表彰してあげるということ

番長プロデューサーの世直しコラムVol.119
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

冬のハワイに行くと、海に入るより楽しみなことがあるのです。 ハワイ大学のバスケットボールの試合を観戦しに行くことです。 大学のバスケの公式戦といっても日本の大学の試合とは全然違うんです。

ハワイ大学のチームはNCAA全米体育協会のディビジョン1(トップリーグ)に所属する強豪チームで、多分、全日本より強いです。レインボーウォーリアーズというチーム。

円形のドーム型体育館も1万人くらいの収容キャパがあり、でかい。 重要な試合にはTV中継も入る。チアリーダーやブラスバンドの応援、マスコットキャラクターやハーフタイムのショー、大型のモニター掲示板など、プロさながらの演出で試合を盛り上げ、地元のファンも一気にヒートアップする。NBAにも負けてないくらい盛り上がるんですねー。

今年も11月の頭にハワイに行く機会があって開幕戦を見てきました。 会場の入り口から自分の席に向かう通路の結構な距離を歩いたのだけど、その通路にズラーっと人物の写真と名前と年代、競技の種類が示された額縁が並んでいました。ハワイ大学のスポーツで活躍した選手の額だそうです。

羨ましくなっちゃいました。

こんな立派な体育館に顔写真入りの額が飾られたらそれを支えに一生頑張れるよなあ。そんな気分になったのです。

アメリカには個人を表彰する文化があります。 アメリカは小学校の時から年がら年中、生徒を表彰するそうです。 いろんな賞があり、ちゃんとした立派な表彰状をもらえるらしい。 総合の成績優秀者から各教科の優秀者。皆勤賞。行儀や態度のいい賞。 目標を達成した賞、人助けした賞。僕っていいやつだよね賞なんかもある。 学校によって違うみたいだけど、ほとんどの学校で表彰を重視しているみたい。

生徒一人一人が必ず少なくとも年に1つか2つの賞をもらえるようになっているみたいですが、表彰式には親も呼んで、校長先生から賞状を貰う、ちゃんとしたものなので、子供がとても誇らしくしていると聞きました。

アメリカの友人が自分の子供のアワードを誇らしげにfacebookにアップしたりしてるのを見ると、親もまた認められたような気になるんだなあと。

日本人の感覚から言うと誰でももらえるんだから価値はない、となりそうですね。褒められたくてやってるんじゃねえ、みたいな。照れちゃって。

人間には「承認欲求」があるそうです。 誰かから認められたい、という社会生活をして行く上での欲求ですね。 難しいことを調べると色々細分化して考えられるそうですが、早い話が「よくやった」と大勢から褒めてもらいたい、という欲望。

アメリカはそういうことがとても上手です。 ちゃんと一人一人に光をあてる、個人を讃える、という考え方がヒーロー主義の国でかっこいいと思うのです。

どうしようもなく辛い現実にぶち当たってもう死にたいと思った時、死なないでいいよと助けてくれるのはキラキラした過去の思い出だけだと思うのです。いいことがあった。いい気分になったことがある。それだけが、もっといいことがあるかもしれないという希望みたいなものになるんじゃないかと思うのです。「承認欲求」が満たされたことがある。これが大事なことだと思うのです。

日本にはそれが圧倒的に足りない。 表彰される人はいつも表彰されていて、表彰されたことのない人はいつも表彰される人を俺には関係ねえよ、という気分で見ていなければいけない。 表彰される人を讃えるという気持ちすら持ち合わせていないかもしれない。 一度でも表彰されたことがあると、自分が表彰されなくとも他人を讃えてやりたいという気持ちが芽生えるものだけど、そういう人の数が少ないのだろう。

たまに表彰されたとしてもチームだったり、さらには個人を表彰するのに罪悪感すらあるのは何故なのか? 表彰されない人が可哀想だと言って表彰自体をやめてしまったりする。運動会で走っても順位をつけたがらなくなった。病気か?そう言う嫉妬や妬みでひねくれた暗い国だ。それでも夢を持てと言われても子供も困るだろう。

アメリカの小学校で全員が表彰されるとしても、与える側は、全員のいいところを一人一人、1年中探していなければいけない。表彰する側も大変なのである。それでもその努力を惜しまないだけの価値が生徒一人一人のためにあると思っているから、表彰をやめようという考えは浮かばないのだと思う。

あの立派な体育館、ハワイ大学マノア校のアリーナの通路に顔写真を飾られたら、一生誇らしく生きていられるだろうし、悪いことなんかできないだろう。(たまに間違う人もいるかもしれないが)

広告業界にはコマーシャルフォトという雑誌がある。 今月の作品みたいなコーナーに、毎月のちょっといい出来のCMと老眼の人には見えないくらいの大きさでスタッフリストが載る。 僕がこの仕事について、初めてこのスタッフリストに名前が載っているのを見たときは、喜びを隠して同じ本を3冊買って帰り、家に帰って飛び上がって喜んで何度も眺め、一冊を付き合っていた彼女に胸を張って渡し、一冊を田舎の親に送った。 「ああ、これでちゃんと生きていた証拠が残せたなあ」と思ったからだ。 すげえ嬉しかった。今でもそのコマフォトは大事に持っている。

コマフォトには誰だって載るのだが、学校で表彰されるあの感じだと思う。 今でも載ってると少し嬉しい。

頑張っている人をちゃんと見つける文化になればいいと思うのです。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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