50歳になりました
- 番長プロデューサーの世直しコラム Vol.139
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木 光
平成最後の夏に、50歳の誕生日を迎えました。
平成最初の年に20歳だったので当たり前と言ったら当たり前ですが
20歳から50歳の30年間はあっという間でした。
20歳を迎える時は福岡で浪人2年目をやっていました。
30歳を迎える時はアメリカの会社の支社に出向していてロサンゼルスに住んでいました。
40歳の時は、会社で部長でした。高校で引退したバスケを再開してチームを作りました。
そして今年、50歳です。
東京にきた年が20歳だったので、あれから30年。あっという間だったとしても
世の中は随分様変わりしています。
20歳の時、1988年はバブル景気でした。今では考えられないようなことが
いっぱいありました。ソウルオリンピックの年。東京ドームができた年。
マイクタイソンの試合やローリングストーンズのコンサートがこけら落としでした。
え?東京ドームってもう出来てから30年もたつの?
と言う驚きもありますね。ほら、あっという間だったでしょ?
恵比寿ガーデンプレイスも94年開業です。24年も経ってる。
バブル景気は91年の2月までとされていますから、会社に入った91年の4月には
無くなっていたことになります。あとちょっとで僕は手が届かなかった感じですが
今と比べれば、仕事の仕方も随分バブリーでした。
就職活動の時は内定を7社持ってました。学生なのに接待されたりしました。
東京の街には人があふれていて、今でも渋谷の交差点は人が多くて世界的に有名ですが
もっと沢山、しかも若い人がいたような気がします。ギラギラしてました。
それだけ人がいても、外国の人はほとんど見かけませんでしたが。
30歳の時、1998年は、来年、ノストラダムスの予言が当たればみんな死ぬ。と思っていました。
仕事も軌道に乗って、ああ、俺の人生もなんかよくなってきたのにノストラダムスめ。と
長野オリンピックの年。
松坂大輔が甲子園で活躍してマイケルジョーダンが6回目のNBA制覇をした年。
サッカーの日本代表が始めてフランスW杯に出た年。色のついたコンピュータが売り出されて
インターネットを使うのがが当たり前になってきた年。
あれから20年。
それから10年はバイクに跨ったまま暮らしているような気分だったような思い出です。
働き方改革ってあの頃に言ってくれればよかったのにとすら思う。
休みなんかあると思う方が間違っていました。よく徹夜しました。
でもまだなんか世の中はキラキラしていたように思います。
今まで未経験だったことができたり、新しいことがどんどん生まれていたからでしょう。
キラキラしてたので徹夜も苦ではありませんでした。
六本木ヒルズの完成は2003年です。
40歳の時、2008年。リーマンショックの年。北京オリンピックと洞爺湖サミット。
なんとなく、閉塞感を感じ始めた年。それが自分の年齢のせいなのか、世の中の建前と
本音がインターネットによってバラされ始めたからか考えてもなかなかわからなくなってきた頃 だったような気がします。コンプライアンスとか言い出したのもこの後です。
赤坂サカスとBizタワーができて10年です。
それからは頻繁に天変地異が起きるようになりました。東日本大震災が起きて
大雨や台風でとんでもないことになり。夏の暑さは異常で、冬は寒い。
人間は、地球からいなくなれと言われているような気分になる。人間のせいで
地球が怒っているようです。てめえらええ加減にしとけよ。と。
原子力発電所の事故で人の都合や欲や悪意や無責任さや未来を見ない情けなさを
目の当たりにしてうんざりしています。クソみたいな大人が弱っちい子供を
身勝手な理由で傷つけることが多い嫌な世の中になってきました。
天災と人災にやり場のない怒りを抱えてストレスもマックスな感じ。 引きこもる奴の方が正しいかもしれないとすら思える今日この頃です。
そうやって2018年、50歳を迎えました。
日本人の平均年齢は2018年で約48歳だそうです。ほぼ同世代。
平均寿命は86歳。
国を単位に物を考えるのもナンセンスなことになっているのかも知れません。
ただ65歳で定年退職して85歳まで生きるとしたら20年もある。
我慢して年収500万円の生活で暮らしていくとしても1億円必要なわけです。
1億円?どこにあるのよ?って感じですね。
今のほとんどの人が感じている不安はここからきてるんだと思います。
年金は期待しない方がいいです。と言う風潮。
そんな中これから幸せに生きていくには何をしなきゃいけないでしょうか?
そんなことに答えはありませんが、やった方がいいことはある。
まずは世の中で起きていること、大きな潮流をちゃんと見ておかなければ
いけないと思うし、それで自分の行動の規範を修正しながら生きなきゃ
いけないと思うのです。若者たちが何を考えているのか、何に苦しんでいるのか?
世間の風潮と照らし合わせながら考えることができるのは年長者だからですね。
広告の世界も大きな潮流があって、海外で賞賛されるコマーシャルや
ムービーの内容には、なんというか、社会の問題をどうにかしたい、という
メッセージの込められたものが多くなっています。
それは企業が、単に商品のスペックを言うだけの、商品名を連呼するだけの
広告を作るのではなくて、企業が広告で、社会的な問題を解決したいという意思表示を
する事で、「社会に貢献する」という責任の重さを自覚し始めたんじゃないかと思います。
海外の企業の偉い人は企業として自分たちが何をしなきゃいけないかを気づいている。
いま、うまくいってるとか儲かっていると言う事ではなく、未来のことを考えてのことです。
結局帰ってくることを知っているみたいです。
そう言う大きい流れみたいなものを感じ取りながら仕事を続けたいものです。
どうもそう言うことから日本の企業と広告は置いていかれたんじゃないの?
と言う記事を読んで、ショックでした。確かにそう言う観点では居れていない。
綺麗事を言う奴はいると思いますが、まあ結局誰もやってない。という結論ですからね。
打ち合わせでよく、ソーシャルグッドという言葉を聞きますけどね。聞くだけです。
目先の業績を上げなきゃいけない。目先の業績とキャッシュフローを増やすのが大好きです。
ルールで許されてるから。と言って攻めずにのんべんだらりと過ごさなきゃいけない人間に
なりたくないのです。意見を言わずに黙っていた方が出世するんじゃないかと考えるのに近い。
逃げるは恥だが役に立つ、的な思考回路は捨てて、余力があるのなら余力のない人のために動く。ちゃんと勝って上に行こうぜ。
特に違法でもないから、やってもいいんだけど、それをやるとカッコ悪いから俺はやらない。
と言う感じでの「あえてやらないことに対する基準を自分の中で自分に課して、それを守る」ことが、プライドがあるって言うんだな。その基準のレベルが高い人を、プライドが高い、っていうんだろう。
そういう人は、やってから、不本意でしたが・・・とも言わないだろう。わざとだよバカヤローでいいと思うからだ。
ちゃんと、めんどくさがらずに社会の潮目を見て、自分のやれることをプライド高くやっていくことが50代の目標かもしれないなと、これを書いてて思いました。
まあ、よくてあと20年地球に生息できればいいですが、そうもいかないでしょうから
しかもその20年もあっという間に過ぎちゃうんでしょうから。
変な忖度して嘘ついて、人質に取られた家族を助けるために、ダラダラボールを回して
生きるんじゃなくて
徒党を組まないでも生きていける技術と力を残り時間で爆発させてみたいものです。
あ、俺、家族いねえんだった。気楽なもんです。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。