矢沢永吉
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.34
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
昨年、この連載で、22年ぶりにバスケを始めた話を書いた。
そのバスケは今も性懲りもなく続いていて、多いときは週1回のペース。
始めた当初はまったく動かなかった体も、1年やっているとある程度動くようになるもので、試合に出ても途中交代せずにいられるようになった。幸いなことに、大きな怪我もしないで済んでいる。
「わいわいとバスケ遊びができればいいなあ」という気持ちでなんとなく始めたけれど、なんとなく形になりはじめると欲も出てくる。一緒にやっている若い奴らは本当にバスケが好きでうまいのだが、なんとか、そいつらをねじ伏せてやりたいと思うようになった。俺の半分くらいしか生きてないガキどもめ。
そんな高いモチベーションでコートに出ても、高校生のころのレベルでバスケができるわけもなく、思ったように動かない体や、飛び込めばいいところで飛び込もうとしない自分の心になんとも言えない情けなさを感じる。現役の頃に、自信満々でできていたプレイがうまくできない。かつて何万回と反復練習したプレイで得点を決めたいのだが、積極的にボールを要求するのが怖いと感じる。「そんなに簡単にいくわけないか、もうこの歳だし」と自分に言い訳してるが、つまりは、ただただ、いまいち根性が足りないのだ。
「俺はこんなもんじゃなかったはずだ、こんなに根性なしだったのか?」マンガじゃないけど本当にそういう悔しい思いである。
先日、矢沢永吉のコンサートに行った。
東京ドーム。この日は、矢沢永吉が還暦を迎えた記念のライブ。
還暦。60歳です。
60歳の初老の男がギラギラのタキシード風の服を着て、大きなサングラスをかけ、ボディーガード風の男達を従えて入場してくる。それだけで5万人が熱狂し、絶叫する。「エーちゃ~ん」。2階のスタンドは、これは本当に床が抜けるんじゃないか? というくらい揺れる。
矢沢が唄い出すと、もう、なんか別世界。見てる側にもそれぞれの思い入れがあって、5万人の思いが爆発する。それは計り知れない。
「たった1人の人間が生み出すこのエネルギーは、なんなんだろう?」と思う。
独特の絞り出すような唄い方で唄い、ステージを隅から隅まで走り、マイクスタンドを蹴っ飛ばす。休む間はない。年齢層も高くなってきたファンの集団の方がつらそうに見える。
「俺、60になっちゃったよ~」と叫ぶ僕の英雄は、その歳のおっさんの体力にあらず。1人で5万人を相手に格闘し、ねじ伏せて熱狂させ、たっぷり3時間のステージを披露して、最後には泣かし、満足そうに笑って去っていった。
後で知った話だが、エーちゃんは、このコンサートのリハーサル中に唄いすぎてあばら骨を疲労骨折していたらしい。そんなそぶりはみじんもなかった。
自叙伝『成り上がり』にあるように、貧乏な境遇からはい上がって、長者番付に名前を載せる。自分の会社の人間に騙されて36億円の借金を背負うが、6年で返債する。エーちゃんの過激な発言や説得力のある教祖の様な言動。「金を稼げ」というわかりやすい態度。テレビに出るのを拒否した秘密主義的なスタイル。革ジャン、リーゼント。『E.YAZAWA』のロゴマーク。
巧妙に隠されていた社会格差の中の軋轢に怒りのエネルギーをもてあましながら、どうやってそのカタルシスを得ていいかわからなかった男の子たちが、矢沢永吉のスタイルに生きる意味を求めて殺到した。それが矢沢ブームだったと思う。白状すると自分もそれに乗っかった1人である。
でも、そんなスタイルだけでは60歳まで唄い続けられるわけがない。単純にエーちゃんは人が感動するくらい歌がうまいのだ。そして、ただひたすら、自分の音楽レベルを上げることに尽力し、いち早くアメリカに渡り、イギリスに渡り、本気で住み込んで一流のミュージシャンに自分でギャラを交渉して払い、レコーディングして作品をつくった。しかも、そのメンバーを日本に連れてくるに際して、外国人を芸能活動目的で日本に入国させるためのビザが発行できる免許を自分で取得した。コンサートの規模を他人の予算繰りで縮小されるのがいやで、制作会社を設立してチケットの販売まで自分でやった。客の弁当のミカンは皮までむいてあげたそうだ。60を迎える今年、メジャーレコード会社を辞めて、自分のレコード会社を設立した。つまりインディーズになったのである。すべて、自分のやりたいように音楽をつくるためらしい。
矢沢永吉のやることを見ていると、「自分はまだまだ全然足りないんだなあ」といつも思わされる。自分のやりたいことを疑わず、媚びず、群れず、リスクも怖がらず、サービス精神旺盛に今できることを想像力の限りにやる。
俺は、そうできているのか? 仕事の面でもバスケの面でも、ここまで真剣にやれているだろうか? どっちも好きでやっていることなのに、うまくいかないと、いろんな言い訳をしてごまかしていないか? やればできたことを、できないと勝手に思ってあきらめてないか?
部下にはいつも言い放つ「馬鹿野郎、真剣に考え抜いて、自分で答えを出して、勝手に自分で死にものぐるいでやって、成功した報告だけもってこいよ」――お前、それを自分でもやれよと、自分に言いました。
エーちゃんのステージをみていたら、自分の弱さが浮き彫りになった。
そうだ、押し合いながらポジションをキープして、大声でボールを要求しよう。そして、ステップを踏んで相手をかわして、シュートをしよう。シュートをするのが面白いんだ。仕事も、バスケも。シュートしないでびびって、どうする!
そういうことを思い出させてくれるヒーローが、いてくれてよかった。自分ができないことをやってのける人には、無条件で尊敬の念が湧くのだ。
「死ぬほど憧れた人がいる」は、強く生きていくためには不可欠である。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~
- 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
- 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
- 2000年にプロデューサーに昇格。
- 2009年 社名がリフトに変更。
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。
<主なプロデュース作品>
- AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
- 日清食品 焼きそばU.F.O
- マルコメ 料亭の味
- リーブ21 企業CM
- コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
- クレイジーケンバンドPV