モラルと秩序

vol.005
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

ずいぶん息苦しさの感じ方が加速した世の中になった。
異常気象のせいでもある。
いきなりなんだ?と思われるかもしれないけど
会社や組織に所属していると、それを言っちゃダメあれをやっちゃダメ
が多くて思った事も言えないし感情を出す事もできなくて結構身動きが取れない。

まあ、なんとかハラスメントの類の話が多いんだけど
根本的な何かが大きく間違っているのにそれを正さずやっちゃダメなことを
決めるのが好きな世の中だなあと思う。罰則が大好きだな。

罰則を決める前になんでそんな問題が起きたのかよく調査して
そういう問題が起きた原因を特定して、そうならないように何かやり方を変える。
考え方を変える、新しいことにチャレンジしてみる、とかをした方がいいと思うのだけど、
色々試すより罰則作る方が楽で手取り早いのだろう。

昔いた会社で、プロデューサー会議の議題で、会社の売り上げが下がって来た
ことが話題になった。あるプロデューサーが、入ってくるものが減って来たんだから
出ていくものも減らさなければいけない。と真剣に、罰則を強化しろと発言した。
清算を厳しくして、無駄な経費を減らし、支払いを値切り、原価の計算を
厳密にするという提案だった。

なぜそういう発想しかないのか、チッチェー奴だ。若かった僕には理解ができなかった。
入るものが少なくなって来たなら、入ってくるものを汚い手を使わずに
もっと増やすにはどうしたらいいかなぜ先に考えないんだろう?と思った。
その上で無駄な出ていくものも減らそう。ならわかる。
真っ先に罰則を思いつくのがある世代のおっさんの悪い所で気持ちが悪かった。

そもそもセクハラやパワハラ、モラハラなどの訴えが減らないのはなぜだろう?
罰則を強化されても事の重大さに気づかない、モデルチェンジできない大人たちが、
どう言ったら理解するのかを真剣に考える必要がある。

モラル、を辞書で引くと
社会やコミュニティーの中で何が正しいか、何が間違っているかを自分の良心や主観に基づいて判断し、行動すること。
と書いてあります。

そもそも日本には実はモラルという考え方はない。善悪の基準みたいなものがないので
自分で善悪の判断をすることができなくなっている。できなくなって来たんじゃなくて
ずっと前からできていないのだ。

ここにあるのは「秩序」だけ。
大半の人間は、「秩序」を守ることをモラルだと大きく勘違いしているところが大きな
間違いです。集団や組織が決めた古いルールを守っていれば間違いはない。
問題が起きれば新しい罰則を作って抑え込め。ってことがモラルだと勘違いして疑いもしない。
大半がおかしいと思っていても、おかしいと言い出さないために正しいになってしまうのも
この世の中の秩序のせいでもある。秩序が悪いんじゃなく悪い秩序が蔓延っているのだ。

秩序の意味はそもそも、その集団や社会が望ましい状態を保つための順序や決まり。
という意味です。それは大切なことなんだけど
モラル的な意識のない、集団で暮らしている動物が守っているのが実は秩序でしかありません。
言葉もモラルも存在しない猿山の暗黙の約束事みたいなものも秩序です。

その人間の秩序の中には、猿と一緒で上下関係を守るというニュアンスが
とても大きく含まれていているから
上位者の悪い人たちは、秩序に従った体で好き勝手なことをしても罰せられないような
システムを作っているようなところもある。ボス猿用の抜け道が必ずある。
それを自分のモラルで規制するような上位者も見当たらない。

日本にモラルがないのは政治だけの話じゃない。
金と力があればなんでも好き放題できて捕まりもしないというのが今の世の中。
自分の中に自分で決めた正義を持ってそれに従って生きるという人は、自分も含めて
いないに等しい世の中なので、たまに正しい人が迫害されたりするのを見ちゃうこともある。
正しい人は甘えがないので、相当うまくやらないと、甘えた、都合のいい居場所に
しがみついている人たちからすると都合が悪いので悪に仕立て上げられて袋叩きにされたりする。無視され続けるか群れを追い出される。

モラルもなく、欲丸出しで、そもそもこれといった宗教観もなしでは
バレなきゃ何をやってもいいという欲望の発散ができる。
そして唯物論。金を稼ぐ奴、持ってる奴が一番偉いという価値観が残る。
精神的な正しさは金にならない。物質的なものが根源的であるという価値観。
そういう価値観が年寄りだけでなく半端に若い人にも浸透して、
新しい形の卑怯な事件、インターネットで繋がった特殊詐欺などの犯罪を
見かけるようになった。

教育で子供に教えている内容も、人生の意味は自己充足、自己実現、自己評価。と
セルフ気味で、ある意味間違ってはいないんだろうけど、それだけで社会は成り立つのか?
そもそも社会がこれじゃ自己充足もクソもあったもんじゃないだろうに。
立派な大人として普通の若者が自立することすら難しい。

大人たちが浅ましさすら隠さなくなっているので若い人たちはそこに関わりたくないという態度を示し始めている。なんなら日本にいたくない。会社で偉くなってもいいことはない。
この変な社会に嫌悪感を持っている若い人が、それが変だと感じない鈍感で感覚の麻痺した大人たちに対してアレルギーを起こしているのが一連のハラスメントの正体なんじゃないかと思うのです。
そもそも日本人はこの時代をちゃんと生き抜いていける総合力が備わっているのかすら疑問に思う時がある。生き方や考え方はこの時代に見合っているのだろうか?

と、文句ばっかり書いて、まあ、誰もが薄々感じていることだと思いますけどね。

自分たちの持ってる問題を解決しないで、外から来るSDG’Sみたいな当たり前のことを
うひゃーとありがたがって結局何もしないとかじゃなくて、もう少しちゃんと考えましょうよ。

こんな日本の状況に必要なのは「道徳学」みたいな学問の研究と確立だと思うのです。
大人がちゃんと考えて、グローバル社会に通用する日本人の、日本人だけじゃなくてもいいけど
都合や誰かに忖度した考えを排除した、建前ではない道徳学を、学校で教える教科として成立させて、国語や数学と同じ時間で価値として教える。
どんどん増えてくる外国からの移住者にも、最低限日本ではこういう考え方よ。守れよ。という
説明も必要になるだろうし、それがないと受け入れにも支障が出るだろうし。大人にもあらためて勉強しないとあきれられちゃうぞくらいの勢いで考えさせる。みたいなことができないんだろうか?

そしたら自分のことも他人のことも社会のことも好きになれるような人間、引きこもる必要もなく、外国に逃げようとも思わず、差別意識もなく戦争をしようと言う気もおこさず、楽しく生きていける人間になるんじゃないか?人間の本質とやらない方がいいことを解明する。
ただでさえ天変地異の危険に直面している昨今。死と隣り合わせに生きている覚悟がいる。
人間の幸せってそこにあるような気がするのです。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
自分の関わった仕事の案件で、矢面に立つのは当たり前と、体と気持ちを突っ張って仕事をしていたら、ついたあだ名は「番長」。 52歳で初めて子どもを授かったのでいまや「子連れ番長」。子連れは、今までとは質の違う、考えた事も無かった様な出来事が連発するような日々になったけれど、守りに入らず、世の中の不条理に対する怒りを忘れず、諦めず、悪者だけど卑怯者にはならない様に生きていたいと思っております。

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