生きる苦しみを和らげる、悪夢も見させてくれる。安堵したり、戦慄したり。そんな大衆のための映画を探し歩いて、見つけたもの。(其の二)

Vol.67
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

70年代のボクの夢の時代を思い返すと、なんとも切なくなってくる。
1975年に、仲間たちと『性春の悶々』を作ったのをきっかけに、上映時間がわずか60分の、ボクの淫夢と悪夢と現実が混ぜこぜになった、「成人映画」とポスターの隅に記されたピンク映画なるモノを、250万円ぐらいの制作費で仕上げては東京の配給会社に250万円で買い取ってもらうという、「夢売り」業みたいなことを何度か繰り返してはみたものの、手元には一円も残らないし、稼業にもならず、結局は自分が何を売って生きているのかも分からないままだった。

ボクみたいな自主制作上がりの素人作家は、狭い業界でしのぎを削り合う先輩たちに疎まれていただろうし、ピンクの配給会社から「あのピンク女優でサドマゾもの(業界では緊縛モノ)を撮ってくれ」と注文がくるわけもなく、ボクはもう成人映画に用は無いなと思い始めていた。成人映画の枠の中で、やくざの鉄砲玉を主人公にして銃撃ショットに手間暇かけて撮ってみたところで、畳の上を這うようなローアングルの移動撮影に凝ってみたところで、ピンク映画館に来た誰がそんな画面を愉しんでくれるというのか。

ボクはもう“成人向け”という檻の中で映画と生きる気はしなくなっていた。

でも、70年代後半、映画館で誰のどんな夢を観ようと、心が奮い立つようなものは少なくなっていたのも事実だ。『スター・ウォーズ』というお伽話の世界が現れようと、それまでの三流の勧善懲悪モノとあまり変わらず、「正義」とか「人の道」とかを説いてくれても何も発奮できず、むしろ、ボクには空虚な時代の象徴のように見えた。そして、この手のお伽話がやがてはアメリカ映画の本流になり変わって、アトラクション的な映像世界が一番の客寄せ商売になっていくことも予想できた。社会の現実を捉えて、矛盾の塊のような人間が生きもがく、そんなアメリカンニューシネマの時代は閉じようとしていた。

77年の秋だったか、原稿用紙250枚ほどに思いつくまま書いたシナリオのようなものに、「ガキの愉しみ」とタイトルを付け、京都の東映撮影所の製作部に、それを持って訪ねたことがある。売り込みに行ったのだ。誰と会う約束をしたわけでもなかったが、プロデューサーの誰でもいいから、自分の思いをぶつけたかったからだ。撮影所の表門の守衛さんに「どなたに面会で?」と訊かれ、「いや、どなたでもいいんです」と言って、応接室に通してもらった。製作部の誰かが現れて、「何ですか?」と。ボクが、その「ガキの愉しみ」の生原稿の綴りを差し出すと、その四十がらみの誰かさんはページをペラペラとめくりながら、時々、文字に目を止めているようだった。「・・・まだそれは原案なので、中途半端に終わってるんですが、青春アクションみたいなもので。大阪のミナミの繁華街を舞台に、ケンカばかりして抗争する不良たちの話です。言うたら、『仁義なき戦い』の少年版みたいな・・・」と、ボクは一人、夢中で喋った。

すると、その誰かは「あんた、まだ脚本書いたことないみたいやから言うけど、こんな『朴』とか『金』とかいう外人が、(朝鮮語で)と括弧付きの訳の分からんセリフを言い合うようなものは、うちみたいな全国公開の映画作ってるところでは無理やね。まだまだ若いんやから、娯楽映画というのをもっともっと勉強してから書くことやね」と答えた。ボクは「この東映でこれを撮りたいんです」と言うつもりでいたが、口から何の言葉も出なくなって、その場にいる意味もなくなって立ち去るしかなかった。近くのバス通りまで歩いたが、目に映るものすべてが空しくて、悔しかった。近鉄京都駅までバスに乗る気にもなれず、曇った空を仰ぎながらしばらく歩き続けた。ほんとに悔しかった。

――なにが娯楽映画だ、なにか「宇宙からのメッセージ」だ「トラック野郎」だ。何が一般映画だ。あんたたちに解ってたまるか。よっし、オレはいつか絶対にこの脚本を映画にしてやるぞ。パクもキムもチョウも次々に出てくる映画を作って、あんたに一番先に見せてやるからな――、そんな思いに駆られながら、ボクは、そのシナリオの改稿を仲間に頼んで、『ガキ帝国』(81年)と改題して映画化に向けてまた走り出すのだった。

77年から78年にかけて見た映画たちは、そんなボクの新しい映画作りを励ましてくれた。ジョン・シュレシンジャー監督の『マラソンマン』(77年)はニューヨークが舞台の、ナチス戦犯人の歯科医者と大学院生が死闘するスリラーで、名優ローレンス・オリビエとダスティン・ホフマンの演技対決は見ものだった。カメラを乗せて安定画像を撮るステディカムのワークも初めて見て勉強になった。『トランザム7000』(77年)はタフガイのバート・レイノルズがトラックカーレースに挑むコメディで、パトカーのふざけた追跡劇も大いに愉しませてくれた。『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(76年製作)はさすらいのフォークシンガーの伝記映画だ。これも気がほぐれた。『カプリコン・1』(77年)はアメリカが威信で作った有人火星探査船が機器故障のために無人のまま打ち上げられた後、宇宙飛行士らは砂漠のスタジオの中で偽の火星着陸を演じさせられて、国家の陰謀に巻き込まれる話だ。問答無用にスリリングだった。デ・パルマ監督の『愛のメモリー』(78年)もとても奇妙な誘拐ミステリーで、撮影のヴィルモス・ジグモンド特有の画像に引き込まれた。独創力あふれる映画を観ることだけが、ボクの心を躍らせて、映画作りを後押ししてくれた。

(続く)

 

≪登場した作品詳細≫

『スター・ウォーズ』(78年)
監督:ジョージ・ルーカス
製作:ゲイリー・カーツ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス
出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、ピーター・カッシング 他

『仁義なき戦い』(73年)
監督:深作欣二
原作:飯干晃一
脚本:笠原和夫
出演:金子信雄、木村俊恵、松方弘樹、菅原文太 他

『ガキ帝国』(81年)
監督:井筒和幸
脚本:西岡琢也
原案:井筒和幸
出演:島田紳助、松本竜介、趙方豪、升毅 他

『マラソンマン』(77年)
監督:ジョン・シュレシンジャー
脚本:ウィリアム・ゴールドマン
原作:ウィリアム・ゴールドマン
出演:ダスティン・ホフマン、ローレンス・オリビエ、ロイ・シャイダー、ウィリアム・ディベイン 他

『トランザム7000』(77年)
監督:ハル・ニーダム
脚本:ジェームズ・リー・バレット、チャールズ・シャイア、アラン・マンデル
原案:ハル・ニーダム、ロバート・L・レビ
出演:バート・レイノルズ、サリー・フィールド、ジェリー・リード、マイク・ヘンリー 他

『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』
監督:ハル・アシュビー
製作:ロバート・F・ブラモフ、ハロルド・レべンソール、ジェフリー・M・スネラー
原作:ウディ・ガスリー
出演:メリンダ・ディロン、ランディ・クエイド、デビッド・キャラダイン、ロニー・コックス 他

『カプリコン・1』(77年)
監督:ピーター・ハイアムズ
製作:ポール・N・ラザルス3世
脚本:ピーター・ハイアムズ
出演:エリオット・グールド、ジェームズ・ブローリン、ブレンダ・バッカロ、サム・ウォーターストン 他

『愛のメモリー』(78年)
監督:ブライアン・デ・パルマ
製作:ジョージ・リットー、ハリー・N・ブラム
原作:ポール・シュレイダー、ブライアン・デ・パルマ
出演:ジュヌビエーブ・ビジョルド、ジョン・リスゴー、クリフ・ロバートソン、ワンダ・ブラックマン 他

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年。
※掲載の社名、商品名、サービス名ほか各種名称は、各社の商標または登録商標です。

 

●鳥越アズーリFM「井筒和幸の無頼日記」(毎週日曜13:00〜13:50 生放送中)

https://azzurri-fm.com/program/index.php?program_id=302


●映画『無頼』

※欲望の昭和を生きたヤクザたちを描く『無頼』はNetflixでも配信中。

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP