少年は残酷な弓を射る
- ミニ・シネマ・パラダイスVol.1
- ミニ・シネマ・パラダイス 市川桂
この度、「ミニ・シネマ・パラダイス」と題して、映画コラムをはじめることとなりました。
タイトルは「ニュー・シネマ・パラダイス」という名作映画からもじっております。
このコラムでは、いわゆる「単館系・ミニシアター系」をご紹介していきますので、 パッと見にはとっつき辛そうな映画に、少しでもスポットライトを当てられたならいいなと思っています。 私は大学で映画・映像を専攻していました。大学時代は年間200~300本ほど、社会人になった現在は年間100本を観るのを目標にしています。
ミニシアター系と聞いて、 「休日にわざわざこんな暗くて難解そうな映画を観る理由がわからない」 と思われるかもしれませんが…(実際、よく言われます)、わたしもはじめはそうでした。
ただ、何事も知れば知るほど深みにはまっていくものだと思います。数をたくさん観ていく内に、それまで知らなかった面白さに突如突き当たるようです。スポーツでも、初心者のうちは基礎練習ばかりでつまらないけど、上達するにつれ、その面白さや奥深さにはじめて気付く、ってことがありますよね。そんな感じにすごく近いと思います。
知れば知るほど面白い「単館系・ミニシアター系」の世界。どうぞ宜しくお付き合い下さい。
さて、記念すべき第1回は、「少年は残酷な弓を射る」という現在公開中のイギリス映画を観てきました。 この映画を選ぶ決め手となったのは、萩尾望都さんという著名な少女漫画家がこの映画を推薦していたのを見かけたためです。(ちなみに萩尾望都さんは女性版・手塚治虫と呼ばれている大先生なのです。) 原題からかけ離れた日本語のタイトルからも(原題=「We Need to Talk About Kevin」)、ポスターからも美少年好きの女性向けをターゲットに展開しているようですが、残念ながら(?)有楽町・TOHOシネマズシャンテの映画館は半分以上男性でした。
有楽町周辺は都内でも一番映画館が密集しているスポットで、TOHO系列もいくつか展開されています。シネマズシャンテはその中でもミニシアター系を中心に公開していますが、映画館の入り口が正直かなり分かり難い。飲食店が雑多に入っているビルの1階におもむろにあって、初めて行くとき、一回目は必ず通り過ぎます。わたしは2回目でしたが通り過ぎてしまいました…。TOHOだけあって中の設備はかなり綺麗で、スクリーンは座席190席。7月休日の夜18時の回は埋まり具合は4割ぐらいでした。
客層はバラバラで、男性1人客、女性2人客、老夫婦、なぜかイケメン2人組とかもいました。通常、ミニシアター系は男性1人客がかなり多いです。
この映画は、ライオネル・シュライバーという作家の小説が原作で、母と息子のドラマが中心。なぜか自分を愛さない悪魔のような息子に戸惑い、葛藤する母親をオスカー女優ティルダ・スウィントン演じています。音楽はジョニー・グリーンウッド(ロックバンド、レディオヘッドのメンバー)が務めていて、中々話題性はあります。
監督のリン・ラムジーはまだWikipediaにもページがないくらいで、これまでの実績は2作品のみ。本作は9年ぶりの新作だそうです。そのどれもが暗く陰鬱とした世界観、死をテーマにした作品で、1999年から2012年の13年間で3作品のみしか作っていない…映画作りに対するスタンスはなんとなく読み取れますね。
映画本編は、トマティーナという祭りから始まります。調べると、スペインバレンシア州の小さな街で行なわれる収穫祭で、テレビや何かで映像を観たことがある方も多いと思わますが、「トマト」を互いにぶつけ合う祭りで、そのトマトはどれも熟しているもの。人も、家も、トマトだらけで、街の道はつぶれたトマトペーストの川が出来上がり、半裸の人々はまるで血でも被ったように、頭から足先までトマトまみれになっているかなりキョーレツな祭です。
「少年は残酷な弓を射る」は、そのトマティーナに参加し、陶酔する若き日の母親の姿からはじまるのですが、トマトだけに限らず、夕食の卵料理、グラスに入ったワイン、色とりどりのコーンフレーク、大きなターキーレッグ、瑞々しいライチの実、真っ赤な苺ジャムがのった食パンなど、かなり沢山の食べ物がこの映画には出てきます。そしてそのすべてが、トマティーナ祭りのトマトよろしく、食べ物らしく扱ってもらえない。
たとえば、母親に対して、異常なまでに反抗する小さな息子は、母に与えられた苺ジャムがのった美味しそうな食パンを、一瞬にして目の前でガラス製のテーブルの上に、故意に力いっぱい投げつけてしまう。何かを企んでいる様子で、片手間にコーンフレークを指でつぶしてゆく息子。割れた殻が入った卵で作られたオムレツを食べる姿は、当然、口に運ぶごとに、殻の破片を出さなくてはいけなく、もはやなんのために食べているのか。自分が食べているのを想像するだけでも痛々しい。食べ物ってやはり一番身近な存在で、リアリティもあり、またそれが食べ物らしくない姿は、かなり不快で、ハッと気持ちが持っていかれます。 この演出が本作の主題にとてもよく絡まっていました。それは本来あるべき姿、関係性が否定されている世界。母親と息子とはお互いを愛し愛されるべき関係のはずが、理不尽なまでに徹底的に否定されていきます。まだ言葉もしゃべらない赤ん坊の頃から、息子としてのあるべき反応はなく、すべて期待に沿った結果を得られない。ひたすら子供らしい反応をせず、じっとこちらを恨み、にらむように見上げてくる姿を、母親はもちろん、観ている私もリアルに想像できて、受け入れられない。子供と食べ物がイコールな訳ではないのですが、同じような感情が沸き起こって、リアリティが2倍にも3倍にもなるのです。
映像美は確かな技術が感じられるし、音楽はレディオヘッドのメンバーが担当したとは言われないと気づきません(良い意味で)。映画の中へ“惹きつけられる”というより、強引にグッと“引き寄せ”られました。
映画は非常に静かなラストを向かえ、静かに終わりました。エンドロールが流れ終ったあと、映画館の中は、誰も一言もしゃべらず、皆、淡々と解散していきます。映画館を出て、すっかり夜になった有楽町を歩くと、映画のことをぽつぽつと思い出すというより、映画の尾を完全に引きずっていました。映画の世界観の中にまだいるような感じで、エンドロールでエンドしていない状況です。こういう気持ちになる映画は、観て良かったと、いつも思います。
リム・ランジー監督は次回作の予定も見えているようです。ナタリー・ポートマン主演で新作西部劇とのこと。本作では各種映画賞はノミネートで終ってしまいましたが、次回作はそのあたりも期待できそうですね。
Profile of 市川 桂
美術系大学で、自ら映像制作を中心にものづくりを行い、ものづくりの苦労や感動を体験してきました。今は株式会社フェローズにてクリエイティブ業界、特にWEB&グラフィック業界専門のエージェントをしています。 映画鑑賞は、大学時代は年間200~300本ほど、社会人になった現在は年間100本を観るのを目標にしています。