前例がありません
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.63
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
今は表立って「反抗」する若者は少なくなっているように思います。 僕は「反抗者」でした。 今考えると、なんであんなに反抗的だったのかわからないんですが。 今でも会社や、仕事中のどこかで「前例がないからできません」みたいな言い草を聞いたときに、あの頃、若い頃心に抱いたいらだちに近い怒りが込み上げてくる事があります。
僕の中学、高校時代は「校内暴力」のまっただ中でした。 そして、世の中はバブル経済に突き進んでいました。 学校に行くのが大嫌いでしたが、バスケは好きだったので学校には行きました。 ちゃんと学校に行ったのは、バスケがやれたから、と親が教員だったので、スポンサーの顔を潰さないようにしないと、という意識が強かったのだと思います。
周りにはいわゆる「ヤンキー」といわれる不良少年たちがいっぱいいました。 僕も彼らの中に当然いましたが、学校の中で暴れる彼らとはちょっと違った感覚で過ごしていた思い出があります。なんだかんだ言っても、彼らは学校が好きだったからです。僕は学校が嫌いでした。だからほんの少ししかいない、こんな学校の中で暴れたって意味が無いと思ってもいました。
なんであんなに学校が嫌いだったのか、今考えてみるとわかる事があります。多分ですが、(今はどうだか知りませんが)あの頃の教育のカリキュラムは、「今ある事の伝承」にしか重きが置かれていなかったのだと思います。つまり、「今ある事をまじめに覚えようとする、先生の忠実な弟子」を作りたがっていただけだった。
世の中がどんどん豊かになっていく時代に、もっと面白い事ができるんじゃないか?とか、もっと新しい事ができるんじゃないか?と若者は思っていた。つまり抽象的な概念への興味や、付加価値の高い物へのあこがれ、みたいな物を求めていたんだと思います。平たく言うと、外国に出て行く事も含めて「今より先の社会にいきたいなあ」という欲望が僕は強かったんだと思うのです。
もう一つ、「学校の先生」という人たちがひどくつまらなかったという事もあります。 バブル景気の前夜で、なんとなく、学校の外は楽しそうで、出て行きたくてうずうずしているのに、学校の先生たちはなんとなく呑気な感じしかしませんでした。教室で起こる先生と生徒の問題や、くだらない生徒間での問題についても、なんというか、建前ばっかりで交渉能力がないというか、調整能力の無い人が多かったように思います。そもそもビジネス思考じゃない人たちの集まりだったのでそういうのが苦手だったのでしょう。
過去の体験や昔の話ばっかりして「その先の社会にいこう」と思う気持ちをいつも邪魔する。正直、うんざりさせられる事が多かったのだと思います。 そういう事じゃないんだよなあ。想像力がたりないんだよ、と。 先生たちの言う事と言えば「前例がありません」だとか「決まりですから」ばっかりでした。人と話をする能力がないから管理教育に走ったのでしょう。我慢ばかりして高度成長期を支えてきた大人たちには「その先の社会」は実体のないただの贅沢に写ったのかもしれません。
学校の先生たちには、よけいな事は考えなくていい。勉強しなさい。とにかく国立の大学に入りなさい。そこから先はその後考えればいいんです。と、ある意味僕らに対する人生のアドバイスを放棄されていました。僕のほうも、人生のほんの一瞬しか関わらない世間知らずのアホな大人の言う事なんか無視しようという態度でいたら「お前みたいな奴はろくな大人にはならん」と言われました。 ろくな大人ってなんなんだよ?と。お前は立派な大人なのか?何のために生まれてきてどこに行くのかもわからないまま、楽しく生きるためにはどうすればいいのか?楽しく生きてないからそれについての説明ができないでいるくせによ。
当時、尾崎豊の歌が流行っていたのは、その感じをうまく代弁していたからだと思います。僕にとっては何の解決にもなりませんでしたが。
あの頃と比べて、今は、ものすごいスピードで世の中が変わって行きます。日本にも外国人がいっぱいいて、世界中の情報が一瞬で手に入るようになりました。経済の悪い時期がずいぶん長く続き、新興国に製造業トップの座をあっという間にうばいとられてしまいました。「ものつくり日本」とかいいながら、実は日本はずいぶん前から輸出で利益を出す国ではなく、投資で利益をだす投資国家になっています。
仕事をして行く中でも、テレビのコマーシャルの役割もどんどん変わって行っています。今までの流通の形態から、インターネットを介した商売の仕組みに移行して、デパートやスーパーの立ち位置もずいぶん苦しくなりました。それに伴い、テレビでのコマーシャルの表現や結果の求められ方がどんどん変わっています。
そんな中、大人になった僕らが直面しているのは、一種の撤退行動です。国際競争で負けちゃった部分はあきらめて、なんとか生き残るために必死でがんばっているんだと思います。今の若者たちが反抗的でないのは、生き残るために必死な大人たちに反抗しても仕方ないとおもっているからではないでしょうか?それよりも、震災や原発の事故、いろんなリアルな危険に直面して、自分を防御するので精一杯で、おっさん達とけんかしている場合ではないのかもしれません。
そんな混乱の変革期を迎えても、まだ、何をしたらいいのかわからないまま、変化を無視して昔ながらのことをやり続けている馬鹿がいっぱいいるという事実に腹が立つ事があります。 政治家は国民の生命と資産を守るという大前提を忘れて、政局を政治だとしか思っていない節がある。震災の対処に関しても、復興に関しても、人身事故じゃないかというくらい手際の悪さで事態を悪化させているとしか思えない。立ちふさがるのは「前例がない」という言葉でしょう。責任者が責任を取りたくなくてこの言葉を利用します。利害相反のなかでコミュニケーションの仲介をする。という政治能力を持つ人がいないのでしょう。
原発事故のときに繰り返された「想定外」は「前例がありませんでしたから対処できなかった事は仕方が無い事です」という意味ですね。 人が死のうとしているときに、まだそんなこと言ってんのかよ、と。
とにかく、若い頃に感じていた苛立たしさは、今も全然なくなっていないんだという事がわかります。この変革の時代、「前例がない事」だらけだと言う事を認識して、「前例がない事」に立ち向かって行く想像力と勇気が必要になるんだと、誰もが覚悟するべきだと思うのです。 その先の社会は、その先にあるのでしょう。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~
- 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
- 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
- 2000年にプロデューサーに昇格。
- 2009年 社名がリフトに変更。
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。
<主なプロデュース作品>
- AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
- 日清食品 焼きそばU.F.O
- マルコメ 料亭の味
- リーブ21 企業CM
- コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
- クレイジーケンバンドPV