セオリーとリスク

番長プロデューサーの世直しコラムVol.92
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

高校野球の季節ですね。

ジャイアンツからヤンキースにいって活躍した松井秀喜が高校生の頃、甲子園で5打席連続で敬遠されて負けちゃった試合がありました。 もうずいぶん前の事ですが。

この例は極端ですが、高校野球ってチーム優先の、そういう感じの戦い方をすることが往々にしてある様な気がします。

例えば、九回裏、一点負けている場面でノーアウトからランナーが出る。 次のバッターが4番打者だったとしても、高校野球の監督は送りバントのサインを出す時がある。 4番打者は、その送りバントを結構正確に決めてくる。 その後、後続の打線が打ち取られてゲームセット、惜しい負け方。 逆に、その送りバントが功を奏して、打線が続き、逆転サヨナラ勝ち。 ということもある。 全ては状況判断だし結果論ですから何とも言えません。

でも、そんなとき、そんなチームの4番打者の気持ちを思うと切なくなる時があります。違和感を感じる。高校野球はチームの優先のセオリーを大切にしがちだからでしょう。 チームが勝てばなんでもOKが常識のように言われていますが、本当にそうでしょうか?

僕が4番打者だったら、監督の送りバントのサインは無視します。 3年間、何のために頑張ってきたのか?そういう場面でヒットなりホームランなりを打つために他ならないからです。 セオリーはおいといて、僕の優先順位はこの緊急事態を自分の力でなんとかするという気構えだし、そこで活躍できる人間かどうか、自分がやってきた事を本番で試したい。 しかしそこには、当然、リスクが出てきます。 リスクとは 「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」 だそうです。 最近、サッカーの中継等で頻繁に使われている「リスクをとる」という表現。まさにあれです。

セオリー通りの監督のサインを無視して強打に出るという事は、凡打したらランナーもバッターもアウトになる可能性が高い。それがリスク。強打に出て失敗した場合、選手はその全責任を負わされるという事になります。 しかも、ホームランを打って逆転サヨナラ勝ちをしたとしても、そのバッターは、試合後のミーティングで監督に怒られるでしょう。 次の試合は外されるかもしれない。

送りバントのサインはセオリーですから、失敗しても成功しても、その結果が試合の負けだったとしても、誰も責められることはありません。誰の顔もつぶさないからです。 選手は監督のサインに従ったんだからしょうがない。 監督はセオリーに従ったんだからしょうがない。 そこにはなんの反省も敗因の分析も無く。

日本人の、という言い方は好きではありませんが、セオリー通りにやったら、失敗しても誰も責任をとる必要が無い。責任をとりたくないから人の言う事だけをやる。という風潮が、この日本人の組織論の嫌なところを象徴しています。 だれもケツをふこうとしない世の中。

リスクを負いたがる人ばっかりでは社会は成り立ちませんし、ギャンブラーだらけの不確実な社会になってしまいます。ただ、リスクをとる選択をしたがる人を徹底的に排除しようとする集団の論理は危険だと思うのです。

むしろ問題は、リスクをとって、矢面にたって戦おうとする人間が居なくなってしまっている社会にあると思うのです。そういう社会には発展がなくなるし、想定外の危機には対処できなくなる。

想定外の危機にはセオリーがないので、すべての判断がリスクを伴います。 だから、人がたくさん死ぬかもしれない様な緊急事態に、責任とりたくないやつらが右往左往するだけで現場にも行かず、逃げ出したり、なんの対処もできなかったりする。 ジャック・バウアーがいない国。

僕たちは、「協調性の大事さ、あらかじめ決められたルールを守ることの大切さ」 をずいぶんきつく教えられて育ってきた様な気がします。 仕事でも、スポーツでも、学校でも、個人の利益と組織の利益は違います。 協調性の大事さはわかるけれど、それを盾に取って、組織の都合のいいように個人を押さえ込んでいる事が多いように感じるのです。

だから、個人としては、もうそろそろ気づいた方がいいと思うのです。(一概には言いきれませんが)学校や会社で、問題も起こさず、言われた事をきっちり守って、ことこつ真面目にやってきたとしても、信頼は得るだろうけど、偉くなったり、金持ちになったり、異性ににもてたりはしないという事です。 嫌な事も少ないだろうけど楽しい事はもっと少ない。そういう生き方が好きな人もいますから、それでもいいならいいんですけどね。人それぞれですから。

人と違ったアイディアを自分の頭で考え出して、実行する。歯を食いしばって成功に導く。警察に捕まらないなら法律以外の決まり事なんか破ってやるぜ。というくらいのことをしないと、平凡を超えるいい事は起きないです。 そこにはセオリーの無視とリスクがついてまわります。 いいじゃねえか死ぬ訳じゃないし。

そもそも、ものすごいスピードで世の中が変化して行く中で、今まであったセオリーなんてもう古くなっちゃって時代遅れになっている事を感じるのです。 スピード勝負になっている状況で、「想定外です」と言いながら「前例がありません」なんて言っていると融通の利かない馬鹿だとしか思われない。

成功するイメージが持てず、失敗する事が嫌で、苦手な事を全部敬遠したり、送りバントを強要する様な人間にはなりたくないと思う訳です。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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