自分をフルモデルチェンジできるのか?

Vol.002
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

コラムの連載をお休みしている時に
時代に合わせて自分の精神や人格についてのフルモデルチェンジを
早急に、しかも本質的にやらないといけないと考え始めたんですが、
なかなか何をどうしたらいいんだか難しい問題に直面してしまいました。
今がどんな社会で、自分がどういう奴なのか?
自分と世の中についてどう考えて、どう位置付けるべきなのか?
表面的にわかったフリをしたり、流れに合わせるのは無理ヤリならできるでしょうけど
感情的になったり酔っ払ったり、追い詰められたりしたら
そのメッキはボロボロにハゲるんでしょうし。

 

なんか言うと昭和昭和といわれるけれど、昭和に仕事をしたことはなく

本当の仕事人としての自分は平成を丸々駆け抜けたと言う時代感の中にあるんだ。

と言うことを忘れちゃいけないなあ、と思うのです。

 

昭和と平成の違いは日本の社会全体で山に登る時と下りる時との違い。

平成は、失われた30年と丸々合致する時代なので、自分が入社するちょっと

前に吹っ飛んだバブル時代の残り香を嗅ぎながら、敗戦処理投手のような役割も

多く担っていました。

歳をとってだんだん弱っていく、またはみんなの機嫌がだんだん悪くなっていく

という社会の中で一緒に歳をとってきたんですね。

 

そして、ついに山から降りて平地にたどり着いたのが令和の時代。

令和の時代は、よく言われるブラック企業に対してのホワイト企業みたいな感じで

これまでをブラック社会だったとすると、今を「ホワイト社会」というそうです。

平たくいうと

行動や発言が清く美しく、汚れなき漂白された「見た目がきれいな社会」

ということ。 より具体的には人の悪口や暴言を慎み、おならや泥酔などみっともない行動

なき社会のこと、だそうです。

 

ホワイト社会に生き残れる男は、女の人目線を理解する男。とされています。

まず清潔であること。そしていい人であること。

いい人の定義は、他人の悪口を言わず、自虐的な発言もせず、女性に偉そうにせず

人の意見をちゃんと聞き、否定せず。

 

「男らしい」という本宮ひろ志の漫画を心の支えに生きてきた僕なんかは

素では生きていけないような社会になりつつあります。

 

山を登っている時のような社会は、元気な奴ががむしゃらに引っ張っていく社会。

ある程度の強引さや荒々しさが必要ではある。山を下りる社会は、落ちたら死ぬぞという

危険を知らせるリーダーがこれまた強引に引っ張るけれど、それに不満を持つ人が増えた社会。

インターネットも普及してきて、いろんなリーダーたちの悪事が暴露されるようにもなった。

山を登って、降りて、平地にたどり着いたんだから、

引っ張ってくれる人はそんなに偉くない。引っ張ってくれなくても結構。

変な男の維持の張り合いはむしろいらない。

女性的なフラットな目線でみんな暮らしたい。そんな気分なんでしょう。

 

そんな「ホワイト社会」がほんとうにそんなにホワイトか?と言うことが

性悪説的な僕の中には疑問として残るのです。

 

サッカーの応援に行ってスタジアムを掃除して帰るファン。素晴らしいと思うけど

マスコミやネットニュースに取り上げられなくてもやるんだろうか?

そう言うことを言うだけで叩かれそうな気配でもある。やるんでしょうけど。

というのは、朝の恵比寿駅の周りは、飲食店にも入らないでコンビニで買ったお酒を外で

飲んだ奴らの空き缶とつまみの放置ゴミだらけ。

サッカーの観客と同じ日本人の社会なのか?と結構目を疑うような光景の朝もある。

それを、ワザワザ企業名や地域の町内会の名前の入った揃いのビブスをきた人たちが、

社会奉仕活動として早朝から掃除して回る。なんだかなーと思う。一言では言えない違和感。

ダメな行為といい行為と嫌な行為が混在した人間らしい違和感。

 

フラットな目線のホワイト社会というのは二重人格社会だと思うのです。

人間の欲望と建前。

建前の部分を徹底的に守らないと社会悪とみなされる。一発退場のレッドカード社会。

本来持っている人間の欲求や願望、嫉妬や他人と意見の違うことに対する否定的態度、嘘、

怒り、などは嫌われた上で無視される。

 

みんな自分の欲望みたいなことは隠して、いい人を演じながら生きる。

それを自分で拡散しながら生きる。

たまに酔っ払ったり我を忘れた人がボロを出す。

それを携帯で証拠を撮影され、拡散されて晒され、袋叩きに合う。

 

特に会社で90年代にいろんなパートで活躍した男たちがモデルチェンジできずに退場

させられるのをたまに見かけると、そういう観点が抜け落ちているし、自分は間違っていない。とたかを括っているように見える。

 

そんなハードさとは裏腹にホワイト社会とは、保育園みたいな世の中をみんなで望んでいるようなものです。

もう、どうすんだよこんな社会?と思うんだけど

自分の中に、裁判にはならないようなことの、善悪を判断する基準を持とう。

と言うことしかないのです。

いい人のふりしてホワイト社会に順応するために自分の軸を失うのが怖いのです。

 

人に嫌われることを恐れない。人と違うことを恐れない。

礼儀正しくして、周囲に流されず、自分のことは自分で決断し、日和らない。

仕事は戦争や戦いだという感覚を丸ごと捨てなければだめだ。自分との戦いでしかない。

そう思ってないとマウントを取りたがったり、人を批判したり非難したりしてしまうからだ。

 

今の社会の風潮と自分の基準。

そこを分かった上で自分の立ち位置を確かめる。

言いたいことがあるときは言い放つのを我慢して言い方を考える。

無理やり分かったふりもしないし、今起きていることに無関心にもならない。

今、若い世代に人気があるものは何で、なぜ流行るのか、真面目に考えてみる。

どんな社会なのか?と、どんな自分でいたいか?のバランスの中で発言や振る舞いに

気をつけようと思うのです。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
自分の関わった仕事の案件で、矢面に立つのは当たり前と、体と気持ちを突っ張って仕事をしていたら、ついたあだ名は「番長」。
52歳で初めて子どもを授かったのでいまや「子連れ番長」。子連れは、今までとは質の違う、考えた事も無かった様な出来事が連発するような日々になったけれど、守りに入らず、世の中の不条理に対する怒りを忘れず、諦めず、悪者だけど卑怯者にはならない様に生きていたいと思っております。

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