息苦しい世の中になってきました
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.112
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
なんかね、息苦しいですよね。 ずっと不安でイライラする感じが消えません。 なんでだろう?とまじめに考えています。
コマーシャル映像を作っていてまず感じるのは 予算の心配、利益の心配をしないで作れるコマーシャルは 仕事の大小にかかわらずほとんど無くなってしまいました。
それを端的に表すのは、制作会社でのプロデューサーの評価軸が 売り上げの額から利益額に変わってしまった事です。
つまり、昔は、CMを作って利益が出るのは当たり前だったので 売り上げが多ければ多いほど偉いP。とされていました。 最近は、売り上げが多くても利益が薄いか、 もしくは赤字になるという切実な仕事も笑えないほど増えてきたので、 本当に儲かったかどうか、売り上げの額の大きさでのごまかしが効かないのです。 変わらないのは、なぜか毎年、成長戦略を問われる所ですが。
とにかく世の中に金がない。余裕がないからイライラするのか? 日本の経済の問題を考えると、世界中で起きている事から 自分たちではどうしようもない世界経済の潮流と、日本国内で独自に抱えた、 わかってたけど何もしなかったから悪化した問題があると思うのです。
世界中では、グローバル化とIT化で国際分業化が進み、いろんな、いままでの付加価値が意味をなくしつつあるそうです。たとえば、大量生産品のコスト、事務コスト、電子機器や輸送コスト、エネルギー源の多様化でエネルギーコストも安値安定の時代だそうです。 それに加えて、中国経済の減速、ブラジルやロシア、トルコなどの新興国経済もスローダウンしている。全体的に縮小傾向にある。
日本国内では、人口減による国内市場の縮小とそれを見越した投資の不安。資金不足。少子高齢化、つまり、じじばばが多くなっちゃって人口が減るのにプラス成長する訳が無い。とかなんとか、他にも調べていると理解できない難しい内容もいっぱいある。
改革か衰退か?改革しないと日本は先進国から脱落してしまうぞ。という選択をせまられ追い立てられている様な気がするんだけど、本当に改革は正しいのか?とも思うのです。
世界が「縮小プロセス」に入っちゃった原因は「無限に変化し続ける社会」というイメージが終わりに近づいているからだと指摘する人もいます。 ある時点から、変化のスピードが早すぎて、生身の人間の許容量を超えてしまったと。このままでは生身の人間はこわれちゃうぞ。
例えば、今の株式の取引は、人間ではなくコンピューターのアルゴリズムがやっています。1000分の一秒単位で取引される株式市場には生身の人間の入り込む余地はありません。自動操縦で利益を得ているこれまた人間は、天文学的な数字のお金を稼ぎながらや、もう十分だからやめちゃおうとは思わない。生身じゃないから限度ってものがない。そのスピードと欲につられて経済は動く。それを追いかける生身の人間は身体も心もついて行けなくなっているそうです。
そういうことに人間は疲れちゃったんじゃないか?と思うのです。ちょっとやりすぎちゃったなあ。ちょっと立ち止まって休憩しようぜ。と。
比較的若者の方が冷静でブレーキを踏もうとしていて、それを敏感に感じられないじじい達の方が変化を急ぐことをやめられない、という変な風潮もあるみたい。昔の右肩上がりの価値観が忘れられないというか、変化にシフトできないほど柔軟性がないのか。
他国からの圧力もあるのでしょうが、最近の日本で「法改正を急げ!」とヒステリックに言っているのはじじいの政治家ばかりで、SEALDs※のデモの言い分は「憲法を護れ。立憲政治を守れ」 つまり若者の言い分は「納得いかねえよ。もう少しこのままでいいじゃないですか?」と言う事ですね。 変化を求めるのはいつも若者だった時代からすると、奇妙な光景でもある。 ※SEALDs(シールズ)は、日本の学生団体で、Students Emergency Action for Liberal Democracy – s(自由と民主主義のための学生緊急行動)の略。メンバーは、10代から20代前半の若い世代。
それに加えて、これまでは秘密にされていて、みる事のできなかった世の中の理不尽さがネットのおかげで丸見えになってきた事もある。アルゴリズムやインサイダーでもうけた金をタックスヘイブンに持ち込み課税逃れをする金持ち。粉飾決算。うるさく言う割には効力の無いコンプライアンス。原子力発電所の事故の処理や嘘、再稼働。長年蓄積した恨みの連鎖のテロ。中国からやってくる大気汚染。それらは経済優先の考え方からきた犠牲で、その犠牲は水や空気等の社会的な共通の資本に毒をまぜる。だけど、グローバルスタンダードのバスに乗り遅れると置いて行かれちゃうぞ。という恐怖から生身の人間を大切にしませんよ。という図式。
なんでこうなのかわからないままイライラしてる人たちが、テレビの中、パソコンのモニターに出てくる、わざと煽る様なニュースのほんの些細な事に腹を立てる。インターネットを駆使して、闇から気に入らない個人を攻撃して、一発レッドカード社会を作っているんだろう。うさばらし。 会った事もない芸能人がどこで誰と不倫してようと、あんたの給料は減らないでしょ?と思うんだけど、キーってみんなで攻撃しますよね。無抵抗な相手をいじめて、思うほどうまくいかない自分の憂さを晴らす。テレビの画面は無菌状態でとっても清潔だけど、なんとなく面白くもなくなる。なんか気に触ればCMもすぐオンエア中止。すぐばらされて政治家にもなれません。知り合いじゃないならほっといてやれよ。本人は苦しんでるさ十分。と思う。
大きい事にも小さい事にも「ちょっとまってくれ、少し休憩して、今は正しいのかどうなのか一回議論しょうよ」と「変化させた方がいい事と、変化しない方がいい事があるんじゃないの?」いうのが正しい気分なんじゃないか?
本当はバブルがはじけたときに、「さて、これから僕たちどうしましょう?」という議論が必要だった様な気がするんですけどね。手遅れか。
今話題の、世界一貧しい大統領とよばれたムヒカ前ウルグアイ大統領が言ってる事はそういう事で心にしみちゃうんですね。 「わたしたちは大きな矛盾をはらむ時代に生きている。これほど矛盾を抱えた時代は、人類にはなかったのではないか。現在、我々は多くの富を抱え、科学も発展し技術も発展している時代に生きている。こういう時代に大切なのは、私たちは今、幸せに生きているか考えることだ。」と。
この大きな矛盾と小さい憂さ晴らしを重ねる小汚い風潮に対して無力な自分にイライラするんですね。 金がないからイライラするというだけではなさそうです。 どうしましょ。 グローバル経済が終わるという事を前提に、大きな矛盾に対して自分のルールで立ち向かって、自分の精神の健康を守るしかないんでしょうね。 もう何をしたらいいのか、何が幸せかもわからなくなっているかもしれないから、ある意味、無神経にアナーキーに自分の哲学をもっていないと心が病むのをとめられないのか?と思うのです。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。