Tipping Point がやって来る?! @Bell House
大きな門を潜り、緑豊かな庭の先に現れたのは、250年前にロンドン市長であったトーマス・ライトの田舎の邸宅として建てられた屋敷、ベルハウス。その名の通り、建物の中央には鐘が設置されています。教会でも学校でもない自宅に釣鐘とは珍しい?ライトは地域社会を重んじ、地元の消防活動に人々を集めるのを助けるためにわざわざ自宅に鐘を設置し、その鐘は次の世紀にわたって使用されました。今回はそんなベルハウスから、グループ展「The Tipping Point」をお伝えします。40人以上のアーティストが、個別にキュレーションされた6つのスペースで、様々な「Tipping Point」を検証します。
目に入るのは二階の窓から表庭にまたがって吊るされていたバンティング(三角旗)。Lucy Soniのインスタレーションで、花柄パターンの上に「CONTENT」の文字が縫い合わせてあります。和製英語でお馴染みのコンテンツ(メディアを通して伝えられる情報内容)ですが、contentにはまた、幸せに満たされる、満足(感)と言った意味もあります。そして美術においては、作品の表現または示唆されているものやアイデアそのものを指します。
17世紀のオランダ絵画を思わせるような光と陰の美しいKim Thorntonの連作写真。筋肉隆々の女性たちがスポーツをしているように見えます。ところが、よく見ると、飛び込み台はブルーのポリバケツでその前には泡のついたタワシ。プリマ・バレリーナの片手にはアイロン?ボートに見立てた逆さまのテーブルに乗って漕いでいるのはオールではなくて床掃除用のブルーム(ほうき)。まるでそれは、さっきまで家事をしていた女性たちに突然魔法がかかった瞬間のよう!?
緑の祭壇には様々なオブジェが。供えられているのは供え物や祭器・祭具?
祈りを捧げている彫像は釈迦やマリアではなく様々な動物たち。Rachel Reidは陶製の神仏像をアップサイクルしてこれらの像を造り上げています。キリスト教や仏教などの組織宗教において信仰の対象となる神の彫像は人を模した形が一般的。一方、日本の神道や世界各地の少数民族の宗教や風習にみられるアニミズム思想である、人以外のすべての生き物や物のなかに霊神が宿るという思想や信仰があります。もし将来、そんなアニミズム思想が、何らかのきっかけで大きな組織宗教を覆すことになれば、こんな擬人化された動物像が祭壇に祀られる日も来るかもしれません。
一部が壊れた陶彫の頭上の器から古代植物であるシダ類コケ類そして野草が茂っています。Charlotte Squireの作品タイトルは「Palmyra AD 2035」 。パルミラは、シリアの古代都市。現在のタドムルの場所にあるシリア砂漠の中央に位置し、豊富な地下水と湧き水も有したオアシス都市。パルミラは紀元前19世紀の粘土板文書に初めて言及されています。ローマ統治時代の遺跡も最近まで残っていて、1980年にはユネスコ世界遺産に指定されました。しかし、近年のシリア内戦によりその多くは破壊されています。破壊と再生の歴史を繰り返してきたパルミラ。将来シリアの治安が安定し、かつて「ヤシの都市」と呼ばれたその地に再び緑が戻ることを祈ります。
階段を上って行くと、見上げれば漆黒の闇の中で逆さまになってしっかり抱き合う猿の親子の像。油彩画のキャンバスをくり抜いた円が虹色の光のように上へのぼっていっています。海洋学者でもあるChudamani Clowesは主にサンゴ礁を描いているといいます。白黒の部分は近年の海水温の上昇で深刻化しているサンゴ白化現象でしょうか。二つの階にまたがる作品は大きなうねりを生み出す海の竜巻である渦潮のようにも見えてきます。
部屋の片隅に佇む花に包まれた女性、フクロウにも似ていて何だかミステリアス。女性のモデルはBlodeuwedd(ブロダイウェズ)。ウェールズの神話上のブロダイウェズは、人間の妻を娶ることができない呪いをかけられた男スェウのために、魔術師のグウィディオンによって花々から創り出された美しい女性。しかし、彼女は別の男グロヌウと恋に落ち、夫のスェウを裏切り、グロヌウにスェウを殺すようそそのかした罰としてフクロウに変えられてしまいます。夫を欺き他の鳥たちから嫌われるフクロウにされた惨めな女性の話でしょうか。でも、こうも読めます。物のように男に与えられた女が性に目覚め、自ら狩りのできる自立、自由の翼を手に入れた物語とも。
この神話は1967年にアラン・ガーナーによって『The Owl Service』というファンタジー小説に書き上げられました。物語では現代のウェールズを舞台に3 人の少年少女が表題の由来となっている花のフクロウの模様が描かれたディナーサービスの皿を見つけ、神話の世界へ巻き込まれていきます。Sarah Doyle の作品タイトル「She Wants To Be Flowers」はこの小説の一節からです。花模様がフクロウの女性に変化するアニメーション作品も同時に展示されていました。
ジョージアン建築の出窓にLex Shuteのステンドグラスで作られた兜、そして色眼鏡が並び、背後から美しい光が差し込んでいます。よく見ると色眼鏡はガラスではなく、スライスされた瑪瑙(めのう)でできています。これらの兜や眼鏡を装着すれば魔法の世界にトリップできそう!?
脳神経が根となり、薬草が花を咲かせています。古いテーブルマットを用い、アクリル彩と繊細な刺繍で描かれた作品。画家のAlke Schmidtは、4年前から重度の新型コロナウィルス後遺症を患い、絵筆を持つことができなくなります。そして、リハビリのために刺繍を始めます。Schmidtは語ります。「HEALING プロジェクトは、神経可塑性(脳は生涯を通じて変化できる、プラスチックのように柔軟なものということ)と、刺繍がどのように治療効果をもたらすかだけでなく、脳を物理的に変化させることができるかについて学ぶことから始まった。それは、地球上の生命の永遠のサイクルの中での植物や土壌との関わりについて考える瞑想へと導いた。植物は私たちに栄養を与え、体を癒し、魂を潤す。ある者は私たちを殺すかもしれない。そして、私たちが死ぬと、私たちの身体は、数え切れないほどの微生物によって分解され、植物の糧となる。」
部屋の壁に映し出されていたのは氷山。
轟音とともに次々と崩れ落ちていく氷河 。Monika Kitaは、アイスランドでその様子を目の当たりにし、映像に収めます。右側の中央部は随分黒くなっています。これは気温の上昇によるバクテリアや藻類といった微生物の繁殖のためで、近年増えてきた傾向です。氷の表面が白ければ太陽光を反射しますが、黒いと熱を吸収してしまい、温暖化をさらに加速させます。その左にポツンと水面から顔を出しているのはアザラシ?家族とはぐれたのでしょうか。氷の厚みが減り、アザラシの子供が海に落ちて流されてしまうケースも急増しているそうです。
今回のキュレーターの一人のSarah Sparkesは展示テーマの「Tipping point」のインスピレーションとして、オクタヴィア・バトラーの1994年のディストピア小説『Parable of the Sower (種まく人の寓話)』を紹介しています。物語は、資本主義、富の不平等、抑圧的な政権、気候変動により社会が急速かつ暴力的に崩壊した 2024年に始まります。15歳の主人公ローレン・オヤ・オラミナは、唯一永続する真実は変化であるといい、最終的には地球を超えた地に、すべての生命の種子が移植され、新しい状況や場所に適応できるという新しい信念体系「アースシード」を創り出します。
「Tip」は「ひっくり返る」を意味します。そこから「Tipping point」(ティッピング・ポイント)とは小さな変化や出来事が積み重なって、突然巨大で重要な変化を起こすポイントを指します。それは魔法のようかもしれないし、害悪を及ぼすかもしれません。そしてそれは、新たな前進を告げる変化の予兆で、過去にはもう後戻りできない地点なのです。