「僕の坂道(前篇)」

第111話
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター
Akira Kadota
門田 陽

晩秋の土曜日午前5時起床。久しぶりに仕事の締め切りが何もない週末。いつもと同じ朝のルーティン(※詳細を知りたい奇特な方はとりとめないわ108参照)の後、足の怪我も(※こちらの詳細はとりとめないわ109)ようやく癒えたので散歩に出かけます。天気は晴れ、空気は少し冷んやりとして気持ちよいです。それだけでも早起きは三文の徳な気分。

写真①

ただこの諺。令和の今は人によって大きくとらえ方が異なるようですが、僕はポジティブな意味のほうです。諸説ある中で、三文は今のお金だと100円弱なので「早起きしても大していいことはない」と理解している人が最近はわりと多いそうなのです。もう長いこと円安ですし、言葉は移ろいやすいので仕方ないけど、どうなんでしょう。早起きをして散歩に行くと、同じく早起きをしている人たちに出会えます。それがわかっただけでもかなり得した気分。これはそのまま仕事(霧島酒造)のコピーにも使いました(※写真①)。また一日100円でも一年だと3万6千5百円。ちょっと贅沢な食事に行けますよ。老害上等!前者の意味のままであってほしいという願いは昭和生まれの虚しい叫びですかね。

写真②

さて。いきなりくねくね横道に逸れましたが、家を出て約3分。横断歩道を渡ると長めの坂があります(※写真②)。この坂を上るとそこに湯島天神があってお参りをして戻るのがいつものコース。坂の名前は湯島中坂だそうです。ここだけではないのですが、僕は坂道を歩くとときどき同じ曲が脳内から溢れついついそのフレーズを口ずさんでしまいます。RCサクセションの「多摩蘭坂」です。作詞はもちろん作曲も忌野清志郎(敬称略でごめんなさい)。この曲が発表されたのは1981年。僕は18歳。ちょうどその年に免許を取って初めて買った車でカセットテープが擦り切れるまで何千回も聞いた曲なのできっと体にしみ込んでいて坂を歩くと自然と出てくるのかもしれません。その後、社会人になり20代の後半に東京で暮らしたときに一度、たまらん坂(清志郎の歌のタイトルは「多摩蘭坂」ですがこれは当て字で正式な名前は平仮名だそうです)を訪ねたことがあります。当時はまだ聖地巡礼なんて言葉のない時代。もちろんネットもスマホもなく地図と交番と地元の人に聞きながら無事に見つけられたのですが、あまり印象に残っていません。なぜだろうと思いながら散歩終了。すぐに部屋の上にある事務所に行って、堆く積まれた本の山(※写真③)の中からあの頃よく読んだあの本を探しました(※写真④)。ついでにラジカセも出してCDでRCの曲をかけます。

写真③

写真④

あ!ありました。忌野清志郎著「十年ゴム消し」。この本はよく読みました。清志郎の20代の頃の日記が綴られています。まるで自分の日記ようで、開くのが少し気恥ずかしい。久々に読み返しました。そしてこれはもう行くしかないと33年ぶり2度目のたまらん坂に向かいます。清志郎が亡くなって今年でもう15年。たまらん坂はまさに聖地になっていて5月2日の命日には多くのファンが集う場所。こんなとき、令和は便利。地図アプリが難なく迷いなく導いてくれて現地に到着。坂の途中に昔はなかった石碑(※写真⑤)があってそこにたまらん坂の名前の由来(近くにある一橋大学の学生が「たまらん、たまらん」と言って上ったとか、大八車やリヤカーを引く人が「こんな坂いやだ、たまらん」と言った)が記してあります。

写真⑤

あ~、そうだ。以前来たときもしっくりこなかった理由がわかりました。この坂、そんなに「たまらん」ことはないと思ったのです。勾配が緩やかなのです(※写真⑥)。

写真⑥

何なら湯島中坂のほうがよっぽどたまらん坂なのです。実際の傾斜もたまらん坂は平均斜度1.8度で湯島中坂は4度なので倍以上湯島中坂のほうがたまらんのです。たまらん坂からの帰途、電車の中で「多摩蘭坂」の歌詞を反芻していたらもう一箇所行かないといけない場所があることに気が付きました。

そうでした。僕は小学1年から6年生まで、坂の上の家から学校に通っていました。町内の人しか使わない坂なので特に名前は付いていませんでしたが、これがなかなかのたまらん坂でした。ある日、僕が「きつか坂」と命名(きつかはつらいの博多弁)。するとすかさず母が「ざんねん坂」(坂さえなければいい場所なのにという意味)と命名。母のネーミングの方がセンスがいいと思ったのでしょう。

あっさり僕も「ざんねん坂」と呼ぶようになりました。そうです。あそこに行かなくちゃ。
たまらん坂のある国立駅から帰宅するやいなや、最低限の荷物を鞄に詰めて空港に向かい気が付くと福岡行きの飛行機の中。この先は「僕の坂道(後篇)」につづく。

ところで、朝に関する諺に「朝酒は門田を売っても飲め」というのが本当にあって自他共に認めるのんべえの門田としては放っておけないという話はまたの機会に。

プロフィール
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター
門田 陽
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州、(株)電通を経て2023年4月より独立。 TCC新人賞、TCC審査委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

門田コピー工場株式会社 https://copy.co.jp/

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