モラルについて
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.51
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
先日、また恐ろしい出来事があった。
銀座のスターバックスコーヒーで、お茶でもしようと思い、柔らかいソファに座って、ホットのカフェモカをトールで飲んでいたときだった。
隣に、小さい赤ん坊を連れた若いお母さん同士のひと組が座っていたのだが、いきなり赤ん坊が泣き出した。あやしていても泣きやまない。
その若いお母さんのひとりが、もうひとりに「うんちしちゃったんだよ」と言った。
そして、その場でなんとおしめを替え始めたのである。つまり、座っていたスターバックスの席のテーブルの上でおしめを開き、ウエットティッシュで赤ん坊のお尻を拭いて、新しいおむつに替えようとしている。
店内にはほのかに新しい命のうんちのにおいが漂っている。それが当たり前のように、連れのお母さんも手伝ったりして。
「おいおい、勘弁してくださいよ。ここ飲食店なんですけど」といつものようにすかさず文句を言いました。僕。すると、何が悪いのよ? と言わんばかりににらまれてしまいました。そして無視。もうひとりのお母さんは、「子育ては大変なんだから、わかんない奴は文句言うなよ」みたいなことを空間に向かって吐いている。ちゃんと届いてますよ~。
僕の反対側に座っていた、派手な色の服を着た年配のご婦人の集団からは、「嫌ねえ、トイレでやりなさいよ」とまた誰に向けられているかわからない言葉が発信されている。「臭いわねえ」、「ほんとほんと」、「なにかんがえてんのよ」
その中のひとりのおばさんが、文句を言った僕に、「あんた、ちゃんと文句言って偉いわねえ、あんなの母親になる資格なんかないのよ」って感じで、その若い母親たちにも聞こえるように、顔をしかめてこう言いました。「自分さえ良ければいいと思ってるんだから。日本人のモラルが下がってるのよ」と。
ものすごい大きな声で、興奮しながらどうでもいいような話をぎゃーぎゃー話していたおばさんに味方についてもらった形になって、お店のテーブルでおしめを替える若い母親が攻撃を受けてそれを無視している姿をみて、変な夢を見ているような気分になってしまいました。
そこでう~んと考えてしまいました。 まず、その若い母親は本当に「自分さえ良ければいい」と思っているかという疑問。多分違う。問題は、自分さえ良ければいいなんて頭のいいことを思って作為的におしめを替えたわけではなくて、もっと低次元の、赤ん坊が泣いてうんちしたから、当然のこととして、その場でおしめを替えたという状況だったということ。つまり、何も考えていない状況。それくらいレベルが低い話なのである。
もうひとつ、「日本人のモラルが下がっている」とごく一般的な意見を、ざっくりとした思考で思いつき、得意げに言い放ったモラルの低いうるさいおばさんの言葉が気になってしまったのです。なんだその意見は。「気持ち悪い」と。
モラルってなんだ?
モラルが下がっているのは日本人だけなのか?
モラル(moral)は、調べてみると「道徳・道義的な」、「教訓」などを意味する英語です。現実社会や現実の自分の人生に対する態度や気持ちのあり様をいい、法的根拠による拘束を持たないもので、宗教のように、あるスーパーマンとの関係においてではなく、人間と人間の関係において「善悪の判断を伴う感性」みたいなもののことだと書いてあります。
それに対して「価値観」という考え方があります。信条、見解、態度、感情、習慣、しきたり、好み、偏見によって形成され、そのときの社会情勢によって刻々と変わっていくものです。要は好き嫌い。自分に対する利益の享受の仕方。今は、価値多様の時代と言われていますので、人間は自分の好む価値観をまるで買い物をするかのように選び取る権利を持っていますし、心変わりもまたアリなのです。
モラルが普遍的で一定の道徳規準や倫理基準であるならば、価値観という好き嫌いと利益による人間の基準がモラルより大切になった場合、モラルが下がった状態。と言うことになります。
日本だけじゃなく、世界中がアメリカ型のルール至上主義へ移行していく中、ルールを破ればひどい目に遭う、つまりルールを守れば何をしてもいいという価値基準の中に世界中は飲み込まれてしまうわけですが、そういう価値観の増大で、モラルの低下は確実に世界中で起きているということになるそうです。
どこの世界でも、モラルダウンを良しとするわけではなく、いろんな人がいろんな手を打っているのですが、道徳を向上させようという試みと、独自の価値観を推し進めようとする力のせめぎ合いの中で、結果的に、モラルの低下が進んじゃった。つまり金儲けにモラルが負けちゃった状態になっているともいえます。モラルは自分に厳しいので負けがちなのです。
高層ビルに飛行機が突っ込んだ映像を世界に配信する時代。民主化運動をする国民に、既得権を守るために空爆をする指導者が出る時代に、人間関係の大切さや命の大切さを説いてもなんの説得力も見あたらないのは確かなことです。
明日死ぬかもわからないのに、道徳もモラルもへったくれもあるもんか。うまい物を食わせろというのが、人間の本音なのかもしれません。
日本での、いや、スターバックスでの問題は、もっとレベルが低く、そういうことすら考えないで、無意識に無神経になっている馬鹿が多いと言うことです。うまくいかないことは世の中のせいにして、自分の問題に目を向けず、改善もせず、他人だって大変なことを抱えて生きているという想像もつかず、「自分は大変なんだから」と無神経な自分を正当化し、注意されたら恥ずかしさが先に立ち、自分が悪かったということを思考から消去する。「むかつく」とか言っちゃって。
「人の気持ちを理解できること。これすなわち教養という」と誰かが言っていたのを思い出します。
自分のやっている行動で、嫌な思いをする人がいないだろうか。そういうことを自己監視するシステムを自分でつくることが大切だと思うのです。他人がなにをどうしていようが関係なく。積極的に他人と関係性を持ったことのある人間にしか、獲得できないことかもしれません。
そのためには、親や学校が、子供が小さいときから、自分の欲望の先の行動が、自分の周りにどういう影響を与えるのか、想像力をフル稼働させてシミュレーションする習慣をつけさせなければいけないと思うのです。大人も理解しなければいけないし、必要としなければいけないし、やらなければいけない。
「道徳教育の徹底」とか、「日本人のモラルの向上」とか、何を言っているかわからないようなことを、自分でも理解していないくせに声高に叫ぶより、もっとわかりやすく、「俺は大丈夫か?」と、生きていくための戦術として、自分の人間関係のイメージトレーニングをする習慣を身につけた方がいいと思うのです。
尾崎豊の「シェリー」という曲は、実はこのことに悩んで自分と見つめ合って悩んでいる人間の状況の歌だったんですね。
それは、結構難しいことなんだろうけど、子供らしい自己顕示欲から抜け出して大人のコミュニケーションをとらなければ社会とリンクできないことを思い知ったときに、叩きのめされても引きこもらないで生きていく唯一の術だと思うのです。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~
- 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
- 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
- 2000年にプロデューサーに昇格。
- 2009年 社名がリフトに変更。
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。
<主なプロデュース作品>
- AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
- 日清食品 焼きそばU.F.O
- マルコメ 料亭の味
- リーブ21 企業CM
- コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
- クレイジーケンバンドPV