『メジャー映画だろうが、描きたいことは変わらないのだ。自分の思うままの青春群像を、ガッチリとスクリーンに叩きつけるだけだ。』

Vol.013
井筒和幸の Get It Up !
Kazuyuki Izutu
井筒 和幸

東映の東大卒の営業本部長が、きわめて官僚的な命令口調で「9月中旬の全国封切りに間に合わせてくれ。三浦友和主演の「獣たちの熱い眠り」という勝目梓原作のシャシン(映画)のそのB面だ。不良たちのアクション活劇でいいんだ。予算は3千万だから、無名の若い役者たちを集めてやればいいよ」と頭ごなしに言い切られたその翌日から、我らの「井筒組」は再稼働し始めた。

今思えばだけど、恐らく、28才の映画熱に犯された小僧が、東映に呼びつけられて、そんな注文を受けたのはとても稀なことだったようだ。東映も東宝も松竹もメジャー配給網はそんなどこの馬の骨か分からない外部の若手監督の一本釣りはそう安易にしていなかった。どこの馬の骨だか分からないが、なんかオモロイものを作りそうな一匹狼がうろついてるぞ、うまく追い込んでやろうという、そんな営業本部の直感と魂胆だったようだ。

その頃、どこにも属さない(フリーランス)の20代の一匹者は、日本に10人もいなかった。そういう意味じゃ、知らないうちに我らも名を上げていたわけだ。

我らにとっては売られた喧嘩だ。映画を作って熨斗(のし)を付けて納めにいってやるぞ。弟分のシナリオライターの卵の西岡(琢也)は原稿用紙に、シナリオのシーン#1、岩に砕ける波間に浮き出る三角の社名マーク、と殴り書きして、ボクを見てから、ほくそ笑んだ。

我らの作るストーリーに原作本はなかったが、ボクが数カ月か前から思いつくまま書き綴っていた「ギラギラッ!」とタイトルをつけたシノプシスを参考に、もう一度、粗筋を考えてみた。以前、西岡がこの二人組の強盗犯の話は面白いよと教えてくれた、西村望の「水の縄」という短編小説に想を得て、書いたものだった。

行き場のない田舎のチンピラ少年らが、ゆきずりに出会って犯した女と懇ろになり、犯罪に手を染めていき、最後はどこかに籠城して…という高度経済成長ニッポン版の「俺たちに明日はない」みたいな話だった。確か、「人生は行きずり。すべての犯罪は革命的である」とシノプシスの冒頭にメモしたのを覚えている。映画という幻想(夢)に一番もってこいのテーマだった。迎える夏のロケに合わせ、ギラギラッ!とした生きざまを描きたかった。

6月の梅雨も明かないうちから、大阪の阪南部でロケ撮影が始まった。

(まさか15年後に、「岸和田少年愚連隊」でまたロケに行くとは予想しなかったが)、ギラつく日差しの下、人間たちが地面に這いつくばって、欲の限りをゼーゼー息しながら生きているようなそんな街並みが、ボクはロケハンに行っていっぺんに好きになっていた。まるで、アメリカのB級映画に現れるロサンゼルスの荒々しくもダラッと気だるい感じに似て、映像に綴られる風景らしかった。「ザ・ドライバー」のライアン・オニールが銀行強盗の運び屋で、エンジンをかけたままの車を路地裏に横付けさせている場面がすぐ撮れそうな気もした。

気の向くままに、パナビジョンの新型キャメラを回した。三人のチンピラたちを3部作のように綴っていった。最初の一人はマジメな兄と折り合いが悪く、気の強い兄嫁にそのぐうたらな自分の生き方を罵られたために、兄嫁に乱暴して、少年院に送られた挙句に自殺してしまうヤンキー男だった。唯一の趣味が「ひょうたんの採集」で、集めていた大小様々な瓢箪を兄嫁に踏みつけられて壊されての反抗だった。

このキャラは、そんな特異な趣味の少年がそんな原因で自殺したという当時の新聞記事から得たものだ。先輩の山本晋也監督から「ネタ探しは新聞を毎日くまなく読むことだよ」と教えられたのが役立った。

二段目のチンピラは、町の地回りヤクザの先輩につけ込まれたことから反抗し、ヤクザ事務所でコルトを撃ちまくって二階に籠城し、一階から反撃されて絶命してしまう青年だった。組の事務所ロケセットに借りた小さな工務店の一階の白壁に、(弾着の)血糊を飛び散らしてしまったけど、ロケが深夜に終わったところで、店の人たちにビールとおでんの炊き出しまで用意してもらって、感謝感激だった。

三段目まで生き残ってきた主人公のチンピラは同じく生き残った女と未来の夢を見ようとする直前、青春のオトシマエをつけさせられる羽目になる。敵対していた暴走族集団に一人で立ち向かう・・・。これが、「ガキ帝国・悪たれ戦争」の哀れな非業の物語だ。

武骨だけど愉快で切なくて面白いB級に仕上がって、エンディングはシンガーソングライターの上田正樹が映画のために、過ぎ去ったひと夏のバラード曲を書いて唄ってくれた。

ただ、完成初号プリントが上がる前に一悶着もあった。東映側から(暴走族のアジト部屋に飾った国旗を、主人公が引き剥がすショットがあったのだが)、それは世間を騒がしかねないし、不謹慎だからカットしてほしいと言われ、カットするしかなかった。表現の自由はあっても公序良俗を乱すことは自粛しなさいというわけだ。たかが映画、されど映画、だった。

(続く)

プロフィール
井筒和幸の Get It Up !
井筒 和幸

■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画制作を開始。
8mm映画「オレたちに明日はない」 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を制作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年) 「晴れ、ときどき殺人」(84年)「二代目はクリスチャン」(85年) 「犬死にせしもの」(86年) 「宇宙の法則」(90年)『突然炎のごとく』(94年)「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 「のど自慢」(98年) 「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年) 「ゲロッパ!」(03年) 「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年) 「TO THE FUTURE」(08年) 「ヒーローショー」(10年)「黄金を抱いて翔べ」(12年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、独自の批評精神と鋭い眼差しにより様々な分野での「御意見番」として、テレビ、ラジオのコメンテーターなどでも活躍している。


日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP