「未来世紀ツキジシジョウ」
地元福岡の仕事仲間から、これどこだかわかりますか?という写真がラインで送られてきました(※写真①)。うん?どこだろ?わかりませんでした。すると同じ週に今度は高校時代の同級生から「駅が出来たと、しっとーや?」という写真がこれまたラインで送られてきたのです(※写真②)。JR九州の糸島高校前駅。
僕の母校、福岡県立糸島高校は明治35年創立の歴史と伝統だけはある田舎の公立学校です。今は違うと思いますが、僕が現役の頃はリーゼントの男子と地面スレスレまで裾の長いスカートをはいた女子が多く、その地区で最も入学しやすく卒業もしやすい楽しく愉快な学校でした。福岡の街は地方都市では珍しく今なお人口が増え続けていて、そのすぐ隣にある糸島はこの十数年で住みたい街ランキングでも全国上位に入り急に人気が出ているそうです。それにしてもあの場所に駅ですか、信じられません。いや場所的には信じられないことはないのですが。実は昭和40年代までは朝と夕方の登下校の時間のみ、駅はないものの停留場があって糸島高校前には電車(当時の国鉄)は止まっていたのです。それがその頃の生徒のやんちゃぶりが激しくて(いわゆる乗降マナーが守られずに)停留場は撤去されたという都市伝説(田舎ですが)が代々語られてきた場所なのです。感無量。ほんとに時代はパッと変わっていきます。
小春日和の週末土曜の昼下がり。銀座の伊東屋で来年のカレンダーを買って少し遅めのランチにしようと築地まで散歩しました。せっかくなので市場の跡はどうなっているのか見たくなって晴海通りから新大橋通りを右折して驚きました。違和感のある風景。何百遍も来たことある場所がまるで違う様子なのです。見たことのない眺め。空が抜けているのです。以前そこには市場の外壁があって道路側からは見えなかった向う側の広がりがすべて目の当たりにあるのです(※写真③)。川向うの勝どきや月島の高層マンションがこっち側に「見て、見て!」と叫んでいるかのようです。こういうのを何と言えばいいのでしょうか。灯台下暗しとは違いますもんね。元々そこにあったもの。見えていませんでした。知りませんでした。そしてすぐに思いました。夜にもう一度来てみたい!
すしざんまいでお得なランチメニューを食べてカレンダーを家に置いて、「名探偵コナン」を見終ってからまた同じ場所に向かいました。本日二度目の驚きでした。そこにはまさに映画「ブレードランナー」や「未来世紀ブラジル」のような鮮烈な光景があったのです(※写真④)。この場所は東京オリンピック・パラリンピックのときには駐車場として使われ、その後は国際会議場等が建つそうなので今だけのご褒美の見晴らしなのかもしれません。
そんなまるで未来世紀な景色の真ん中にある昔の名前のままの築地市場駅(※写真⑤)。物理的にはもうないのに確かにまだそこには市場が存在しているようで心の温度が少し上がりました。
この気持ちが何なのかを確かめたくなって、明くる日曜日の朝に向かった二つの場所。それは東横線沿線の「学芸大学駅(※写真⑥)」と「都立大学駅(※写真⑦)」です。どちらももうそこには大学はありません。東京学芸大学は1946年に小金井市に移転、東京都立大学は首都大学東京の開学で2011年に閉学しています。どちらの駅も駅名変更の話は出たそうですが共に住民の反対で名前は元のままです。それぞれ駅前の小さな商店街を歩きながら、ここで大学生たちが勉強したり遊んだりコンパしたりだったのだろうなと感じました。おばちゃんおじちゃんの笑顔が印象的な二つの街。きっとその頃の物語がまだ街にしっかり残っていそうでした。改めていい名前の駅です。五輪が終わった後にも築地市場駅が国際会議場駅に変わらないでほしいです。
ところで、僕の住みたい街ランキング第1位は1800年頃の墨田区菊川でそこに住んでいた遊び人の金さん(遠山金四郎)と一杯飲みたかったという話はまたの機会に。