かっこつけないでかっこよくいれるか? パート2
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.110
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
先月、「かっこつけないでかっこよくいられるか?」というコラムを書きました。 (第109回 かっこつけないでかっこよくいれるか?) お洋服の話に終始してしまったのですが、実はそれが言いたい事ではなかったのです。つまり、もっと精神的に書く事がいっぱいあったテーマなのに書き出しの外見の話だけでひと月分くらいの分量になっちゃったので一つのテーマのようにまとめてしまったのであります。だから今月は続編です。続編かなあ?ちょっとズレますが。
最近、若者たちと接しているとものすごい違和感を感じる事があります。 向上心とか功名心とか持っていますか?と思うのです。 給料が高い、とか、有名になれる、とかそういう欲望は薄く いままで価値とされてきたステータスには興味を示さず やる気が無いように感じる。そんなことでどうする?と心配になる。
実際、若者に指導していて、今までの文脈で話をしても暖簾に腕押し的な反応になる事が多くなってきました。 「金持ちになりたいだろう?」とか「有名になりたいだろう?」とかいう話よりも「世の中のためになるんだよ」というような話をしたときの方が食いつきがよかったりするのが驚きでもあります。 社会貢献はキーワードみたいです。
僕は、矢沢永吉の『成りあがり』(角川書店)という本にものすごく影響を受けて生きてきました。 金を稼げ。というシンプルなメッセージの本だったからです。 お金持ちになってポルシェに乗りたい。と本気で思っていたのです。 それが当たり前だと思っていたし、立身出世物語みたいな事に憧れていたし、そのために田舎からわざわざ東京にやってきたし、人間の欲はそこにあると思っていました。 今でも思っているし、人間的にも人より図々しくやって、得もしました。
最近の若者達と接していてそこが根本的に違うんだということがわかってきました。 何が幸せなのか?とか、どういう事に満足するか?とかが時代の変化とともに僕らの頃とは大きく違ってきているように感じられるのです。
旧文脈で考えると、「ゆとり世代」は馬鹿だ、とか、使えない、とかそういう言い方をされているけれど、彼らからすると、高度経済成長期の価値観で判断しようとする事自体がズレているんですね。
つまり、社会全体が停滞しているように見えながら、今の日本人の考え方や生き方は着々と変化していて、若い人たちは、自分の事は自分で考える、という様なスタンスを静かにとりはじめているんじゃないか? ケンカはせず、ただ古い感覚の大人は無視しているんじゃないか? 新しい社会の価値観を作り始めているのは若者達なのです。きっと。
昔ながらの、組織や集団のために無理して力を発揮して、組織の奴隷になっている事も気付かずに、その中で俺は偉いとか偉くないとか、そういう無駄な競争をする様な考え方を嫌う価値観の中で生きているのではないか?
生まれた時から、物はなんでも足りていて、必死に働かなくても食べて行ける。そういう事が当たり前の中で、集団の価値観みたいなものを信じる必要も無く、何がうれしいのか?幸せなのかを自分の物差しで定義しようとしているのではないかと思うのです。
これは、「物質的余裕」から派生した新しい社会の流れなんじゃないだろうか? とても進化した人間のあり方に向かおうとしているんじゃないか?と。
これらはあくまでも僕の仮説。人によりますし全部がそうじゃない。 それに、若者達が明確な方向性を見つけたとは思えないのです。
自分の価値観が正しいかどうか、根拠も正解も無いから自信が持てなくて、自分だけでそれを守ろうとして、他人ともある一定の距離を取ろうとしているようにも見える。SNSでの発言は一生懸命だったり、横柄だったり、攻撃的だったりするくせに、対面するとみんな押し黙っているのはそのせいですね。きっと。
ただひたすら、旧文脈人がオペレーションしてる国家や、いい加減で嘘つきな制度にはうんざりしているけれど、何をどうしたらいいかわからず困っているんだと思うのです。
僕たち高度経済成長期に育った大人の方から、時代の変化と若者達の気分を知りたい、という気持ちではやく若者達に接して行かないといい結果は生まないんじゃないか? 若者が感じている事を、自分たちも理解しながら頭を柔らかくして、どうやったらおじさん達も若者も、もっと良くなるのか考える時期が来ているのかもしれません。ヒントは若者と大人の対話にある。
僕たちだって、新人類と呼ばれ、上司に怒鳴りつけられたり、当時の大人たちに石を投げられていた感覚があった。そんな中にも、真剣に向き合ってくれたり価値観をぶつけてくれていた大人がいてたくさんのことを知ったと思う。社会人20年もやっていると、少しずつ当時の大人たちが言っていたことが分かってきた気がする。そうやって、時代は融合と反発を続けながら常に流れているのだなぁと。
そんな事を考えていると、旧文脈的にかっこつけてる大人は浅ましく見えるんだろうなあ。 あまり難しくもない事を、さも難しい言葉で話す奴とか、小さい場所で偉くなった事を笠に着て威張ってるやつとか、具体的なアイデアはないのに漠然とした要求ばかりする奴とか。未来の事じゃなく昔の話ばっかりの奴とか。意味も無くナルシストな奴とか。
若者は、旧文脈の大人でも、この人は本物、この人は偽物という分類をさっさとやっちゃうそうです。本物の大人から発せられた情報に対しては目を輝かせる。という記事を読んだ事があります。偽物は馬鹿にして無視するそうですが。
そういう事に注意しながら大人やってないと、若い奴らに無視されてしまうんだなあと、そういう奴らを率いて商売するんだからなあ、と恐怖する今日この頃です。
組織より個人の事を大切に思って生きる。という事は大賛成。そもそもすべてのベースは個なんだから。 そして、その個をベースにした向上心も功名心もちゃんとしっかり持っているんですよ。この人たちは。 ただ、それを表に出すのはダサいと思っているし、出して失敗するのを恐れている。 ちゃんと活躍の場を作ってあげて、どんと背中を押してやると想像以上にがんばったりする。
そんな奴らにどうやって求心力を発揮できる大人になれるだろうか?本物でいられるのか?複雑で難解なテーマがまた増えたと言う事ですね。中年には。
僕は変わんないけどね、どうやったって。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。