信頼の継続

番長プロデューサーの世直しコラム Vol.143
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木 光

とある漫画を読んでいたら、登場人物のセリフに

“信頼”っていうのは、“この人は既に全力を尽くしているのだ”と認めるとこからじゃないの?

というセリフが出てきてハッとしました。
信頼についてこんなに具体的に言い表されて、腑に落ちた事が今までなかったからでしょう。
加えてこのセリフには今抱えている大きな問題が解説されているような気がしたのです。

CMの企画を考えるとき、ブランドとかブランディングとかブランド化するとか
そう言うことが良く出てきます。で、よく悩みます。ブランドってそもそもなんだ?
と。
で、考えました。自分で好きで使ってるブランドと呼ばれるものが何故ブランド
なのか?色々考えて出た僕なりの定義は、ブランド=信頼の継続、でした。

信頼し続けているもの。僕は好きになった物はそればかり買うので、それが何故か
を考えたら、デザインは自分の気分にいつもあっていて、使い勝手はいつもいい。
そうくるよねーという技術革新がある。全力でモノ作ってやがるな、と感じられる。
とか考えていると、これはファンでもあるし信頼してるんだな、と。
それを長い時間感じられたから他は買わないんだ。少しお高くても買うんだ、と。

一発カッチョいいCMを作ったところで、ガラッと企業のイメージを変えて成功するなんて
できないんじゃないか?その企業が売ってるものやサービスが買う人に信頼されていて、それが
長続きできないとブランドにはなり得ないんじゃないか?
時間というか、付き合いというか、思い出の歴史が必要なんじゃないのか?
実は、どの仕事でもそうなんじゃないか?

映像業界は、今は、一般に出回る機材の技術の革新で、プロだかアマチュアだかわからない人が
結構いい仕事するようになって、今までプロでございますって顔した中で半端な仕事しかしてこなかった様な人は、あまり大きい顔できなくなってきました。

東京にいなくてもインターネットのおかげで、今までメディアというものに縁のなかった人でも
自分の作品を発表して、不特定多数の、いや、世界中の人の目にみてもらうことが出来るようになりました。

写真の世界は今、まさにそう。
フィルムで撮影してる頃は、ライティングの基礎などをちゃんと学ばないと
ちゃんと写りませんでした。少なくともお金貰うレベルの写真は撮れなかったのです。
デジタル機材の発達のおかげで、スマホで撮影された写真の中にもハッとするようなものを
SNSなどで見かけるようになりました。当然撮影した後の補正も自在になりました。
辛い下積みなんかなくても、そこから出てくる時代の空気をつかんだ若い才能もいるんです。
それをちゃんと引っ張り出す目利きのような人もいる。

プロのカメラマンじゃなくても、旅行先で写真を上手く撮って、ストックフォトなどのサイトで
有り素材として売ってる人もかなりいます。そこそこ需要があって、儲かる人もいるそうです。

デジタルの機材で撮影したものをインターネットのサイトで販売する。
お医者さんや弁護士さんみたいな免許商売で無い限り、
センスがあれば、素人でも、副業でも、そういう事でお金を稼げる時代になってきました。

動画の世界ではユーチューバーと言われる人たちが近いかもしれません。
と書いていて気づきましたが、ここにこうやって偉そうに文章を書いてる僕も
文章を書くということについてはズブの素人です。発表する場所と機会をネットに得ただけ。
なんだ、俺か。本気で書いてますけどね。毎回。

とにかく、そうやって、いろんな仕事でプロとアマチュアの境が曖昧になって来ています。
悪いことではないとも思うんですけど。
ただ、僕は、本業の、もう28年もやっている、テレビコマーシャルを作る仕事で、
周りの素人さんに簡単に立場を奪われるようなことがあってはならないのです。
でも、それは、ないとも言えないのです。
作品を発表する場所を得た、今まで埋もれていた才能が既に出てきてるし、
これからボコボコ出てくると思うのです。
そんな人たちを発掘して機会を作るのもプロデューサーという職業だからですね。

いろんな人がいろんな形で世に出てきて、アマチュアがプロを食ったりしながら有名になったり
ごちゃごちゃになっている状態がまさに今かもしれません。
これが、もう少し時間が経ち、表現や技術がもっと進んでいくと、やっぱりまた乖離が始まって
新しい分けられ方でプロとアマチュアの境界線がぼんやり出てくるんじゃないかと思います。

その時、プロの側でいられるために何が必要なのか?

「“この人は既に全力を尽くしているのだ”と認められる事」
だと思うのです。プロとしての信頼です。

全力でそのことをやっていると、その人のオリジナリティが生まれてくる。
オリジナリティを出すには全力で何年もその事をやらなきゃいけない。
そのオリジナリティを、他人が金出しても買いたい、というレベルに維持しなきゃいけない。

それが簡単にコピーやダウンロードできないようなものになれば、
簡単には真似のできないオリジナルなプロになれるんじゃないだろうか。
才能とかセンスとか運とか世情とか気分とか、全力でやってもどうにもならないものも有りますが。
「才能」の意味は、「寝ても覚めてもやっていられることを無意識に見つける力」
だと、なんかの本に書いてありましたから、全力を尽くしている状態、と近いですね。
逆に一瞬、パッと輝く事ができたとしても、続かないとやむなく廃業しなきゃいけないし。

何だかんだ色々言いながら、結局プロフェッショナルは、全力を尽くす仕事を
継続できている人しか残れないということなんでしょう。

“信頼”っていうのは“この人は既に全力を尽くしているのだ”と認められること。
それを継続させる気力と体力を身につけること。途中で放り投げたりできないと覚悟する事。
他の人が難しすぎて手を出せない領域に挑戦し続けてものにするとか。
全力の結果、発注主や見てくれる人に対して納得力がちゃんとある事。メジャー感か?

信頼の継続。こんなに難しいことも他にありませんが、やらないと飯が食えませんね。
お金をもらって依頼されて、自分の技術を売る。それを生業にする。ということですから。
サラリーマンも一緒ですね。サラリーマンでもプロのメジャー感とオリジナリティは求められます。自分がブランドで居られるか?恥ずかしい言い方ですが実はそうですね。

実はこの話は、このセリフが出てくる漫画の作者の方と、実際にお話ししていて出てきた考え方です。みんなに聞いてもらいたいほど面白かったので今回書かせていただきました。
おかざき真里さん、ありがとうございました。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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