ターナー賞、40歳! 後編 @Tate Britain

Vol.152
アーティスト
Miyuki Kasahara
笠原 みゆき

Chaos (Room 1) 2024  Delaine Le Bas

コントラバスの重々しいサウンドの流れる部屋へ。移動型民族として知られるロマ(ロマ二)族出身の英国人デレーヌ・ル・バス (Delaine Le Bas)の展示。ル・バスの作品はこのコラムの第26回でも紹介しています。


Chaos 2024  Delaine Le Bas

墨の飛び散る白い布に描かれているのは骸骨や動物、嘆く女性、シンボルなど。ここは混沌の間。


Little Horse & Chaos 2023   Delaine Le Bas

音の聞こえてくるテントに入ると、黒い仔馬の人形が吊るされ、手の骨の形をしたオブジェが白い菊の花のように咲いています。悲しみ、祈りの社のよう。


Reflection (Room2) 2024  Delaine Le Bas

背後に気配を感じ振り向くと、先ほどの仔馬が白黒のチェッカーの道化師のような服を着た絵が招いています。そして、その先から差し込んでいる光を追って、進んでみます。そこは鏡映の間。焦点が定まらず、頭がクラクラしてきます。遠方には馬の脚のように毛のふさふさしたテーブル、手の形をした花のさしてある花瓶が見えます。手前にあるのは井戸でしょうか?覗いてみると道化師と同じ服を着て、白い靴を履いた女性が現れ、幽霊のようにさまよう映像が水のように流れます。穏やかなコントラバス音を引き裂く耳障りなバイオリンの音。


Incipit Vita Nova 2024  Delaine Le Bas

先に見えるのは双頭の馬?


Horse & Red Shoes 2023  Delaine Le Bas

映り込んでいただけで、そこにいたのは一頭の黒馬。その足元には真っ赤なベビーシューズ。ル・バスは2017年に同じロマ族出身で、共同制作者で理解者でもあった夫のデミアン・ル・バスを亡くし、その後支えてくれていた叔父、乳母を失います。この作品のモデルになったのは乳母が死ぬまで大切にしまっておいたル・バスのファーストシューズとおもちゃの仔馬でした。


Ascension (Room3) 2024  Delaine Le Bas

喪が明けたかのように色がさした明るい世界に出ます。描かれていたのは手形、擬人化された動物、シンボルなど古代の狩猟民族が描いた洞窟壁画のよう。その先には泣きじゃくるヒヒと真っ赤な足跡がペタペタと描かれ、後を追います。
昇天の間に入りました。


Ascension 2023  Delaine Le Bas

祭壇が現れ、太陽の下で踊るのは擬人化された珊瑚のよう。


Pythia (Know Thyself) 2023  Delaine Le Bas

蛇皮のような衣から脱皮したのはル・バス本人でしょうか?天井にはメドゥーサが描かれ、ピンクの足が踊っています。ル・バスの3室に渡るインスタレーション作品のタイトルは「Incipit Vita Nova (かくして新しい人生が始まる)」。ル・バス自身の嘆き、葛藤を胎内めぐりのように再現したかのよう。モビリティがよく、セカンドスキンともいえるテキスタイルを巧みに用いて空間を作り出す様は、移動民族としてのル・バスのルーツが感じられました。 

ロマ族は英国において、ジプシー、ロマ、トラベラー(GRT)の移動民族の一つとして一括りにされていますが、実際はそれぞれが異なる歴史を持つ民族。英国が英国(グレートブリテン)として成立した16世紀には既に彼らが英国に拠点を持っていたのにも関わらず、伝統的に定住しないという生活様式の大きな違いから常に迫害の対象になっていました。現在では定住する人も多く、ル・バスもその一人ですが、それによって根強い差別がなくなったわけではありません。ル・バスはいいます。「5人兄弟のうち、ちゃんと学校を卒業したのは私だけ。学校が好きだった。だから美大にも進学した。でも学校へ行くことによって、それまでいかに自分がロマ人社会によって偏見や差別から守られていたのかということも知った。」


Claudette Johnsonの展示風景

 

最後は英国人画家、クローデット・ジョンソン(Claudette Johnson)の展示。


Oil Sketch 2019  Claudette Johnson

スケッチブックにオイルパステルで描かれた自画像。大きな目に吸い込まれます。


Figure in Blue 2018  Claudette Johnson

見返り美人!パステルとアクリルガッシュを巧みに組み合わせた作品。ジョンソンの画力の高さが窺えます。


Figure with Raised Arms 2017  Claudette Johnson

穏やかな眼差しの男性。ジョンソンの描く肖像は実に自然体で美しい。


Reclining Figure 2017 Claudette Johnson

こちらは幅3mほどの大作ですが、女性が大地そのものになっているようです。こんな力量のある作家が最近まで認められなかったのは何故?と疑問が湧いてきます。それには訳がありました。

美大を卒業したばかりの1982年、ジョンソンは、黒人でしかも女性という美術界のマイノリティーであったことから、The Black Brithish Women Artists Collective を仲間と立ち上げます。また同年、黒人男性のみのグループであった BLK Art Group にも女性として初めて参加します。その後活動を続けるものの家庭を持ち、子を持つと制作が途絶えます。ジョンソンは語っています。「その当時、スケッチブックを傍らに子供たちを寝かしつけながら、寝かしつけたら絵を描くぞ、制作に戻るぞって考えていたの。だけどいつも、物語を読んであげているうちに、一緒に眠ちゃって。そしてその瞬間は過ぎていった。今振り返ると、制作に対する自信の低下もその一因だったと思う。招待される展覧会の数はどんどん減り、最終的にはまったくなくなった。」状況が一変したのは2015年、アーティストのルバイナ・ヒミッドがジョンソンをある展覧会に招待したこと。(ヒミッドの個展はコラムの115回で紹介)ヒミッドは1980年台にBLK Art Groupの初期メンバーとして共に活動した作家の一人。その後も精力的に活動を続けていたヒミッドは2010年黒人女性美術家として大英帝国勲章を受賞、そして2017年ターナー賞を受賞します。「この経験は、私がまだ一人以上の人が見たいと思うような作品を制作できることを思い出させた。長年にわたって消え去っていた、小さな創造の光が消えていなかったことに気づいて、とても興奮した。」


Pietà 2024 Claudette Johnson

ロサンゼルスで警察の暴行やギャングの暴力などの原因で黒人青年が死亡したニュース、ジョンソンの地元ロンドンのハックニーで警察に追われ死亡した黒人青年のニュースなどが、ジョンソンの耳に飛び込みます。自分の息子と歳の変わらないの黒人青年が犯罪に巻き込まれ、次々と命を落として行くのを目の当たりにし、母としてやりきれなくなったジョンソン。この作品のタイトルは 「Pietà」。死んで十字架から降ろされたキリストの亡骸を抱く聖母マリア像として多くの美術家によって彫刻や絵画などに扱われてきた題材。(このコラムの他回でも紹介済)若者のモデルは実の息子に頼んだそう。作品は樹皮に直接描かれています。


Friends in Green + Red on Yellow 2023 Claudette Johnson

これを機に、より男性像を描くようになったとジョンソンはいいます。


Protection 2024  Claudette Johnson

アフリカの彫刻に並んでポーズをとる自画像。「20代の頃、私は自分の作品に対してある種の傲慢さを持っていた。私はその特定の分野で自分自身にかなり自信を持っていたの。今も私は別の種類の確信を持っているけど、自分自身にもっと問いかけ、他の人からもより多くの質問を受け入れるようになった。制作のある段階で人に作品を見てもらって、フィードバックをもらうのが好き。 20歳の私には決してできなかっただろうけど。」

さて、2024年ターナー賞展、いかがでしたでしょうか。そして4人の候補者の中でターナー賞に輝いたのは、前回の二番目に紹介したジャスリン・カウルでした。

あなただったら誰に賞をあげますか?

プロフィール
アーティスト
笠原 みゆき
2007年からフリーランスのアーチストとしてショーディッチ・トラスト、ハックニー・カウンシル、ワンズワース・カウンシルなどロンドンの自治体からの委託を受け地元住民参加型のアートを制作しつつ、個人のプロジェクトをヨーロッパ各地で展開中。 Royal College of Art 卒。東ロンドン・ハックニー区在住。
ウェブサイト:http://www.miyukikasahara.com/

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