映像2015.11.25

もしも五郎丸だったなら

とりとめないわ 第3話
とりとめないわ 門田陽

シャワーを浴びるときは、服を脱いで風呂場にたたずみ、ボディソープを左手におもむろに出し、まずは左足の指を最初に、そして身体の下の方から順に上に洗い最後にシャンプーをして頭のてっぺんから泡が完全になくなるまできれいに流し去ります。出かけるときは、着ている服の色味を洗面台の鏡で確かめその日の帽子を決めて、さあ行こうと一度靴を履いたあとに必ず靴を脱いで台所まで戻りガスと電気をきちんと消したかどうかを確かめ直し、もう一度玄関で靴を履いてやれやれと思いながらドアを開け、右手で鍵を閉めて出発します。これは、僕の日常のルーティンの一部です。ま、ルーティンというかクセな気もしますが。出かけるときのムダな動きは単に心配性とも言えるし軽い強迫性障害なのかもしれないし。でも今ならルーティンで通用しそうな勢いです。

さて、福岡県久留米市にある西鉄電車の五郎丸駅に人が集まっているそうです。信じられません。何もないのが誇れるくらい何もない所です。僕は商売柄というわけではなく、子どもの頃から珍しい人名や地名に敏感に反応するタイプでして。その中では五郎丸にはそこまで食いつきませんでした。「丸」が付く人がわりと周囲にいたからだと思います。同級生に次郎丸くんや田中丸くん(この人の家はお金持ちでしたね)がいたし、大人になってからは横綱武蔵丸が好きでしたので「丸」は身近な名前だと思っていました。全国的には珍しい名のようです。羨ましい。僕たち田んぼ族(山田を筆頭に名字に田が付く人を勝手にこう呼んでみました)にとって羨望の名前(名字)はいくつもあります。伊集院、西園寺、有栖川、早乙女。わー、三文字はかっこいいな!二階堂、五十嵐、一之瀬、数字が入るのもいい感じ。二文字でもありますね。白鳥、一条、芥川。何か一句詠めそうな名前です。いつの日か白鳥一条芥川。なんのこっちゃでした、スミマセン。でも自分がもし芥川という名前だったら人生全然違ったことでしょう。違ったなぁ。同じ田んぼ族の中にもちょっと特権階級がありまして(さきほどの田中丸は別格)、その三羽烏が真田と藤田と沖田です。あとは郷田と神田くらいかな。一文字の名前にも憧れます。橘、泉、壇、榊。ふつうだけど実は違うものにも引っかかります。桜井ではなく櫻井。斉藤ではなく齋藤や齊藤(歌人の斉藤斎藤のことも好きです)。渡辺ではなく渡邉や渡邊。僕の母の旧姓は相羽なのでそちらを選択していれば僕は相羽陽だったはずです。それだけでもまるで人生変わっていたと思います。ネックはたぶん出席番号が1番になるくらいでしょうか。

さてさて、西洋で生まれていたら何という名前だったのだろうかを考え始めると寝つけません。なかなか想像が難しい。イタリア人のオレ。カナダ人のオレ。オランダ人のオレ。アルゼンチン人のオレ。しっくりきません。その昔(といっても10数年前)フィンランドのスキージャンプの選手でワールドカップでも優勝したアホネンという人がいました。僕が学生の頃に強烈なサーブで活躍していたユーゴスラビアのテニス選手の名前はジボイノビッチでした。ビッチなうえに痔を抱えているなんて、僕がこの名前だったら強く生きていく自信はないです。イバニセビッチという選手もいたと思います。何年かまえにタイで首相代行を務めたチッチャイ副首相の名前がニュースで読まれるたびに彼の身長が気になりました。そう感じたのは日本人だけでしょうけど。

もしも僕が相撲取りだったら何という四股名だろうか。落語家だったら、漫才師だったら、マジシャンだったら何という名前だろうか。考え始めると夜はすぐに朝になります。僕は寝るときは、一度手を洗い、上下別々のジャージ姿に着替え、ベッドの真ん中より左側に枕を整え頭を乗せメガネをはずして空いている右側に置き、肩こりのツボに効くというゴルフボールくらいの球を握ってから布団をかけて目を閉じるのがルーティンです。結構な時間がかかります。ところで、僕の妹の子どもの名前がクレモンティーヌという話はまたの機会に。

Profile of 門田 陽(かどた あきら)

門田陽

電通第5CRプランニング局
クリエーティヴ・ディレクター/コピーライター
1963年福岡市生まれ。
福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。
TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。
趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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