映像2016.04.27

35年レター

とりとめないわ 第8話
とりとめないわ 門田陽

一度だけ。一度だけですが、ファンレターを出したことがあります。

小学4年生のとき、クラスのませた女子が『明星』だったか『平凡』かを教室に持ち込んで、その中にファンレターを書こうというコーナーがあったのです。そこには丁寧にファンレターの書き方が指南してありました。字はきれいにから始まってファンになったきっかけを具体的に書こうとか、短所をがんばれとは言わずに長所をほめるほうが喜ばれるとか、妙に覚えているのは相手が30才を超える人の場合は縦書きのほうがいいというのもありました。あの頃の30才はかなりな大人イメージでした。そして特集の最後には当時のスターやアイドルたちの住所(事務所)まで載っていました。まだコンプライアンスというコトバがなかったいい時代のことです。

レターといえばラブレター。ラブレターといえばカナダですが。

僕は中学時代、必修のクラブ(部活動ではなく授業の一環だった)でペンパル部に入っていてそこでスウェーデンの同世代の女の子と文通をしていました。あの頃のスウェーデンといえば中学生には刺激が強すぎます。国ごと11PM(たとえが昭和すぎるな 苦笑)というかとにかくアダルトな国民性だと心底思っていた中2男子は多かったはず。今と違ってネットなんか皆無ですから、文通のスピードはのろいうえに直接のやりとりではなく学校経由だったので写真を交換するまでに半年以上かかりました。先に向こうから写真が届きました。クラスの女子とは比べようがないほど発達した容姿に鼻血をおさえ、こちらも何とかせねばと上半身裸の写真(今思えば当時の僕は身長140センチちょっとの痩せっぽっち)を送ったのが最後の手紙になりました。写真のせいとは思いたくないのですがあの日を境に連絡は途絶えました。一度もあったことない人だったけど、あのとき書いていたのはラブレターのようなものでした。書くたびに、返事をドキドキしながら待っていましたもん。

さて、話は一瞬変わります。つい最近、仕事帰りに立ち寄った本屋さんでウィリアム・サローヤンの小説『我が名はアラム』が新潮文庫から柴田元幸氏の新訳復刻版で出ていたので即購入しました。タイトルは新訳では『僕の名はアラム』。もう30年以上すっかり忘れてましたが中高の頃に何度も何度も読み返した唯一の本です。それが有楽町の三省堂で目にしたとたん昔の記憶がドッと激流のごとく甦ってきたのです。タイムスリップしたみたいなフシギな感覚。いままで味わったことがないのでコトバにするのが難しい気持ちです。

家にダッシュで戻り、部屋の本箱の奥からあのときの『我が名はアラム』を探し出しました!ありました!!角川文庫で三浦朱門訳の一冊。昭和51年に買ってます。値段は180円。復刻版は562円ですから三分の一。なぜかページ数が随分違います。復刻版が262ページに対して昔のは182ページ。なぜなぜ?と思ったのですがすぐに解決。今の本は文字が大きいのです。本屋さんで手に取ったとき、何か違和感を覚えたのですがそれが本の分厚さだとわかりました。

そして、そして驚きました!!!

その昔の文庫本の中から当時(高校時代)の彼女の手紙が出てきたのです。僕が本を貸したようです。思いは膨らみます。大好きな映画『ラブレター』(岩井俊二監督)のラストシーンのようなことが起こるかもしれない。 手紙(二つ折りの小さな紙)を開きました。どうやら授業中にこっそり書いたようです。そこには、「いま読み終えました。悪かけど世界史の時間です。この本に出てくる人、みんな変わっとおよね。よく意味がわからんかった。」と手書きなのになぜか九州弁です。期待したものとは異なるけど、ちょっといい気持ちになりました。35年前からの手紙でした。

ところで、冒頭のファンレターですが、友達たちにはそれぞれフィンガー5や西城秀樹や朝丘めぐみ(しかも朝丘めぐみにファンレターを出した山下くんは朝丘の字を朝岡と間違えたのに)から返事が来ましたが、僕にだけは来ませんでした。出した相手が誰だったのかの話はまたの機会に。(※来日して間もないので、日本語がわからないから返事が出せないんだよ、と小4の僕は負け惜しみを言ってましたとさ。)

Profile of 門田 陽(かどた あきら)

門田陽

電通第5CRプランニング局
クリエーティヴ・ディレクター/コピーライター
1963年福岡市生まれ。
福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。
TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。
趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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