愛、アムール
- ミニ・シネマ・パラダイスVol.9
- ミニ・シネマ・パラダイス 市川桂
「愛、アムール」、【アムール】はフランス語【amour】のことで、意味は【愛】。 原題は「amour」、邦題は愛という言葉を2回繰り返しているワケですが。 ミヒャエル・ハネケ監督の最新作です。待ってました!
3月9日から日本公開を開始していて、ぜひ初日に行きたいと思っていたのですが、色々と予定があわず、公開2週目に観に行くことに。 アクセスの良さから、最近気に入っているBunkamura・ル・シネマ。 私は待ち望んでいる映画でも、チケットをあまり事前予約しません。 待ち望んでいたくせに、気分によって観たくなくなることもあり、無理矢理みてもしょうがない、当日に買うことのほうが多いです。 とはいえ今回はぎりぎりもぎりぎりで、けっこう早足で渋谷駅から駆け込んできたので喉はカラカラな上、劇場内飲食禁止。 なんでこんな極限状態で映画を観るのかと思いつつも、ミヒャエル・ハネケ監督の映画はいつもある種の極限状態にあるのです。
ミヒャエル・ハネケという名前は努力して覚えました。 当初は「ハネケ・・?ハケネ?」としばしば混乱。 でも、この監督の名前はしっかり覚えておきたかった。 代表作のひとつでもある「ファニー・ゲーム」は大学生の頃に出会い、当時はけっこうなショックを受けました。なんて残酷な映画なんだ!という衝撃。「ファニー・ゲーム」は一家が別荘で休暇を楽しんでいるところに、若い男2人組が乗り込んできて、命を弄び、一家をとにかく猟奇的に支配していく―――という、目を覆いたくなるような、救いようのないストーリーです。 (観客がショックのあまり席を立ったり、ロンドンではビデオの発禁運動まで起こったそうです。)
この監督はどれだけ恐ろしい人なんだ、とドキドキしました。 ただ、映画は直視できない現実を直視し、ある種の覚悟を持って綴られていてます。 見た側にたしかな嫌悪感をあたえつつも、誰もが見たくないだけで、確かにある現実のひとつを切りとっているので、そこに共感してしまう。面白さ、悲しさ、美しさ、誰もが隠し持っている「狂気」を感じてしまうのです。 ハネケ監督は恐ろしい監督というより、現実に対する真摯で厳しい目線を、あますことなく映画に落とし込める人なんだと思うようになりました。ふつうの人があえて直視しないことを、ガッツリ見れるあたりはフツーじゃないですが。 同じような設定の「時計仕掛けのオレンジ」とも違う。 もっと現実に落とし込んでいます。 そんな監督が「愛」を描くのだから、ただの「愛」じゃないのは期待できるし、また本当の「愛」の話なんだろうなと、予告を観て感じていました。
「愛、アムール」は二人の老夫婦の死にまつわるお話。 ともに音楽家であり、今はふたりでひっそりと余生を楽しんでいる。 しかしある日突然、妻が病気になり介護が必要な身体へとなってしまう。 どんどん衰えていく妻を、夫は献身的に支えていくのだが、最後に夫は、大きな決断をする。 「介護」は社会的にいわゆる表に出さず、直視したくない現実の一つとすると、ハネケはそこに何の気なしにカメラを向けます。
印象的なのが、「部屋」の捉え方。 部屋数は多く、いくつものドアが部屋と部屋を分けています。 電気はあまり点けられず、窓から曇り空の中の太陽の光がさしていて、中はいつも薄暗い。 部屋には常に、通り抜ける先のドアとその先の部屋が見え、「その先には何かが潜んでいる」ような錯覚を起こさせます。 サスペンス映画のように、緊張感が漂っていています。 介護という生々しい現実が、どこか整然とした雰囲気になり、乾いた印象を持たせます。そのため、夫婦が浮き彫りになり、二人の会話や行動がはっきりと観る側に伝わってきます。介護をしている側の夫も、介護をされている妻も次第に思い悩んでいきます。 「狂気」を知っているハネケの「愛」の映画は、カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)、米アカデミー賞外国語賞を受賞。 観終わったあとは、いつも通り、ショックを感じつつ、どこかそれに共感し、感動する自分に気づきます。
Profile of 市川 桂
美術系大学で、自ら映像制作を中心にものづくりを行い、ものづくりの苦労や感動を体験してきました。今は株式会社フェローズにてクリエイティブ業界、特にWEB&グラフィック業界専門のエージェントをしています。 映画鑑賞は、大学時代は年間200~300本ほど、社会人になった現在は年間100本を観るのを目標にしています。