大野君と想像力
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.62
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
僕らが制作進行の頃は、まだバブルの余韻を引きずっていたせいか頻繁に海外ロケがあって、いろんな国に行かせていただきました。いい時代でした。実際に南極以外の大陸は、仕事で何らかの形で訪れた事があります。海外に出て外国のスタッフと仕事をする。というのもこの仕事の醍醐味ではありますね。ロケ先で予想外の事態に慌てたり、情報不足で恥をかいたり、いろんな事がありました。自分の常識が通用しないことだらけでした。
最近は、不況の問題と、合成やCGIといった映像技術の発達で、確実に海外ロケのチャンスが減っています。結果、経験年数が6~7年の中堅の制作部ですら海外ロケの経験のある人が少なくなっているのです。
最近、海外ロケに出る仕事をいただいたので、それを任せる制作部には、ぜひやった事がない人に経験をさせてあげようと思って、いつも僕の仕事をうまくこなしてくれるけど、海外ロケのチャンスをあげられていなかった大野くんと行く事にしました。
大野くんは、同じ九州の出身で考え方が近く、背も高く、明るく素直な人です。ここ数年、僕の仕事を文句一ついわずにこなしてくれて、お客さんからの信頼も厚く、一人前の仕事ができるようになりました。15歳年下で28歳くらいですがすでに一児のパパだという責任感もあります。イカしたやつなんです。
大野くん、ついに海外デビューです。 しかし、大野くんはその仕事を始めてから、様子が少し変になりました。
僕はこの制作と仕事をすると決めたら、その制作部の領域に関しては何も口を出さない事にしています。細かく指示を受けてそれをこなすだけだったら面白みも無いし本当のところでの仕事への理解はありません。最終地点と最優先事項を明確にして、自分で考えて自分で実行する。どうしたら楽しく仕事できて、何が起きたら嫌なのか、熱いか冷たいか自分で触って自分で対処して、結果の報告をしてくださいね。と。
実は、僕がプロデューサーとして若かった頃、「自分の仕事に失敗なんかあり得ない」という突き詰めた考え方で、部下に、細かく、うるさく、怖く、強く言い過ぎちゃって、部下の制作部が萎縮してしまった事があります。結果、僕の下では仕事は覚えるけれど育たないというジレンマを抱えていた時期がありました。
だから、仕事はどうやったらうまく事が進むか、勝手にやらせて見守り、報告だけを要求する事にして、怒るのもやめたのです。できる限り。当然、変な事になりそうなときは出て行って自分でやりますけど、大野くんとの今までの仕事では、そんなお世話はしなくて済んできました。
それが、「櫻木さ~ん、すみません、ちょっといいですか?」と自信なさげに質問してくる事が多くなってきたのです。しかもその内容がくだらない。 「しらねえよ。そんな事自分で考えろ。お前、いままでその辺でロケするときにそんなこと俺に聞いたか?同じだよ同じ。やる事はどこいったって同じなんだからよく考えたらわかるで。もっといいやり方あるのか?法律とか習慣でなんか不都合があるのか聞いてみろ。俺が即答したらつまんないでしょうが」 としか答えませんでした。 「海外のやり方がわからなかったもんで‥」 「はいはいがんばってください。やることは一緒ですから」
行き先は「ハワイ」です。大野くんはフィリピンのマニラには行ったことがあるのに、ハワイに行ったことのない人です。
僕の初の海外ロケも「ハワイ」でした。会社に入って3年目。その仕事を担当していた先輩が、実はパスポートを持っていなかった、とかいうクソみたいな理由で、そのロケ隊が出発するほんの一週間前に、急遽交代して僕が行く事になったのです。パスポートも持たずに海外に行こうとしていた先輩の段取りですから、引き継いだそれはでたらめな物でした。 今考えてみるとそれがよかったのでしょう。何をどう撮影するのか、人は何人くるのか?何をしなければいけないのか?キャッチアップするだけで精一杯。ロケ地がどこだろうと関係なく、いつも通り進めるしかなかったからです。
まずはスタンバイを自分のいつもやっている様なセッティングに全部変更して、ハワイだとどうなるのかを一生懸命想像しました。それから、自分のやりたい事はこういう事だ、という図解入りのFAXを、何十枚もハワイのコーディネーター事務所に送りつけて調整しました。いつものやり方を現地の都合にあわせて修正することで、初の海外ロケを乗り切ったのです。
大切な事は「想像力」です。
制作部は、海外ロケのときは、さながらツアーの添乗員のような立場になります。ロケ地はどこで、ホテルはどこ。どういう人数でどういう班に分かれて移動するのか?ご飯はどこで食べるのか?何時に集合して誰がどの車両に乗るのか?休みは何をするのか?時差でスタッフが寝坊しないようにモーニングコールまでしたりします。 それに加えていつものロケの作業。どの日に撮影して、天気が悪ければどの日にまたトライするか?何時にどこに集合して、ロケ地には何時に到着したいのか?女優さんのメイクはどこでやるのか?商品はどこに保管して、いつ出すのか?それを立場の違う人たちに個別に指示して回る。夕食の乾杯の前にみんなに大声で言う。 「酔っぱらう前に言っておきますが、明日の集合は7:00です。ロビーに集合してください!!」
ちなみにプロデューサーはそのとき、もっと大枠な事を考えています。商品やスタッフの税関でのトラブルにどう対処するか?いろんな種類の事故が起きたときの対処の仕方。全員の健康管理と病人が出たときの対処の仕方。天気が悪かったときの予想と決断。トラブルの予算への影響。日本への連絡。コンプライアンス、コンプライアンス。
こう書き出して行くと、それは国内ロケで撮影するときにいつもやっている事と変わりません。初めて行く場所が怖かったとしても、いろんな事を細かく想像していくと、やらなきゃ行けない事はわかるし、実はいつもと同じ事をしないと撮影できないという当たり前の事がわかるのです。
大野くんの場合は「行った事が無い=想像してもわからない」という思考停止がおきて、判断ができない状態になっていました。行った事無いんだからいくら考えたってわかる訳が無い。というニュアンスも含みながら。 それじゃ、「想定外」って言いまくって、放射能をだだ漏れにさせたあげくに逃げようとして怒られたどこかの会社と同じじゃん。と。
だから、ある日、二人で会議室に3時間ほど籠って、空港に集合してから帰ってくるまでを、一日ごとに紙に書いて、何をするのか、しなきゃいけないのか、起こりうるトラブルにどう対処するのか、シュミレーションしながら話し合ってみました。 そしたら、その話が終わるころには、大野くんの表情に自信とやる気が戻ってきました。怖がっていた事は、自身の思考停止という暗い闇の中にあったからでしょう。じゃあそこに光をあてようぜ。と。意外に浅い闇だろ?
失敗はしないに越した事はありません。一人だけの問題ではないからです。でも失敗しないと教訓になりません。一番いいのは、本番に入る前に僕と話をする段階で失敗してくれることです。 だから、議論をふっかける。 「さあ、どうしたらうまくいくのか考えろ。」 自分の中には答えはあります。それよりいい案を出してきたら、ほめる。それよりいい案が出なかったら、もう一回考えさせる。とにかく想像をさせる。それでも駄目ならヒントを与える。そういう風に「想像をする作業」に時間を割くのが大事だと思っています。
実は今回のコラム、そのハワイ行きの飛行機の中で書いています。 ホテルについてから送ろうと思いますが、これから始まるロケで、大野くんがどれだけのパフォーマンスを発揮するのか、大野くんの想像がどれくらい正しかったのか。このロケが終わったとき、大野くんが何を得ているのかが楽しみです。
というのは半分嘘で、そこまで余裕があればいいのですが、僕は僕でいろいろ起きるトラブルの対処に奔走する事になるでしょう。その想像ができていればいいのですが・・・。 誰かしらが「インフルエンザにかかっちゃいました」というのが、今の一番の恐怖ですね。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~
- 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
- 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
- 2000年にプロデューサーに昇格。
- 2009年 社名がリフトに変更。
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。
<主なプロデュース作品>
- AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
- 日清食品 焼きそばU.F.O
- マルコメ 料亭の味
- リーブ21 企業CM
- コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
- クレイジーケンバンドPV