、その上映会告知も兼ねて、昼のテレビ番組にも出てもらって宣伝してください」
「はい了解です。早速、フィルム手配しますわ」
ボクは小躍りしたくなるほど嬉しかった。
同世代の若者たちに見てもらえるなら願ったり叶ったり、だ。映画館にかけてもらうために性描写を何シーンか入れて作ったモノには違いないが、実はそんなに年齢制限など意識して撮ったわけじゃないし、高校時代の『奇談・おれたちに明日はない』、卒業後に作った16ミリ短編『戦争を知らんガキ』に続く、3作目の我流ニューシネマのつもりだったので、若者にこそ見てほしかった。
そんな訳で、「ぴあ」の編集人達に上映会を段取ってもらい、TBS系ネットのワイドショー「3時にあいましょう」にも初めて生出演した。
科学技術館ホールには何百人か客が集まり、上映が終わると、若い客たちは関西弁の奇妙な映画に呆気に取られたまま、無言で出て行った。
ボクが「ぜひ、見て下さい」と声をかけていたピンク映画界のベテラン監督が来てくれて、「素人にしてはよく撮ったね。そのうち、新宿の配給会社の部長さんに見てもらうようにするよ」と言い残して帰って行った。そして、その大先輩のお蔭で、作品はジョイパックのチェーンで全国各地に順に3本立ての1本として配給されることになった。性愛場面だけを再編集してラブホテルや地方の民宿の有料テレビに流される契約も結んだ。それがピンク映画の運命だった。でも、大阪の館主さんに頼みこんで関西の何ヶ所かで上映してもらって以来の再デビュー作となり、やっと肩の荷が下りた気分だった。
その頃、絶対に見逃すまいと思っていた『フレンチ・コネクション2』(75年)にも出会えて、一日中、気分が良かったことも覚えている。監督は、『大列車作戦』(64年製作)でドイツ軍に抵抗するパリの鉄道員たちの死闘を描破した鬼才ジョン・フランケンハイマーだ。前作のラストシーンで取り逃がした麻薬密売王、髭のシャルニエを捕まえる為、ジーン・ハックマン扮する“ポパイ”刑事がフランスのマルセイユに乗りこむが、逆に組織に拉致され、麻薬を打たれて中毒者にされる…という凄い内容だ。ポパイの執念の追跡はスリリングで、見事な結末だった。心の中のわだかまりが消えて浄化されることがカタルシスだが、それを初めて感じた映画だ。ボクにも自分が納得する映画作りを目指して執念で生きろと、励ましてくれているのだった。
(続く)
≪登場した作品詳細≫
『ガルシアの首』(75年)
監督:サム・ペキンパー
脚本:ゴードン・T・ドーソン、サム・ペキンパー
製作総指揮:ヘルムート・ダンティーネ
出演:ウォーレン・オーツ、イゼラ・ベガ、ギグ・ヤング、ロバート・ウェッバー 他『フレンチ・コネクション2』(75年)
監督:ジョン・フランケンハイマー
製作:ロバート・L・ローゼン
原作:ロバート・ディロン、ローリー・ディロン
出演:ジーン・ハックマン、フェルナンド・レイ、キャスリーン・ネスビット、ベルナール・フレッソン 他『大列車作戦』 ※64年製作
監督:ジョン・フランケンハイマー
製作:ジュールズ・ブリッケン
原作:ローズ・バラン
出演:バート・ランカスター、ジャンヌ・モロー、ポール・スコフィールド、ミシェル・シモン 他
出典:映画.comより引用
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■出身地 奈良県
奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している
■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw
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