ロンドンの家の匂いって? Geddes Gallery
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- London Art Trail Vol.42
- London Art Trail 笠原みゆき
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ロンドン北のターミナル駅であるKing's Cross駅を出てすぐ西のCaledonian Roadに入ると、右手に“K. C. Continental Stores"という看板のかかった昔ながらのイタリアンデリが見えてきます。
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デリのショーウィンドーを覗いてみると、棚に並ぶのはTea(使用後のティーバック)、Bunnies(ウサギの毛)、Dryings(衣類の毛玉)、Holes(穴のあいた靴底)!? そう、ここは元イタリアンデリで、現在は、ギャラリー。50年間使われた家具類や内装はそのまま、店主や家族が住んでいた上二階も含めGeddes Galleryとして使われています。
店舗の表のスペースを使ったインスタレーションはSophie Cullinanの“A Home Store"。 かつて、肉やチーズが並んでいた棚にクリアパックに入れて陳列されていたのはみかんの皮から1年間の“家の匂い"に至るまで、生活感の漂う730点のアイテム。店というより人類博物館の陳列を彷彿させ、古代人の住居跡を見て、この時代の人はずいぶん貝ばかり食べていたんだなと感心する自分と、この展示を見た未来の人が2000年代始めのロンドンの住人はずいぶんティーバックの紅茶ばかり飲んでいたんだなと感心する姿が重なります。どのパックも、開けなくても匂いが大体想像出来そう?
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閉塞感の漂う窓一つない牢屋のような倉庫にずらりと並ぶのは、木炭で描かれた女性の肖像画。作品は、Julia Maddisonの“Seventy Seven Sleepless Nights"。描かれた女性は同じ女性ですが、77の眠れない夜とタイトルにある通り、表情は77通り。よく見ると殴られて顔に痣のあるもの、切り傷のあるものなど。それは、家庭内暴力かもしれないし、帰りがけに襲われたのかもしれない、多くの女性が体験した事のある、夜一人孤独に対処しなければならない眠れない夜を描いた作品。会場では更に作品の購入が促され、来場者にお金を払ってもらい“痛み”を持ち帰ってもらうことで眠れない女性を解放しようという試み。
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更に奥へ進みます。高い天井に窓のない狭い空間。壁紙は剥がれ、漆喰は崩れ落ち、その部屋が一体何の部屋だったのかという疑問もかき消されるほどの圧倒的な強いカビの匂い。 何か不吉な部屋。そんな空間に吊るされていたのは三つの肢体ならず、三つのオブジェ。薄いシルクの膜で出来た尖った芯、雌しべや女性器を彷彿とさせる芯、堅丈な鋼の鋭く尖った芯。表面的なものを削ぎ落として実(さね)だけになった作品は、体そしてその内的な防御機構の状態を表現しているといいます。作品はMarie-Louise Jonesの“Core"。
上の階へ。料理の事はお構いなしでコンロの前で手鏡を覗いている女性。台所でのインスタレーションはMaria Teresaの“Mamma"。仕立てた洋服以外は着ない、おしゃれで常に美しかったイタリア人の母親は一方で料理には無関心で全く駄目だったとか。部屋にはこの他、胸を尖らせストッキングにハイヒールを履いたマネキン、亡くなる直前の母親の手の写真、母親が亡くなった日に書いたイラスト、日記などが展示され、16年間パーキンソン病を煩い2009年に亡くなった彼女の母親に捧げた作品。
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更に上に向かいます。 剥がれかけたピンクの花柄の壁紙の下に、ブルーの花柄の壁紙が見える60代で時が止まったような寝室。染みのあるベッドの上には真っ白な60年代のウェディングドレス。ドールハウスの隣にかかったナイトドレスに“I'm ready for you, darling"と書かれた紙切れがピンでと留められています。これが、この部屋のインスタレーションのタイトルであり、今回の展示全体のタイトルにもなっています。切り抜かれていなくなった、“バージン”メリー(聖母マリア)に祈りを捧げる少女の写真、"I am going to sit on your face"と赤い糸で刺繍されたレースが掛けられていたりと女性の沈鬱と孤独が伝わってきて、うっかり誰かの部屋に入りプライベートを見てしまったような、落ち着かない気持ちになります。
暗い部屋から聞こえてくる唸り声。隣の部屋と同じ花柄の壁に、繭のようなものの中で苦しみ、もがく肢体が映し出されています。作品はRebecca Feinerの“Exhumation"。死体などの発掘を意味するタイトルのこの映像作品は、結婚後、家庭内暴力に苦しみ、逃げ出した作家自身の体験をもとに描いています。亡霊のようにつきまとう苦しみ。元夫が亡くなり初めてこういた事をオープンに人に話したり、作品にする事が出来るようになったとFeinerは語ります。
生活感の残る住居を利用し、それぞれの視点で女性の生活、姿を描いた5人の作家。どの部屋も独特の匂いがあって、入った時、第23回で紹介したゴッホの家を思い出しました。一昔前まではロンドンでもこういった個人の空き家を利用したサイト・スペシフィック・アートが数多く存在しました。Geddes Galleryの運営は3月まで、その先は高級レストランかバーか、他の何かに生まれ変わってしまうかと思うととても残念です。
Profile of 笠原みゆき(アーチスト)
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©Jenny Matthews
2007年からフリーランスのアーチストとしてショーディッチ・トラスト、ハックニー・カウンシル、ワンズワース・カウンシルなどロンドンの自治体からの委託を受け地元住民参加型のアートを制作しつつ、個人のプロジェクトをヨーロッパ各地で展開中。
Royal College of Art 卒。東ロンドン・ハックニー区在住。
ウェブサイト:www.miyukikasahara.com