客たちは大笑いした。ボクも拍手していた。野川由美子も小林稔侍もなりふり構わず雪まみれで叫んでいた。邦画らしい大衆芸能がそこにあった。
昔のピンク映画界で一番忙しかった山本晋也先輩が、映画は「芸術」でも「娯楽」でもなく、その間にある「芸能」なんだ、と言ったのを今も覚えている。
アメリカの映画アカデミー協会では、“芸術科学”と呼ばれてきた。でも、日本ではやっぱり「芸能」だろう。先輩に教わるまで、芸能の意味が分からなかった。その時、初めて響きのいい言葉に思った。芸能は大衆のためにあると痛感した。大衆芸能、大衆映画。昼下がりの映画館に客が数えるほどしかいなくても、その10人こそ紛れもない大衆なんだ、「芸能」は退屈しのぎ、暇つぶし。興を求めて日々の苦しみから逃れようとその10人はそこにいるんだと。生きる苦しみを和らげる、はたまた、悪夢も見させてくれる。安堵したり、戦慄したり。それが大衆のための映画、芸能なんだと。先輩の映画談義は止まらなかった。
山本晋也組で1976年から77年にかけて半年間ほどピンク現場を助監督兼運転手で手伝った後、見逃していた洋画を探しては片っ端から見て回ったものだ。当時は(今も変わらないが)客の入り不入りとは別に、邦画よりも断然、洋画は面白くて愉しかった。まあ、英語台詞のニュアンスは今ひとつ解らないし、涙をこぼすことはなかったが、昂奮したり笑ったり、心が躍るような場面は洋画が多かった。邦画はあまり見なかったが、笑った場面は記憶にない。(比べて、昨今の洋画はテンポで物語るだけで、アップショットも短過ぎて意味が分からず、肝心な人物に芸も味もなく、しみじみさせないし、こっちも長年、事物を見てきた所為で、マヌケな人物を見てもフンと鼻で嗤うだけになったが)
それでも、本当に退屈を慰めてくれるならそれも「芸能」だろうが。
70年代、たいていの洋画も邦画も封切り後は、街の外れの2番館、半年後には3番館へと回っていき、必ず、どこかで目当ての映画には出会えたものだ。
神戸の三宮だかどこかの洋画2本立ての小屋だったか、『バリー・リンドン』(76年)という、『時計じかけのオレンジ』(72年)で異常な暴力社会を描いたスタンリー・キューブリック監督の、長編大作を観ている。舞台は18世紀半ば。アイルランドの農家で育ったバリーという青年が、裕福な英国軍将校の恋人に横恋慕して決闘を申し込み、勝って生き残ったものの村を出ていく羽目になり、その後、一文無しになり英軍に志願して大戦に参加し、また脱走してイギリスに渡って流れ流れていつの間にか、バリーは爵位を得て貴族に成り上がる。人生何が起こるか分からないという話で、銃で撃ち合う決闘を見たのも初めてだった。
主演のライアン・オニールが、強運、悲運を背負いこんで足が片方失くなっても生き抜いていく3時間に釘付けだった。波乱万丈、芸能の本質を見た気がした。
『タクシードライバー』も76年秋の封切りで観たが、大阪の新世界でかかっていたので観て、また観に行って切なくなった。ベトナム帰還兵の青年トラビスの「狂いざま」にあれこれ思うより、ニューヨークで生きる者の「孤独」の眼や顔も芸能なんだなと思った。
ジャック・ニコルソンが主演した『さらば冬のかもめ』(76年)も面白いニューシネマだ。これまた海軍兵士らの、軍法違反の新兵を護送する旅行記で、彼らの立ち寄る先々で社会の矛盾が見えて、可笑しくて、また切なかった。ベトナム戦争を体験者の映画が多かった時代だ。
77年の初め、ふらっと入った道頓堀の東映館の番組は、実録モノのなれの果てにしては見応えがあった。深作欣二監督の『北陸代理戦争』(77年)だ。
『仁義なき戦い』の延長戦のように思わせる作品で、舞台を雪の北陸に変えて撮られたというので、仁義ファンは待ち望んでいたようだ。ボクは脚本が笠原和夫ではなかったので期待してなかったが、役者たちが皆、役にはまっていて感心した。松方弘樹も遠藤太津朗も貫禄十分で荒々しく、福井の親分役の西村晃さんも舎弟役のハナ肇(クレイジーキャッツ)も役を楽しんでいた。中盤で、ハナ肇が、咄嗟に自分の小指を自分の歯で食いちぎって詫びを入れる場面があって、客たちは大笑いした。ボクも拍手していた。野川由美子さんも小林稔侍さんもなりふり構わず、雪まみれで叫んでいた。邦画らしい大衆芸能がそこにあった、最後の時代かもしれない。
後は、夏に公開予定の『遠すぎた橋』(77年)という、世界大戦でナチスに攻め入った連合国軍のマーケット・ガーデン作戦の失敗と悲惨を描く、オールスター出演の戦争巨編を待つばかりだった。戦争モノは娯楽でも芸能でもない。
では、何なんだろう。なぜ、大衆は戦争モノに群がるのか。酷たらしい殺し合いを何故か見たくなる。世界には、戦争と平和しかないというが、映画と戦争について、改めて考えるようになったのもこの頃からだ。
(続く)
≪登場した作品詳細≫
『バリー・リンドン』(76年)
監督・製作:スタンリー・キューブリック
製作総指揮:ヤン・ハーラン
出演:ライアン・オニール、マリサ・ベレンソン、パトリック・マギー、ハーディ・クリューガー 他『時計じかけのオレンジ』(72年)
監督・製作:スタンリー・キューブリック
製作総指揮:マックス・L・ラーブ、サイ・リトビノフ
出演:マルコム・マクダウェル、パトリック・マギー、エイドリアン・コリ、ミリアム・カーリン 他『タクシードライバー』(76年)
監督:マーティン・スコセッシ
製作:マイケル・フィリップス、ジュリア・フィリップス
脚本:ポール・シュレイダー
出演:ロバート・デ・ニーロ、ジョディ・フォスター、アルバート・ブルックス、ハーベイ・カイテル 他『さらば冬のかもめ』(76年)
監督:ハル・アシュビー
製作:ジェラルド・エアーズ
原作:ダリル・ポニックサン
出演:ジャック・ニコルソン、オーティス・ヤング、ランディ・クエイド、クリフトン・ジェームズ 他『北陸代理戦争』(77年)
監督:深作欣二
脚本:高田宏治
企画:日下部五朗、橋本慶一、奈村協
出演:松方弘樹、野川由美子、地井武男、高橋洋子 他『遠すぎた橋』(77年)
監督:リチャード・アッテンボロー
脚本:ウィリアム・ゴールドマン
原作:コーネリアス・ライアン
出演:ロバート・レッドフォード、ジーン・ハックマン、ジェームズ・カーン、ショーン・コネリー 他
出典:映画.comより引用
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■出身地 奈良県
奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している
■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw
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