SNEPと内定ブルー
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.94
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
最近知ったんですが、社会問題化している件で「SNEP(solitary non-employed persons)」というのがあるそうです。 これ、スネップと読むそうです。定義は 「20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚無業のうち、ふだんずっと一人か、一緒にいる人が家族以外にはいない人々」 簡単に言うと「仕事が無く、人とのつながりを持てない独身の大人」という事みたいですね。 2012年に東京大学教授の玄田有史氏が提唱した概念だそうです。
下記4つ全部に当てはまると“SNEP”だという定義があります。 ・20~59歳である ・現在、結婚をしていない ・仕事をしていない ・2日以上ひとり、もしくは家族としか話をしない
ニートと何が違うんじゃい?と思って調べてみたら、ニートは「15歳から34歳以下、仕事を探していない人、学生と主婦を除く」のことを言うらしく、また、「貧困」を問題にして区分けされた人たちのことで、スネップは「友人知人との交流の無い、仕事の無い大人」で「孤立」を問題にしているという特徴があるそうです。当然スネップかつニートという感じでだぶっている領域の人も居ます。
スネップは日本全国に162万人いて、この10年で2倍に増加しているらしい。 その大半は男性で30歳以上。病気や失恋、親の介護などの理由で前職を退職した人が再就職が決まらないまま就職できず、傷ついたり諦めたりして、孤独な生活になり、スネップになってしまうケースが多いそうです。 つまり、誰でも無業者になると簡単に社会的に孤立してしまう危険性があるという事らしいです。
そういう事が社会問題化している中、今年新たに取りざたされている言葉に「内定ブルー」というのがあるそうです。今年は例年になく企業の新卒に対する求人が多かったためか、来春からの就職内定者が多いみたいですが、そんな中で、内定をもらうと欲が出て、 「もっといい会社があるんじゃないか?」とか、 「本当に自分の決断は正しかったのか?」とか、 そういうことで本気で悩んでいる人が4割も居るそうです。そして、その憂鬱が晴れなかったら、入社前に内定の辞退を選択する人たちも少なからず出てきた。という事です。
もう、どうしたもんでしょうか?この国は。 深く突き詰めて行くと気持ちは解らなくもありませんが「そんな事言ってたって何にもなんねぇんだからまずなんかやれよ」と思うんですけどね。
作家の村上龍氏の本に『13歳のハローワーク』という本があります。 (編集部注:2010年に『新・13歳のハローワーク』が出版されています。公式サイトはwww.13hw.com)
学校で意味なく「将来なりたい職業」みたいな作文を書かせるんじゃなくて、世の中にはこんな種類の職業があるんですよ。といろんな職業の具体的な内容、なり方、やりがい、について子供に向かって解説してある本です。 その本の冒頭の部分にこういう事が書いてある。
どう生きるか。それは難しい問題です。いろいろ考え方があるでしょう。 しかし、ここにシンプルで、わかりやすい事実があります。それはすべての子供は大人になって、何らかの仕事で生活の糧を得なければならないということです。好きな分野の仕事で生活できればそれにこしたことはないということです。 (中略)
子供はいつか大人になり、仕事をしなければいけないのです。仕事は私たちに、生活のためのお金と生きる意味で必要な充実感を与えてくれます。お金 と充実感、それはひょっとしたら、この世の中でもっとも大事な物かもしれません。子供がいつか大人になり、何らかの方法で生活の糧を得なければならないと したら、できれば嫌いなことをいやいやながらやるよりも、好きで好きでしょうがないことをやるほうがいいに決まっています。(中略)
そして、自分は何が好きか、自分の適性は何か、自分の才能は何に向いているのか、そう言ったことを考えるための重要な武器が好奇心です。好奇心を失ってしまうと、世界を知ろうというエネルギーも一緒に失ってしまいます。 (『13歳のハローワーク』村上龍 より抜粋)
これを読んだときにびっくしました。あまりにもその通りだと思ったからです。
問題は、多くの親が「どう生きればいいか?」という事を考えないで生きている。という事にあると思います。 勉強していい学校に行き、いい会社に入る。ということしか知らなかったからその他の生き方が想像もつかないし、好奇心もないのでしょう。だから子供にも同じ事を要求してきた。できなければ学校の責任にしてきた。そういう流れでしょう。
お受験の成れの果てがスネップですね。
「どう生きればいいか?」 これは宗教であり哲学です。これだけ宗教観を毛嫌いするような国に生まれちゃって、ほとんどの人が事実上、無宗教観なんだから、ほぼ誰も教えてはくれませんね。自分で若い頃に死ぬほど考えろって話なんでしょう。成り行きに任せるな。と。 これを「自分で悩んで一生懸命考えろ。」と子供に教えないから、へんてこりんになっちゃうんじゃないかと思います。
僕は思春期の頃、親父に聞いた事があります。「何のために生きてるのかいまいち解らん」と。親父は「馬鹿かお前、なりたい自分になるために生きてるったい!何になりたいか決めろ!」と言いきりました。それが支えでもあります。
日刊イトイ新聞というサイトの中に、歌手の矢沢永吉が出てきて「矢沢永吉の就職論」(編集部注:『「ほぼ日」の就職論。』内のE.YAZAWAの就職論に該当)というページができた事がありました。その中でこういう事を言っています。
いまの人たちは、 「えらくならなくてもいい」とまで言うわけだよね。 プライベートを大事にしたいとか、 会社に縛られたくないって言う。 それもまあ、ひとつの人生だとは思う
ただ、ね、これは矢沢が 勝手に言ってることだと思って聞いてほしいんだけど。 その人が、40になっても、50になっても、 果たして同じスタンスを貫けられるんだろうか? ‥‥ここだけよ、問題は。
いまは、独身だよな。 もし彼女がいたとしても、 お互い若い二人で、子どももいないし。 で、オレ、べつにえらくなりたくないし、 それよりも、定時にちゃんと帰りたいし、 土日は絶対会社に振り回されたくない、と。 それはそれで、いいと思うんだよ。 実際、欧米なんかもそういう社会なんだから。
そんなにたくさん給料もらえなくてもいいと。 もちろん食っていくには必要な金がいる。 でもそんなに莫大な金は、いらない。 BMW乗らなくていい。それでいいやって。 ただ、ほんとに40になっても、50になっても、 そのスタンス変えなくていいんだな? ってこと。 最後までいくんだったら、 それはそれでひとつの生き方だよ。
だけど、ほんとにそこまでいけるかなと思うんだよね。 そこに現実というものがある。 現実はなにかっていったら、 結婚すりゃ、当然いつか、 子どものひとりくらい欲しくなるわな。 子どもができたら、いろんなことが始まるよ。 オギャーオギャーのうちはまだいいけど、 ちょっとよちよち歩くようになったら、 着るもんだ、乳母車だ、幼稚園だ、 滑っただ、転んだだ、 学校入ったら、塾だ、イカの頭だの、 いろんなことがぼこぼこ出てきて、 部屋は1Kじゃしょうがないから、 2Kくらいいるだろうって話だったら、 当然家賃も上がってくるわと。 それでも、同じこと言う?
「わたしたちグレイトだったね」って まちがいはないと言い切れる? その人は、俺に言うかもしれない。 「放っといて、自分の人生だから」 そう言われると、俺も、もうこの歳だから、 いろんな生き方を見てるし、 いろんな生き方があっていいと思う。 でもね、ただひとつだけ、ぼくが思うこと。 あえて言うけど、 「それを絶対あとで、人のせいにしちゃダメだよ」 というのは、言っておきたい。 あとで、国のせいにしたり、周りのせいにしたり。 わかる? これはダメだよって。 (『ほぼ日刊イトイ新聞 - 上がりたかったんだ。E.YAZAWAの就職論』より抜粋
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。