「残り時間についての件」
今年のアカデミー賞で七冠獲得の「オッペンハイマー」の監督クリストファー・ノーランの処女作「フォロウィング」が公開されたので見に行きました。主人公の男は作家志望で創作のヒントを得るために街で偶然出会った人を尾行してネタを探す。という興味深い予告編と70分という短い上映時間、さらに「騙されるな」というキャッチフレーズに俄然惹かれて平日のお昼に新宿までワクワクしながら見に行ったのです。
で、どうだったのか。それがどういうわけか映画が始まり、「あれあれっ!?」と気付いたらエンドロールが流れていたのです。何が起こったのでしょう。全くおぼえていません。映画に何が起こったのかではなく、僕自身に何がおこったのかがわからないのです。見終わった満足感がないではなく、見た記憶がない。重い足取りの帰り道。これはおそらく映画が始まった途端に寝てしまった以外に説明がつかないという結論で渋々自分を納得させました。いや~、本音では全然納得できていません。60年以上生きていますが、初めての経験。確かにどんなに生きていようが毎日が初体験なのでこんなこともあるのでしょう。でもですよ、家を出る前はウキウキ気分(ワッ古ッ、この言い方は昭和だな汗)でしたし、電車を乗り継いで明確に「見たい!」という強い意識で見に来た映画なのです。前日もわりと早めに床に入りましたし、体調もよかったのにそんなことがあるでしょうか。家に戻ってパンフレットを見返してもまるで知らないシーンばかりで何一つとして覚えていないのです。断片的な記憶の欠片すらありません。
さすがに気になったので、最近一緒に仕事をしている後輩に話したのです。すると大して意外なことではないという顔であっさりと「春だからじゃないですか」という返答。いわゆる春眠暁を覚えずということです。でもそういう回答を望んでいたわけではないので、「いや、でも日本はもう四季とか感じないしさ・・」と言うと「じゃ、花粉症の薬のせいですよ、飲んでいるって言っていましたよね、そんなこと考える時間があって羨ましい」とまで言われ撃沈。Z世代は悩みを共有しないのが特徴なのかもしれません。
そんな彼との会話で一番気になったのは「春だから」ではなく「そんなこと考える時間」という部分。このところ僕の最大の関心事がまさにこれです。昨年独立して事務所を作り引っ越した件はここにも書きましたが(※とりとめないわ91話92話)、そのとき強引に段ボール箱に詰めて持ってきたモノたちの中で今後処分をどうするか悩んだものが3つあります。本と書類と1/2。あ、1/2というのは僕が身を置く業界用語だ、VHSビデオのことです。書き改めます。本と書類とVHS。書類は半分は仕事でもう半分は高校生くらいから書いてきている諸々の落書きのような文章とかボツになったコピーとかです。VHSテープ(※写真①)はDVDが普及する前の仕事(コマーシャル)のものが主ですがこれは近所に安価でデータにしてくれるところが見つかったので一気にお願いして片付きました。書類は一旦保留。保留癖はよくないことは重々承知の助(ウワッ、これまた古ッ)ですが、この山にふれるのは引退後なのかな。僕の商売は引退がない落語家さんとよく似ているので生涯このままが濃厚です。そして最大の問題が本のまさに山。
本棚、本箱、そして本を積み上げたタワー(※写真②)、さらに別の場所(実家の倉庫)にもかなりの数があります。コロナ禍でやった断捨離や引っ越しの際に半数ほどは捨てたりブックオフにも出しましたがそれでもどうザッと数えても2~3千冊はあります。そのうち1500冊以上は未読です。それに対して僕の残り時間は仮に平均寿命まで生きたとしてもあと20年。毎週1冊読破していくと20年で1040冊か。あ~、ぜんぜん足らないや。もうきっと読み切れません。なのに昨日も新刊を買ってしまう馬鹿なオレです。
そんな馬鹿なオレは2日後、もう一度「フォロウィング」を見に行きました(※写真③)。全くもって時間とお金のムダを繰り返す人生です。今回はちゃんと最後まで見終えましたが、今ひとつ内容が理解できませんでした。そのことを前述の後輩に話したところ「それは老化ですね」の一言で片付けられました。
ところで、僕はまだ処女作を出していないので、つまり処女ですという話はまたの機会に。
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