ハンサムは死んだのか
- とりとめないわ 第24話
- とりとめないわ 門田陽
イケメン落語家ブームだそうです。イケメンがいるかどうかはともかく、確かにどこの寄席も10年前と比較すると信じられないほど客席はいっぱいで、コンビニの袋をガソゴソさせる人とその音に対して異常に神経質になっている人をよく見かけます(笑)。若い女性ファンが増えたのは事実なのでブームなのは間違いありません。
いやいや今回は落語の話ではなくイケメンのほうの話。イケメンというこの言葉。よく聞くし、ときどきは自分でも口に出すこともありますが、どうもまだしっくりきません。ものの本によると、「イケメン」という言葉が生まれたのは20世紀末から今世紀の頭くらい。「ラーメン・つけ麺・僕イケメン」が流行っていたのが2005年頃です。この手の新語はすぐに消えるものですが、「イケメン」はしぶとく生き残り2008年発行の広辞苑第6版からはきちんと掲載されるようになりました。意味は「若い男性の顔かたちがすぐれていること。また、そのような男性」とあります。広辞苑以外はどんなものか、念のため(?)に図書館で調べてみました(※写真①)。結果、三省堂も学研も小学館も角川も辞書にはしっかり「イケメン」がありました。(※全部を見たわけではないですが、集英社やベネッセや旺文社の辞書には載っていませんでした。)「イケメン」はもはや新語ではなくすっかり一般名詞のようです。
さて、ではなぜ「イケメン」は市民権を得たのでしょうか。そこには「ハンサム」の死滅があったと思うのです。まだ「イケメン」が存在しない昭和の時代はイケメンのことは主にハンサムと言っていました。当時ハンサムの代名詞といえばまずは何といっても「心臓が止まるほどカッコよかった」と言われたアラン・ドロン。「20世紀最高の男前」と言われたマーロン・ブランド。そして「ハリウッド屈指の美男子」と言われたロバート・レッドフォードなどがすぐに浮かびます。日本人だと、千差万別ですしどこまでさかのぼるかもありますが、石原裕次郎の頃からだと田宮二郎、小林旭、千葉真一、谷隼人、北大路欣也、田村正和は代表格。元が外国語だからなのか「ハンサム」は「イケメン」に比べてバタ臭いイメージです。日本人のDNAのどこかに西洋人への憧れというかコンプレックスがあるのでしょうか、それとも時代性なのか。実は「ハンサム」から「イケメン」に移行する少し前の1988年、「醬油顔・ソース顔」という言葉が大流行しました。「ソース顔」はそれまでのハンサムと近い意味ですが「醬油顔」は違います。すっきりした日本人に多い薄めな顔立ち。これをカッコイイと思うようになった感覚。僕は、これは日本人の気持ちの進化だと考えています。人って、見た目もですがきっと気持ちも進化するのではないでしょうか。あ~、この説はどこかで発表したい!
そして「醬油顔・ソース顔」を経たことで「イケメン」は幅広くその両方のタイプが存在します。そのおかげというか、そのせいで、ハンサムは一握りしかいませんが、イケメンはやや緩いですよね。え?イケメン??という人もいますよね。そんな中に一人だけハンサムの時代を駆け抜け、いつのまにかまたイケメンとして復活した凄い人がいました。4年前に草刈り機のCMあたりからジワジワきていた草刈正雄。そういや、1980年に角川映画「復活の日」の主演です。地元が福岡の人には80年代のフタタのCMは忘れられないはず(※今YouTubeとかで見ると、なんか新しい!)。イケメン最強はこの人かもな、と思った2017年の夏の終わりです。
ところで、イケメン落語家ブームの裏で僕はイケメン女子落語家を見つけました。金原亭乃ゝ香(※写真②)、まだ前座ですが大注目という話はまたの機会に。
Profile of 門田 陽(かどた あきら)
電通第5CRプランニング局
クリエーティヴ・ディレクター/コピーライター
1963年福岡市生まれ。
福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。
TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。
趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。