あまりにもひどい
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.52
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
3/11の東日本大震災は、日本にあまりにもひどい打撃をくらわせて行きました。
被災された方には、心からお見舞い申し上げたいと思います。
東京都もすごく揺れました。
東京はけっこう頻繁に地震があるので、なんというか慣れてはいるのですが、今回の揺れ方は、「これはやばい」と直感するくらい大きく、長いものでした。
正直、揺れている間、「これで死ぬかもしれないなあ」と思いました。
自然の力には、悪気もなければ意志もないので、地震にも、その後に起きた津波にも、腹を立ててもどうしようもありません。
本当は怒りが収まらないのですが、自然と戦うわけにもいきません。ただ悲しむだけ。
僕の場合は、生活は多少不便になったけれども、五体満足で生きている。困っている人たちのために、自分のできることは可能な限りやろうと思っています。
こんな、想像もつかなかった事態となると対応は大変です。
あまりにも規模がでかく想像がつかなかったんだから、準備ができていません。
政治家も、諸々の専門家も、うろたえました。当たり前だと思います。
ただ、報道を通して知るにつけ、あまりにもひどいと思わされることがあります。想像を超えた大事件が起こっているにもかかわらず、まだ何かの決まりやメンツを守ろうとして対応が遅れたり、対応に失敗したりしていることです。
問題は、起きたことではなく、起きたことへの対応にあると思うのです。
福島の原子力発電所で緊急事態がつづいています。
地震後すぐにアメリカから原子力事故救援チーム派遣の申し出があったが、最初は断ったらしい。そう報道されています。で、防護服もマスクも放射線量の測定器も数が足りず、事態を収拾できず、時間をかけたあげくに今度は日本から同じチームの派遣を要請した。
結局、放射能を含んだ水が海に「だだ漏れ」しています。
津波にのまれて離発着禁止にした仙台空港に、アメリカ軍の輸送機が強行着陸した。その輸送機から重機が下りて来て、滑走路を飛行可能な状態に修復してくれた。
ところが、日本政府は、米軍に厳重抗議をしたそうです。離着陸禁止にした空港に飛行機を無許可で着陸させたからです。
そんな話ばっかりです。
フランスからはすぐさま、がれきの中から生存者を嗅ぎ分ける高度な訓練をつんだ救助犬をつれた救助隊チームが来日しましたが、犬が検閲を通らずチームは数日の足止めをくらったそうです。昔もそんな話がありましたが、進歩がありません。
避難所にぞくぞくと救援物資が届いている。だけど、扱いを任された行政は、公明正大と平等の基本理念に固執し、みんなで分けられる量が届くまで配ろうとしない。貯蔵庫となった体育館の、目の前に避難してお腹を減らしている被災者にさえ与えないのだそうです。
もう、くらくらしてきます。
そりゃあ、いろんな人に立場があって、いろんな組織の中でいろんな決まりを守って暮らしているでしょう。だけど、一番大切なのは、なんですか?
「何かあったら責任をとらされる」からと自分の人事評価が下がるのを気にしてコンプライアンス遵守の名のもとに、人の命が失われてしまいそうな時にもバカな判断をするようなことはそろそろやめたらどうでしょうか?
「何かあったら」の何かは、人が死ぬより嫌なことなのか?
「人の命がひとつでも多く助かるなら、俺がこの組織をクビになったって痛くもかゆくもねえぜ」となぜ思えないのか?
政権を交代させてまで日本のリーダーになりたいと思った人たちは、メンツにこだわるべきじゃない。最良の人材と英知を結集して、ことに当たるのが当たり前だと思うのです。自分の身内だけで考えたってたかが知れてるんだから。震災対策チームの日本代表を選出するべきです。「絶対に負けられない戦いがそこにはある。試合開始直後に大量点で試合を決めてしまわないといけない。試合が長びいたり負けたらどんどん人が死んじゃうからだ」という状況なのに、なんか、まだ、ベストチームを組まないまま、もたもたとした試合運びをつづけている。
海外では、「暴動もなく、窮地に冷静に対応する日本人」に賞賛の声があがっているようですが、違和感を覚えます。ちょっと違うんだよな。
日本人の行動を決める一番の基準は「集団」ですね。集団の目が届く所にいる場合、その集団の漠然とした意志にそぐわないことをすると、ものすごく怖い目に遭います。逃げ場もありません。その怖いエネルギーは、個人の欲望など「胡麻をする」ようにすり潰してしまう。それが怖くてわがままが言えないという社会が形成されています。我慢をしているんじゃなくて、我慢をさせられている。
それがいい方向に出れば、「冷静」と評価される。
しかし、東京電力の記者会見がいい例ですが、集団が怖くてはっきりとモノを言わない。何を言っているのかわからない。
幹事長の言う「ただちに人体に影響はありません」の「ただちに」は、「私の在任期間中には」にしか聞こえない。
無責任に見ているだけの人は「何言ってんだよこのオヤジ。わけがわからん。引っ込め」と思うでしょうが、さて自分があの立場に立ったら言えるでしょうか? けっこう厳しそう。あと何年か失敗しないで過ごせたら役員になれるとか、退職金が満額出るとかに代表される保身の考えが頭の中をめぐっている。人が死ぬ、環境がこの先何十年も汚染されるって時にも自分の利益を考えるものです、人間なんて。現状は自分だってすぐ死んじゃうかもしれないにもかかわらず、あんな態度なんだから、すごみさえ感じる。
ただし、そういう現象がメディアに晒されると、輪をかけて大きな集団ヒステリーを起こしてめった打ちが始まります。日本社会には、そんな構図があるんです。
日本人自身が「村社会」と自虐的に揶揄する側面が、見事に顔を出しています。集団が怖いから、何もしない方が無難である。はっきりさせない方が問題は少ない。俺は言ってない。「言わなきゃ知らなかったで済まされる」という考え方です。だから暴動は起きにくいけれど、非常時の判断もあいまいで鈍るんですね。そこがヤバい。
そういう村社会において、内部から革命を起こして勝ち取った自由の歴史もまったくなく、延々としがらんだままの政治を行い、みんなでこの国を包む「苔」になりましょうと言うニュアンスの教育をしてきた長い平和ぼけの歴史の国に、今回の震災はハードすぎたのかもしれません。戦争じゃなくてよかった。
このままだと、あいまいな危機管理しかできない日本人には、日本という大きい国の運営は無理だという結論に達してしまいます。国連に統治してもらったりGHQに占領してもらったり、アメリカの州に入れてもらったりした方が幸せになれそうな気すらしてきます。極端な話。
ただ、これから復興していく時に、日本人の心構えも随分変わるだろうという気がします。もちろんいい方に。
「命の危険にさらされるようなことは、現実として起きる」ということが身にしみました。
「どうせ死にはしねえよ」と、いい加減なことができなくなりました。
そんな時に今までの「事なかれ主義」的な判断や態度でいると生きて行けないし、とにかく気持ちが悪い。誰かのせいにしても、何も解決しやしない。
もう、何かを隠してもすぐにバレます。テレビやラジオや記者会見が言ってることも、村社会が隠していることには触れていないと海外からのニュースでわかってしまいます。電話はつながらなくても、インターネットはつながってましたね。
リビアやエジプトと同じレベルで、そこに暮らす人間の意識の変革が問われているのです。
これまでの日本の民主主義、自由は少し嘘だったんです。そして、生まれた国を良くするのは若い世代の使命です。今やっている人たちには事後処理が終わればただちに退いていただきましょう。新しい感覚を持った、シンプルでわかりやすい思考回路で、事実を公表し、それを元にスペシャリストが集まって最短距離で判断して物事を解決する。
そういうニュータイプ日本人たちが、増えてくることを期待します。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~
- 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
- 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
- 2000年にプロデューサーに昇格。
- 2009年 社名がリフトに変更。
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。
<主なプロデュース作品>
- AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
- 日清食品 焼きそばU.F.O
- マルコメ 料亭の味
- リーブ21 企業CM
- コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
- クレイジーケンバンドPV