しいとこいっぱい事件
- 番長プロデューサーの世直しコラム Vol.141
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木 光
ずいぶん前のこと、プロデューサーだったけどまだ若い頃。
ある企業のコマーシャルフイルムを制作しました。
フィルムが完成して、企業の宣伝部に試写をした時に
宣伝部の一番偉い人、宣伝部長がNGを出しました。
最後の子供のナレーションの部分
「いいとこいっぱい!」が「しいとこいっぱい!」にしか聞こえない。
それを至急直せ。ということでした。
偉い人以外の人が「いいとこいっぱい」にしか聞こえませんよ。と言ったのだけど
一番偉い人が、「絶対違う」と言い出しちゃったので仕方ない。
すぐに改定作業をすることになりました。納品の日も迫っています。
監督に連絡して、事の経緯を説明したのですが、「意味がわからん」と取り合って
もらえません。「俺には、いいとこいっぱい!にしか聞こえん」と
「僕もですよ。バカくさいんですけど、やんなきゃいけないんですよ。」
と監督に泣き言を言ったら
「バカくさいって何だ?仕事もらっといてバカくさいとは何だ?
そのバカくさいのから仕事もらってるお前もバカくさいって事だ。
俺は、そのバカくさいお前の言うことは聞けん。お前が勝手に治めてこいよ。
テイク変えたりするんじゃねえぞ。okテイクはそれしかないからな」
あーあー、頼みますよ。余計こじれてしまいました。
その日に録音のスタジオに急遽入り、あまりの急さに代理店の営業の人一人と
僕、録音のミキサーの方だけでの作業です。助けてくれそうな人がいない。
そこに、オンエアの日も迫ってるし、急だからその場で判断したい。
と珍しく宣伝部長がこられることになりました。
いいとこいっぱい!の「い」の音を上げたり、音楽とナレーションのあたりを少しずらしたり 音楽のレベルを下げたり。いろんなことをして宣伝部長にお聞かせしたのですが、
何故だか全然納得してもらえません。
しまいには、監督がダメだと言った別テイクも試して見たんですが、宣伝部長は
「やっぱり、しいとこいっぱい!にしか聞こえないんだよなあ」と
困ってしまいました。打つ手がねえぞ。
見かねた宣伝部の方が
「部長、僕にはどう聞いても、いいとこいっぱい!にしか聞こえませんが
これでいいんじゃないですか?」
すると、すかさず宣伝部長が怒り出し、
「俺には、しいとこ、にしか聞こえないんだよ。俺がダメなもんはダメだ」
と怒鳴り出す始末。
どよーんとした空気が録音スタジオに漂って、みんな無言になってしまいました。
広告代理店の営業の方は、
「櫻木さん、子供たちを呼んで、撮り直しはできますか?」と
そうですね、そのスタンバイをしなきゃいけないかもしれませんね。
今日にでもプリント作業に入らないとonairに間に合わなくなっちゃいますもんね。
困ったなあ。どうしよう。
宣伝部長はものすごい不機嫌になっちゃって、スタジオのソファで
「どうすんのよ?どうすんの?時間ないんじゃないの?」って怒っている。
ミキサーの人は「どうします?」みたいな顔でこっちを見ている。
さっき発言した宣伝部の部下の人は、すみませんすみませんって感じ。
最悪や。どうする俺?
何をしたらここが収まるのか?頭の中でいろんな仮説を立ててみました。
その中の一つ
「宣伝部長は、自分の言い出した事に、
みんなに反論されて引っ込みがつかないんじゃないか?」説。
僕は、その場で思いついた作戦を試してみる事にしました。
少しリスキーだけどその方が効果があるかもね。
「宣伝部長、どこかで耳がいいとか言われた事ないですか?
健康診断とかで聴覚検査されたことありますよね?」
「なんだよ、俺の耳がおかしいって言ってんのかお前!」
「とんでもない。だから逆ですよ。聴覚検査でたまにいらっしゃるんですよ
なんというか、耳の能力が普通より高くて、犬笛とかの周波数帯まで
聞こえちゃう人間。もしかして部長はそう言う人なんじゃないか?と」
「・・・・」
少しの間沈黙が流れました。あー失敗か?
代理店の営業の人は、なんてこと言い出すんだ?と、すごい形相で僕のことを睨んでる。
録音のミキサーの人は、バカめ、と声に出さずに笑ってる。肩が震えている。
すると、宣伝部長が
「んー、実はそうなんだよ。俺、ちょっと耳がいいらしくてさ。
人の聞こえない音を拾っちゃうんで、結構気持ち悪いことがあってね。
病院で検査したらさ、そう、犬笛?あれを聞かされてね。かすかに聞こえたのよ」
「ほらね、そうでしょ」
「そうか、そう言うことか。普通の人には、いいとこいっぱい!に聞こえてるんだ。
だったらいいよ。これでok。もとのミックスで進めてくれる?
みんなやけに俺だけ変だ、みたいに言うからさ。
そうなんだよね、俺、耳が良くてさー、後はよろしく。」
と言ってサクッと帰っていかれました。
ミキサーが「お前は詐欺師か?」と言って大笑いしましたが
僕は本気でしたよ。ギリギリですよ。ほんと。
仮説の通り、宣伝部長は振り上げた拳のおろしどころを見つけられなくて
苦しんでいたんだと思うのです。
そこをもっと早く、拳のおろしどころを作って差し上げなければいけなかったのです。
その時思ったのは、誰が何を言っても、いろんな作業をしても振り下ろせなかった拳は
ちょっとキャッチーなネタで包んで上げないといけないだろうと言うこと。
ちょっと変ですが、こちらへどうぞ。
それがリスキーでドキドキしたんですが、宣伝部長はその突飛さと面白さを
理解して聞いてくれたんだと思うのです。別に耳なんか良くなかったんだと思うのです。
わかったよ。だったらいいよ。そう言う事にしといてやるよ。と。
いろんなことが起こります。話を前に進めなきゃいけないので。
これもプロデューサーの仕事であります。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。