ある日、『未亡人下宿』で名が通っている山本晋也監督から電話があった。 「すぐに一本クランクインするんだけど、助監督が…、ふけちゃってさ。」
76年になると、ボクは、自作の売り渡しで世話になったピンク界の先輩の現場の手伝い、つまり、助監督として何度か、東京と奈良を行ったり戻ったりした。地元に戻った時は映画を観るように心掛けた。人の現場で勉強になることは、台本に書かれた“公園”や“浜辺”のナイト・シーンをどうすれば昼間のうちに撮影して製作費を倹約できるとか、部屋の蛍光灯は画面にムラが出るから撮影用に交換するとか、そんなことぐらいだった。その監督が考えるカット割りやそのショットがどうしてアップサイズかとかは、その人のセンスだし、ボクのセンスじゃない。そのアップが正しいのか間違いかは編集で繋いでみても判らないし、スクリーンに映るまでそれは誰も判らないし、ボクの発想の足しにはならなかった。
奈良に戻って、どこかの名画座で観た『ナイトムーブス』(76年)は名優ジーン・ハックマンが主演の探偵ものだが、『フレンチコネクション』(72年)の刑事ポパイの彼には及ばなかった。監督は『俺たちに明日はない』(68年)のアーサー・ペンなんだし、もっとやってくれよ!とスクリーンに一人で愚痴っていた。最後の大仕掛けなアクション場面はハリウッドっぽくなくて新鮮だが、その探偵と女房の冷めた関係などどうでもいいのにと思ったり、ボクより若い17歳の新人メラニー・グリフィスがわがまま娘の役で全裸で現れた時はドキッとしたり。こんなニューシネマを作りたいなと能力もないのに思ったものだ。
帰郷する度に、新作を追いかけた。『狼たちの午後』(76年)は久しぶりに映画らしい映画で勉強になった。というか、衝撃だった。フィルム画像に漂う空気感も生々しく匂ってくるようだった。真っ昼間に銀行に乱入した二人組の強盗はアルパチーノとジョンセガールだ。『ゴッドファーザー・PARTⅡ』(75年)のマフィアの兄弟役だった二人がみごとに、小心な強盗に豹変していた。並の演技メソッドを越えた彼らの「俳優力」には圧倒されっぱなし。流石にシドニー・ルメット監督。彼らの運命は最後の最後まで分らず、鬼才のワザにも圧倒された。
『カッコーの巣の上で』(76年)もショックだった。精神異常のふりをして刑務所から精神病院に入った男が自由のない病院から脱走しようと企む。ジャック・ニコルソンが主演だ。これも最後まで画面に釘付けになり、映画界に来たことを後悔するような、そんな気分で観た。
ピンク現場はしんどかった。カチンコボードをフィルムに3コマで写さなければならないほど、プロの現場は厳しい。仕上がり1時間尺の為に用意するネガフィルムは400フィート巻で18本。仕上げ尺とほぼ変わらず、早い話が、本番でNGは許されない。許すも許さないも撮ったカットは殆どがOKとなった。フィルムが足りなくなった時、夜中に、他所の監督宅に連絡して、その事務所の冷蔵庫に保存してあるフィルムの端尺200フィートほどを貰いに走ったこともあった。
その先輩が、日活ロマンポルノの3本立てのうちの少し製作費の高い(といってもたかだか数十万円だが)外注枠の一本を撮れるように紹介すると言ってくれた。でも、製作費が2千万以上のロマンポルノ本篇の添えものだし、映画館の休憩時間代わりにかけられるようなものにはちょっと気が引けた。というか、格の違う“刺身のつま”みたいに客に見られるのが嫌だった。でも、そんなことを先輩に言えば、青二才が何を寝言言ってるんだと呆れられるだけだし、鏡の向こうのもう一人の自分も「ご託並べてる場合か。それも修業だろが。痴漢ものでも売春ものでも何でもやれ。何を拘ってる!チャンスは二度と回ってこないぞ」と檄を飛ばしていた。先輩には「有難うございます、頑張りますんで」と口だけで答えた。しかし、どうせ日活じゃ添えもの扱いだろ。オレは飲み屋のお通しやないんや!と、本心はそう叫んでいた。
ある日、『未亡人下宿』シリーズで名が通っている山本晋也監督から電話があった。「すぐに一本クランクインするんだけど、助監督が…、ふけちゃってさ。渡世の義理、と思って、頼まれてよ。明後日でも上京できない?」と山本さんの声は優しかった。三代続きの江戸っ子で、日大芸術学部卒、しかも応援団上がりで身体は小さいが怒らせると凄いとは聞いていた。
これも渡世だなと思った。「カントク、明日でいいですよ。今夜の夜行バスで行きます」と即答した。「じゃ、新宿の…、東口って判るよな。大ガードに行く手前にステーキのスエヒロがあって、その横っちょに、若きウェルテルの悩み、の、ウェルテルっていう店があんだわ。そこに昼の1時ってどうだ?」と。夜行バスは早朝に東京駅に着くし、何時でもいい。気になったのは店の小粋な名前だ。ゲーテの本だとは分かったが、若いウェルテルが何に悩んでいたかなんて知らなかった。山本さんが「大丈夫なら、そこで」というので、ボクも訊き返した。「ウェルテルって茶店ですの?」「ウェルテル静かだし」と。この監督はほんとに応援団だったのかなと思うと、上京するのが急に愉しくなった。
映画渡世とはこういうもんだと、自分に言い聞かせた。
≪登場した作品詳細≫
『ナイトムーブス』(76年)
監督:アーサー・ペン
脚本:アラン・シャープ
製作:ロバート・M・シャーマン
出演:ジーン・ハックマン、スーザン・クラーク、ジェニファー・ウォーレン、エドワード・ビンズ、メラニー・グリフィス 他『フレンチコネクション』(72年)
監督:ウィリアム・フリードキン
製作:フィリップ・ダントニ
製作総指揮:G・デビッド・シン
出演:ジーン・ハックマン、フェルナンド・レイ、ロイ・シャイダー、トニー・ロー・ビアンコ 他『俺たちに明日はない』(68年)
監督:アーサー・ペン
製作:ウォーレン・ベイティ
脚本:デビッド・ニューマン、ロバート・ベントン
出演:ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ、ジーン・ハックマン、マイケル・J・ポラード 他『狼たちの午後』(76年)
監督:シドニー・ルメット
製作:マーティン・ブレグマン、マーティン・エルファンド
原作:P・F・クルージ、トーマス・ムーア
出演:アル・パチーノ、ジョン・カザール、クリス・サランドン、ジェームズ・ブロデリック 他『ゴッドファーザー・PARTⅡ』(75年)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
製作:フランシス・フォード・コッポラ
原作:マリオ・プーゾ
出演:アル・パチーノ、ロバート・デュバル、ダイアン・キートン 他『カッコーの巣の上で』(76年)
監督:ミロス・フォアマン
製作:ソウル・ゼインツ、マイケル・ダグラス
原作:ケン・キージー
出演:ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、ウィリアム・レッドフィールド、マイケル・ベリーマン 他
出典:映画.comより引用
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●鳥越アズーリFM「井筒和幸の無頼日記」(毎週日曜13:00〜13:50 生放送中)
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※欲望の昭和時代を生きたヤクザたちを描いた『無頼』はNetflixでも配信中。
■出身地 奈良県
奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している
■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw
■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
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