200回目

Vol.200
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

この8月分で、このコラムの連載が200回目を迎えました。

年数で言うと16年と6ヶ月。です。

初回は2007年の1月。その長さは、考えてみると小学校入学して6年、中学3年高校3年、

大学4年を卒業して、社会人1年目の秋。の長さと同じです。

今年の新人が小学校に入った頃からやっている時間の長さでした。

 

描き始めた時は39歳でした。いまは55歳です。

こんなに続けさせていただいて、本当にありがたいです。

 

読み返してみても、最初の頃と今では考えていることも、立場も、生活も

まるで違います。社会もずいぶん急速に変化しました。気候も変わった。

 

連載100回目のコラムに 最初の頃のように勢い良く書く事は、今は出来なくなりました。

と書いています。

もっともっと書けなくなりました。でもそれは100回目の時の感想とは違い

なんというか身の程がわかってきたというか、周りのことも気にするようになったというか

痛い目にあったというか、そういう自分の中の変化が大きいんじゃないかと思います。

そりゃあそうですね。いい年していつまでも中二病ではいられない。です。

 

100回以降、ここで目指したテーマがあります。

それは、実は1回目から本質は同じで、僕が東京出てきてコマーシャルを作ろうと

思ったことにも起因します。それは

「垂れ流された情報を受け取るしかできない人生はダメだ。情報は常に出す側にいるべきだ」

ということです。

 

世の中に出されている情報には必ず裏があります。

 

このコラムは載せてくれている企業から依頼されて書いています。個人のブログではありません。

何かに憤ったとして、それをコラムの題材にしようとして書き殴ったとしてもただの文句

にしかならないのです。だから、なぜそんなことが起きたのか?という事を調べます。

それが、裏をとる、という作業なんですが、だいたい裏どりが進んでいくうちに

怒りが冷めてきます。あー、そういうことね。仕方ないか。と思うことが世の中には沢山ある

んです。

 

インターネットで書かれている個人の意見の危ないところはそこにあります。

裏が取れていないことです。

 

広告はネタがクリーンでなくてはいけないので色んなことの裏を取ります。

長年裏どりを続けているとニュースのとんでもない裏に出会うことがありましたから

よくわかるんですが、世の中に出ているニュースには、人の目を引くために

意図的に悪意を持った形で出されたものが沢山ある。ということです。

一般的にもそう言われていますが、調べてみると本当にそうです。

 

裏を見れない情報に敏感に反応して、うまくいかない自分の生活の憂さを晴らすかのように

自分の思いついた事を、イラつきをムカつきを書き殴る。

言葉として言い放っただけものはシャボン玉のように消えてなくなるけど、

ネットに書かれた言葉は残る。それをみて憤った人がもっと酷い言葉を書き殴る。

それが炎上の正体ですね。

 

最近では大手のメディアから出るニュースにも酷い書き方のものがある。

警察に捕まった人が立場のある人だった場合、警察に捕まったということでニュースになり

メチャクチャ書かれてしまいます。それに乗っかって、有る事無い事色んな人が書き込みます。

その人が実は犯人ではなく不起訴になった場合、犯人ではありませんでした、

というニュースは本人が騒がない限りほとんど出ないし、書き込んだ人たちも知らないことも

多いのです。誰も責任取らないでしょ?

 

人の悪意の中にある言霊にはものすごい殺傷能力がある。裏を取らない奴の情報に乗っかって

面白がったり、憤った人の言葉がどんだけ恐ろしいことか。

 

垂れ流された情報を受け取るだけの立場にいると、いつか他人のことをズタズタに傷つける

可能性があるということです。それに気づかないような無神経な人間でいてはダメです。

想像力の欠如。

昔は田舎にいると垂れ流されたものしか受け取れなかったけど今は違いますね。

 

そして必ず投げたブーメランは自分に返ってくると思った方がいい。覚悟した方がいい。

100%の確信がなければ、また当事者や関係者、直接の利害関係者でないならば

特定の人を非難するようなことをネットに書いてはダメなんです。

それが怖くて沈黙する場合もありますがそれも良くない。居ないのと一緒だからです。

非難じゃなくて意見を書く気持ちが重要ですね。

 

このコラムでも、何回か炎上したことがあります。

 

気に入った人、気に入らなかった人、何万人もの人からご意見を頂戴したこともありました。

全くぼくの書いている意味を理解せず、ありったけの嫌な言葉で攻撃してくる人もいます。

そういうことを書き込む人の意見にも実は一理あるんです。人の受け取り方感じ方、好き嫌いは

本当に千差万別。正解はありませんから、自分を隠して意図的に人を傷つけようとして書かれた

短い文章の切れ味は鋭いですよ。

 

自分で名前も身分も明かして、正直に自分の考えをインターネットで表明する。

という事のリスクがどんなもんか、ここでコラムを書いてみて身に沁みてわかりました。

それは大事な経験として実生活にもフィードバックされてずいぶん助かったと思います。

そうでなければ、もともと田舎のオッサン議員みたいな無神経さで失言を連発して、今頃、

CMプロデューサーなんかとっくに辞めさせられているんだと思います。

 

知り合いで、僕のコラムを熱心に読んでくれる人がいて、よく意見をくれるんですが

お前は正義の味方なんだろ?柔らかい書き方しないでもっとはっきり過激なことを書いてくれよ。

お前のいうことはいちいち正しいよ、正義よ。だからもっときつい言葉で悪を糾弾してくれ。

という人がいます。

 

ごめんね。そんな簡単な話じゃないんだよ。と思います。いつもギリギリですよ。

大体お前、正義の本質が分かってねえぜ。

 

正義っていうのはそれで悪をぶっ叩くための武器じゃないんだからね。わかる?

このコラムを書いている時に思う「これは本当に正義だろうか?」という

自問自答の中に自分を律するためにあるのが正義であってそれを問い続けることが

正義の使い方なんだよ。

 

俺は正しいから、正義だから悪を糾弾してもいいんだよ。

という考え方自体が正義ではないのです。

そもそも他人を正義か悪か判断することはできません。

 

その感覚がちょっとなさすぎるかもしれませんね。この国は。

誰かちゃんと説明した方がいいんですけどね。

正義であり続けるのは並大抵ではないですよ。それが正義かどうかも答えはない。

ドロドロの悪だったことがあるからわかります。というか自分が正義だと思ったことはありません。ここは自分が正義だと信じて建前と忖度で変なことをする奴を笑う不良の立ち話のような気持ちで始めたからです。

 

というわけで、300回まで生きてられるでしょうか?

300回は63歳。書かせてもらってるかどうかも不明。やれるとこまでやってみます。

この場を与えていただいて、文句ばっかり言うぼくを首にしないで、書く場所を与えてくださった

フェローズの野儀社長。紹介し推薦してくれたCMの演出家、故松岡康二監督。歴代の編集者の皆さん。本当に感謝しています。

 

ありがとうございます。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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