タイトルを変えて出直すことにしました
「今のお前は全然ダメ。面白くない。こんなに当たり障りのないやつになったなら
コラムなんか書かなきゃいい。何が世直しだ。やめちまえ。
番長とか名乗るな、お前はただの課長だ、
課長プロデューサーの忖度コラムに名前を変えろ」
と言うお叱りをある人から受けました。
以前のコラム、「番長プロデューサーの世直しコラム」を200回書いて、200回記念の対談を、
友人の俳優にお願いして、2回の対談記事を出していただいたところで、一旦お休みをいただいておりました。
実は、コラムも対談も、いろんなしがらみを気にしすぎて思い切りやれなくなっていました。
冒頭の指摘で悩んで書けなくなってしまったのです。
僕の本業はCMのプロデューサーです。そして会社員。
僕の一番気にしなきゃいけない仕事は、進行しているプロジェクトに
参加してくれている人たちの生命と精神と健康と収入を守ることです。
それを守れず、無理をさせて事故でも起こした日にゃ、
ボコボコに叩かれて一瞬でその職を失うでしょう。
自分じゃなくてもパワハラ、セクハラなどがその仕事内の誰かにあったとしたら、
その責任すら負います。
CM自体の表現についても、そもそもそうです。
そういう意味でもコラムの場で、フィールドが違っても自身の発言も昔みたいに
荒い言葉は簡単には使えません。それは仕事に直結するし、別人格ではいられないからです。
コンプライアンス厳守を通り越してコンプライアンス原理主義みたいな要求をされています。
最近話題になった「不適切にもほどがある」と言うドラマで
俳優の山本耕史が演じた危機管理担当のプロデューサーの病的な悩みや言い分は、
笑い話ではなく、いろんなプロデューサーと名の付く人は、今は本当にあんな感じで
苦しみながらやっています。
そう言う現状の中で、それでも比較的言いたいことを言わせてもらっていたのが
「世直しコラム」でした。自分の中では随分気を遣っているつもりでいたんですけどね。
書いた内容について炎上したことはありますが、コンプライアンス的な失敗は
なかったような気がしています。
それでも、もう余計なことを発信したりしないでほしい。と言うご意見も仕事関係には
チラチラありました。
逆に、冒頭でお叱りを受けたように、もっと過激にやってくれ。どうした、口篭ってるんじゃないか?キレが悪いぞ。という意見もありました。
人間が書いた文章というのは面白くて、ほぼ読む人全員が受け取る印象が違うものです。
読んで持つ感情も意見も全部違う。ということが200回書いてわかりました。
え?そこ?
SNSの炎上騒ぎなどを見ていると、人の書いたものを読んで何か思うときは、
書いた人の問題よりも、読んだ人の問題。読んだ人の心の鏡に問題が起きてるんです。
つまり書いた人の気持ちはもうそこには関係がなくなっちゃって、
その人がその文章に触発されて、自分の中の同じ方向性の別の怒りが噴き出しちゃうだけなんです。
他人と意見が違うのは当たり前。自分と違った意見でもふーんで済ませりゃいいものを。
それも、文章全体を読んで、書いた人が何を言いたいのか冷静に考えてくれる人は少なく
ある一部分を切り取って感情的になり、それに支配されたら全体の内容や言いたいことなんか関係なくなる。
という強い爆発力もあります。どれだけ誤解が多いことか。ちゃんと全部最後まで読めよ、
比喩や反語もあるんだから、本当は何を言いたいのか?を想像してくれよ。と思うんですけどね。
昔から新聞や雑誌のインタビュー記事なんかに、「言ったことと違う」と揉める
芸能人やスポーツ選手がいますが、まさに、切り取られ方の問題なんですね。
自分の意図を他人に伝えることはかなり難しいことなのです。
文章の読み取り方は千差万別。
長い文章を読んでどこを読み取るかは人によって違うし、沸き起こる気持ちは全部自分の投影
でしかないんです。そこに良し悪しもない。
よくよく考えると、広告の仕事でコピーライターをやっている人は、コンプライアンスとか言い出す随分昔から、誤解を生むような書き方は絶対にしないし、誤解と怒りみたいなものをどんどん削っていきながら、商品やサービスについて、目を引き、楽しませて純度の高い理解を求める。というのが仕事です。
書いたコピーを読む側に立場を変えて自分を投影して検証する。を繰り返す。
コピーってすごい仕事だとコラムを随分書いてからわかったような気がします。
そもそも世直しコラムと名乗っていたのは、
まあ、自分の中に社会の不条理やいい加減さへの怒りや不満がいっぱいあったんです。
それを、言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、言えなくて便秘や二日酔いみたいな気分で
過ごすのも嫌だし、綺麗事ばっかり言ってる世の中に、なんか気づくようなことをわざときつい言葉や汚い言葉で笑いながら言ってやろう。という考えで始めたのは事実です。
それ自体が、許してもらえない世の中になってきました。
悪戯も冗談も洒落も通じなくなってきた。
最近は、綺麗事が正しい事実だとヒステリックに思い込もうとしている世の中です。
人間の欲望や本音は別にあるんだけど社会生活の中で綺麗事を犯すと大変なことが起きます。
小学校の帰りの会のような毎日です。
言い訳と愚痴はその辺にして。
今回からは新シーズンです。
「子連れ番長のCMプロデューサーコラム~刮目相待」
と言うタイトルに変えました。
新しいタイトルには、その辺りの反省や自分の環境の変化や、次にやらなければいけないと
思っていることやなんやかんやの思いを込めました。
ひとり者で、失うもののない佐賀から出てきた田舎のヤンキーが、
剥き出しで「なんだこら、お前バカか?」と書いていたコラムから、
そんな態度が取れない風潮に空気の変化があり、なんか的外れよねって気分になり
世直しってタイトルからして?になった。
歳を取ってから娘もできて、あの頃のままの態度では自分が時代にそぐわないのは
もうわかってはいるんだけど、そこにわざわざ合わせるのではなく、
なぜそうなっているのか?それは正しいのか?お前おかしいよマジで。
とちゃんと考えて慎重に
発言をしていく。というスタイルに変えた時に、ちゃんとした態度で
面白い意見を発信できるのか?
を自分に試しながらコラムという形で表現できればいいなあと思っています。
刮目相待とは、三国志の一説に出てくる言葉です。
平たくいうと、
「これまでの先入観などを捨てて新しい目で相手の変化や進歩などを見直さなければならない
ということのたとえ」だそうです。
時代から自分に求められていることはこのことのような気がします。
そういう気分で、痛い目にあう平成に頑張った同世代や、今の若者たちの希望の変化にも期待しながらまた文章を書きたくなった。ということにしておいてください。
シーズン2もよろしくお願いします。
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