喜ばすべきは
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.50
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
まあ、仕事柄、J-Popといわれる今の流行の歌謡曲もチェックするんです。
誰の、どんな歌がはやっているかとか、どんなPVなのかとか、スタッフはだれかとか、単純には楽しめないんですが、じっくり見たりします。
で、昔から、歌はやっぱり歌詞だなあと思うところがあって、絶妙な歌詞の歌に出会うと嬉しくなってしまいます。
本当にどうでもいいことなんですが。
最近、何となく嫌な感じがするのは、どこの国の人だかわからない名前とお姿の、若い日本人の女の子が歌う歌の歌詞が、あまりにも稚拙だろと感じた時。ああ、この子、日本語が下手なのねとすら思う。
カウントダウンTVなんか見ていると、ダイジェストでさびの部分の連続なので、それがすごく目立ってしまいます。
印象としてはこんな感じ。
そのままの君でいて
聞かせてくれ
素直になれない
夢の中で
今宵
離れていても
変わらぬ想い
誰よりも愛してる
ひとりじゃない
答えを探して
けんかばかり
翼をひろげて瞳をとじる
強くなれる
君がいるだけで
会いたくてたまらない
Wow wow~~yeah・・・
mm~~I love you~
I miss you・・・
よく聞くフレーズを並べるだけで、サクッと売れそうな歌詞になっちゃいますね(笑)。
ネットで「J-pop 歌詞」とかのワードで検索するとそういった議論をしている掲示板がいっぱい出てきて、「翼広げすぎ、瞳閉じすぎ、君に会いたすぎ」って同じ様なことをみんなで言い合っています。
なんだ、やっぱり多くの人がそう思っているのか。
だから何なんだ?と言うことになる。
昔の歌はよかったのか?
はい。良かったと思うんです。
あくまでも個人的な好みと印象なのですが、昔の歌謡曲は歌詞が切なかったと思うのです。
「切ない」という感情をなんと理解するのかにもよるんです。
「ほしいものがあり(でき)自分が心を開けばそれが手に入るような状況だけれど、大人の事情などがあって、その快楽を手にすると、その先にはきっと不幸な結末が待っている。だけど多分私は我慢できないだろう。だって酔っているから。世界がキラキラしているんだもの」
僕は、そう感じます。不幸な状態ではなく、不幸になる手前の、どうしてもつっこんでいってしまう欲望との葛藤。明るい希望と暗い未来。みたいなことを切ないと言うんだなあって感じ。大人の歌ということですね、きっと。
そういうところに自己投影できてドキドキする。または、実際にそういう状況にある人たちが涙する。そういう想像力で描かれたドラマが、歌詞になっている。
子供心に、歌を聴いて、夜はキラキラしていて、大人になると楽しいことがありそうだなあと思った。はやく大人になりたいなあと願った。
最近の懐古趣味の歌番組なんか見ると、子供の頃にはやっていた歌で、なんとなしに口ずさんでいたような歌でも、大人になってからわかる意味があって、この歳になって、あら、それはこういう意味だったのね。なるほど、怖いねと気づく。そういう深みがあったんだと思います。
書いていた人で有名な人は、阿久悠さん、松本隆さん、なかにし礼さん。そんな人たちだったと思います。その人たちが書いた詩のヒットした歌は書き出すと限りがありません。他にも、シンガーソングライターという不思議なカテゴリーを持っていた人たちの自作の歌がいっぱいヒットしています。
阿久悠さんは2007年に亡くなられていますが、生前、こんなことをおっしゃっていたそうです。
---ブログと小説(映画)の違いぐらい違うと思いますね、今のJ-POPの詞と歌謡曲の詞とはね。「誰かが喜んでくれるといいな」、「誰かが興奮してくれるといいな」、「誰かが美しくなってくれるといいな」というような願いを込めながら、一つの世界を作り上げていくっていうのが歌謡曲であって、そうじゃなくて、「俺はこんな気持ちで悩んでるから俺の気持ちをわかれよ」っていうのがブログですから、ええ、これの違いだろうと多分思います。---
ここにもっと大きな問題があると思うのです。
誰を喜ばそうと思ってものを作っているかというクリエイティブの向かう先の問題です。
企業は、株式の上場などで、会社は株主のものという認識になる。働いている人たちは、買ってくれる顧客を喜ばせる前に、手っ取り早く業績と株価をあげて株主を喜ばせなければいけなくなった。
たとえば映画の場合、映画の制作者は、とっかかりの資金を出した制作委員会なるスポンサーの集団を喜ばせることを、まず、考えなければならず、そのために、難解なことや不条理なこと、インモラルなことは、撮影に入る前にどんどん削られていくらしいです。
テレビの番組は、予算削減の中、金がかからず、手っ取り早く視聴率を稼げる企画を考えろというプレッシャーが強いと言います。だから、最近は、お笑い芸人と女装したおっさんがいっぱい出てきてお茶を濁しているような、似たような企画ばっかりです。
コマーシャルは最初からそうで、芸術作品をつくっているわけではないという教えが基本中の基本ですが、最近はその傾向がさらに強くなっています。企業が言いたいことばっかり詰め込んでいて、発信している先の人間が何を聞きたがっているかはとりあえず無視されている。ナレーションは15秒間のラップミュージックになっています。
学校のクラスでも会社でも自分の言いたいことばかり言う、言いたいことしか言わない人は他人に相手にされなくなっちゃう。
音楽の制作現場もそうなのでしょう。馬鹿と子供に照準を合わせて、子供が簡単に理解できるような歌をつくれ。中学生のラブレターのような歌をつくれ。そういう指令が出ているとしか思えないのです。
とにかく、喜ばせるべき相手を馬鹿にした結果になっているし、喜ばせるべき相手のニーズを間違い始めているのであります。
出資者でも関係者でもない、会社の力関係でも株主のためでもなく、ただただ、お金を出して見たり聴いたりしてくれる人たちにレベルの高いエンターテインメントを提供して喜んでもらおうという気がないと、結果的にいいものはできず、株主も制作委員会も喜べない結果になっているんじゃないんでしょうか?
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~
- 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
- 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
- 2000年にプロデューサーに昇格。
- 2009年 社名がリフトに変更。
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。
<主なプロデュース作品>
- AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
- 日清食品 焼きそばU.F.O
- マルコメ 料亭の味
- リーブ21 企業CM
- コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
- クレイジーケンバンドPV