アーチィストは見た! Drawing Room
- Vol.60
- London Art Trail 笠原みゆき
ロンドンにもいよいよやってきた25度を超える夏日。日差しを避け、木陰を縫うように歩いていくと真っ青な空に聳えるアールデコ建築が目に入ります。どの駅からもちょっと遠いけど行く価値あり!のギャラリーが今回紹介する、ドローイングルーム。地下鉄バーモンドジー駅から徒歩10分。
誰もが携帯で写真や映像を撮れる今、素描という媒体が伝えられる社会問題とは何か?法廷など写真が禁じられている場においてその威力を発揮する素描の底力とは?ギャラリーではGraphic Witnessと題して、1930年から今日にかけての社会性の高い素描作品の展示を開催中です。
男性器を象徴するような大砲が火を噴き、それで舌を焼く犠牲者である女性達。日々エスカレートするアメリカのヴェトナム戦争への抗議を込めてを描いたNancy Speroの“戦争シリーズ"の一つで、“Crematorium Chimney, 1968 (火葬場の煙突)"。もともとは平和の象徴であったにもかかわらずナチスの使用により、忌まわしいシンボルとして認識されるようになってしまった右まんじ、ハーケンクロイツも大砲に描かれています。
アラブの春の引き金になったとされる、露天商のモハメド・ブアジジがチュニジア政府への抗議として行なった2010年の焼身自殺。その後、彼を模倣して後追い自殺をする抗議者が次々と現れました。 2013年にはNidhal Chamekhの故郷のチュニスでも、一人の露天商が焼身自殺をはかります。報道を見たChamekhはそこで起こった非人道的な人々の行為に釘付けになります。誰ひとり炎に巻かれていくタバコ露天商を助けようとはしません。 警察官でさえ、写真や映像を撮るのに忙しい大衆をただただ見守るばかり。軍人はというと携帯でソーシャルメディアの投稿に夢中……。鉛筆でディテールを描いたChamekhの“Studying Circle, 2015"は、焼身自殺が見せ物となり、それを楽しむただの観衆と化した人の残酷さを浮き彫りにします。
第一次世界大戦の戦闘に参加し、ドイツ軍部の堕落を目のあたりにしたGeorge Grosz。ダダイズム運動に傾倒していたGroszは、1930年代に入るとヒットラーにより投獄されそうになるものの、命からがらアメリカに亡命し、ドイツ政府を批判する作品を発表し続けます。作品は“The Lecture (aka Letter to an Anti-Semite),1935"。レクチャーのフリップチャートに描かれたモデルはドイツに残してきた、そして殺されていった友人達だったりします。
道の真ん中に横たわる人、その傍ら立つ人。そして大衆がバックグラウンドで取り囲んでいます。作品はCatherine Anyango GrünewaldのLive, moments ago. The Death of Michael Brown 9.8.2014, 2015。 第56回で紹介したウィリアム・ケントリッジを彷彿させる木炭の素描をアニメーション化したもの。Grünewaldは2014年に警官に撃たれた Michael Brownさんの様子を、見物人が携帯で撮影したツギハギの映像をもとに250コマのアニメーションを制作し、2分間の映像にまとめました。実際のところブラウンさんは夏の日差しの照りつける中、4時間程もそこに横たわっていたそうですから、かなりの携帯映像のフッテージがあったに違いありません。
漆黒の闇の中、そこ、ここから湧き出る人、人の群れ。作品はJoy Gerrardの“Protest Crowd, Chicago, USA, Trump Rally (2016), 2017”。2016年、シカゴのイリノイ大学で、43,000人の学生の反対著名にもかかわらず、大学で行なわれることになったドナルド・トランプ大統領候補(当時)の選挙運動集会。これに奮起した学生達はソーシャルメディアを使って人を集め、反対デモを強行します。そしてあまりのデモ参加者の多さに驚いたトランプ候補は集会をキャンセルすることになります。このデモの成功により、このデモの写真は多くのメディアを飾りました。墨で描かれた作品は血の気の多い報道写真や映像とは対照的に、葬列のような雰囲気を醸し出し、重くのしかかるような静かな怒りが伝わってきます。
作家達は一つの事件を何度も何度も見つめ、描き直しています。近年の作品の多くはマスメディアからだけでなくソーシャルメディアからも素材を得ているというのも興味深い特長です。繰り返し描くことで見えてくることは何か。作家の問いかけが伝わってきます。
Profile of 笠原みゆき(アーチスト)
2007年からフリーランスのアーチストとしてショーディッチ・トラスト、ハックニー・カウンシル、ワンズワース・カウンシルなどロンドンの自治体からの委託を受け地元住民参加型のアートを制作しつつ、個人のプロジェクトをヨーロッパ各地で展開中。
Royal College of Art 卒。東ロンドン・ハックニー区在住。
ウェブサイト:www.miyukikasahara.com