クランクイン初日からアドレナリンが出まくり、飯も口に入らず、眠れる時間もまったくなかった。よく死ななかったものだ。
1980年の秋口から、初めての一般映画『ガキ帝国』(81年)は、準備も追いつかないままドタバタのうちにクランクインした。初日の早朝ロケは前夜から一睡もできなかった所為か、アドレナリンが出てイラつくばかりだった。最初のロケ場所は憶えている。大阪ミナミの道頓堀筋にある松竹座前の路上だ。正面の純喫茶「BON」から現れた、少年院から出たばかりのリュウ(島田紳助)と彼を出迎えた仲間のケン(故・趙方豪)やチャボ(故・松本竜介)の三人組が、やがて対決することになる少年院仲間の“明日のジョー”(升毅)と「ほな、またどっかで会おうや」と右と左に別れる場面だった。香港支店から届いたというパナビジョン社の35ミリキャメラが音を立てずに回り出したのは驚きだった。それまでのピンク映画は回転音がガーガー鳴るアリフレックスキャメラだったからだ。録音部がマイクの竿を出すシンクロ(同時録音)の現場は、まさに「撮っている!」感じがして、初めて「監督」になったような気分で、胃が縮み、手先も痺れてるようで、頭の中は混乱し、台本も冷静に読み返せなくて、役者たちに夢中で指示を飛ばしていたようだ。その朝が寒かったのか、夜は何時までどこで何を撮っていたのか何も憶えていない。気が張りつめたまま、昼ご飯は食べなかった。多分、深夜まで撮って、一杯の寝酒も飲めずに誰かの家に倒れ込んで眠ったように思う。次の日も早朝から深夜まで、その次の日も早くからキャメラが音をたてずに回っていたのは確かだ。フィルムの許容量も忘れて、NGテイクを連発させ、無我夢中に回したのはこの現場が初めてだった。
クランクインは「撮影を始める」という意味の和製英語だ。邦画がトーキー(音声付き映画)に変わる前のサイレント(無声)映画の黎明期(1920年代前期)に、アメリカから撮影技術を持ち込んだ映画人の誰かがそう呼んだ用語だ。サイレント初期の35ミリキャメラにモーターはなく、装填されたフィルムロールをキャメラマンが手で回して撮影した。その回す把手が「クランク」で、回し始めるのでクランクインとなった。当時は一秒間に16フレーム(コマ)を撮影したので、キャメラマンはファインダーに片目を押し付け、片手だけでクランクを等速で回し続けなければ映画にならなかった。器用な人間でないとキャメラマンは務まらなかったのだ。
この時代、映画は「モーションピクチャー」だから、映画人はそのまま訳して「活動写真」と呼び、「カツドウ」とか「シャシン」と呼んだ。先達から受け継いだこの響きのいい言葉を、ボクは今でも口に出す。「あのシャシンは44年前だけど・・・」と舞台挨拶で言うと、お客が「はぁ?」という顔をするので、言い直したりする。でも、この粋な言い方が好きだ。映画は製作費が何十億かかろうが、そんな上等なモノではない。人が見て、憂さ晴らしにしてくれたらいいだけだ。だから、シャシンでいいのだ。
『イージー★ライダー』(70年)や『真夜中のカーボーイ』(69年)、深作欣二監督の『仁義なき戦い』(73年)のような先鋭的なシャシンには敵わないが、活きのいい群像劇を撮ってやる!という意気込みだけで、クランクイン初日からアドレナリンが出まくり、飯も口に入らず、眠れる時間も全くなかった。よく死ななかったものだ。
ボクは自分は「シャシン屋」と思っている。脚本の「セリフ屋」とも違う。月明かりの仄暗さの中でも人の顔は肉眼では判別できるが、いくらデジタルキャメラでもノーライトで撮ると画像が粗くなるし、見づらいものだ。その荒れた感じがいいという監督もいるが、それはリアリティではなく、只の素人技だ。撮影の鉄則は「キャメラで撮られていることを忘れる画面」を作ることだ。最近はドローンを使う空中撮影が流行っている。あれも素人芸、ドローン技に過ぎない。パレスチナのガザ地区の破壊された街のニュース画像には使えるが、劇映画で使うと観る気が削がれるだけだ。「あー、ドローンだ」とすぐにバレる。キャメラワークはとても難しいものだ。昔のアメリカの監督が「キャメラのアングルポイント(人物を撮る位置)は無数にある。しかし、そのワンショットにふさわしいアングルは一つだ」と言った。ボクたち写真屋、映画屋はその正しいアングルを、現場でワンカットの度に必死になって探して撮ってきた。写ったカットを繋いでみたら、どのアングルが間違いだったか判る。そういうもんだ。
月光の下で仄暗く映える人の顔が、見た目どおりに見せるライティング技術には特にセンスと技が必要だ。フィルムは高感度タイプでも、人の眼に映る薄明りの感じをそのままは写し取れない。フィルムは鈍感だから、ライトを照らして足すしかない。でも、ライトを当て過ぎては余計な影が出る。夜の月明かりは容易に再現できない。『ガキ帝国』の現場は、キャメラとライティングの初歩的な試行錯誤の連続で、アップ過ぎたり引き過ぎたり、明るさ暗さのバランスの間違いが多く、現像ラッシュを見る度、後悔したものだ。
クランクイン前に観た作品を思い出す。勉強のために観たものが多い。フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』(80年)は物語より、ビットリオ・ストラーロの画像だけに注目した。『マンハッタン』(80年)はウッディ・アレン主演・監督で『ゴッドファーザー』(72年)の撮影ゴードン・ウィリスの光と影を学びたかったが、モノクロ画像で俳優たちと字幕を追うばかりだった。『1941』(80年)はスピルバーグのドタバタ喜劇。ボクにはどこが喜劇か判らず終いだった。『トム・ホーン』(80年)は孤高の俳優スティーブ・マックィーンの荒くれガンマンが死刑になる実話。撮影ジョン・A・アロンゾの20世紀初めの西部を描く画像が見事だった。『掘った奪った逃げた』(80年)はフランスのジョゼ・ジョバンニ監督の実録銀行強盗モノ。これもキャメラを感じさせず、話に入り込めて時を忘れさせてくれた。
(続く)
≪登場した作品詳細≫
『ガキ帝国』(81年)
監督:井筒和幸
脚本:西岡琢也
原案:井筒和幸
出演:島田紳助、松本竜介、趙方豪、升毅 他『イージー★ライダー』(70年)
監督:デニス・ホッパー
製作:ピーター・フォンダ
製作総指揮:バート・シュナイダー
出演:ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、アントニア・メンドザ 他『真夜中のカーボーイ』(69年)
監督:ジョン・シュレシンジャー
製作:ジェローム・ヘルマン
原作:ジェームズ・レオ・ハーリヒー
出演:ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイト、ブレンダ・バッカロ、ジョン・マッギーバー 他『仁義なき戦い』(73年)
監督:深作欣二
原作:飯干晃一
脚本:笠原和夫
出演:金子信雄、木村俊恵、松方弘樹、菅原文太 他『地獄の黙示録』(80年)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
製作:フランシス・フォード・コッポラ
共同製作:フレッド・ルース、グレイ・フレデリクソン、トム・スターンバーグ
出演:マーロン・ブランド、ロバート・デュバル、マーティン・シーン、デニス・ホッパー 他『マンハッタン』(80年)
監督:ウッディ・アレン
製作:チャールズ・H・ジョフィ、ジャック・ロリンズ
製作総指揮:ロバート・グリーンハット
出演:ウッディ・アレン、ダイアン・キートン、マイケル・マーフィ、マリエル・ヘミングウェイ 他『ゴッドファーザー』(72年)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
製作:アルバート・S・ラディ
原作:マリオ・プーゾ
出演:マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ジェームズ・カーン 他『1941』(80年)
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル
原作:ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル、ジョン・ミリアス
出演:ダン・エイクロイド、ネッド・ビーティ、ジョン・ベルーシ、ロレイン・ゲイリー 他『トム・ホーン』(80年)
監督:ウィリアム・ウィヤード
脚色:トーマス・マクゲイン、バッド・シュレイク
原作:トム・ホーン
出演:スティーブ・マックィーン、リンダ・エバンス、リチャード・ファーンズワース、ビリー・グリーン・ブッシュ 他『掘った奪った逃げた』(80年)
監督:ジョゼ・ジョバンニ
脚本:ジョゼ・ジョバンニ
原作:アルベール・スパジァリ
出演:フランシス・ユステール、ジャン=フランソワ・バルメール、、リラ・ケドロバ、ベランジェール・ボンブワザン 他
出典:映画.comより引用
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●鳥越アズーリFM「井筒和幸の無頼日記」(毎週日曜13:00〜13:50 生放送中)
■出身地 奈良県
奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している
■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw
■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp