「東京」をテーマに、日本の製作陣が実現させた夢の競演。映画『TOKYO!』のプロデューサーに聞く。

vol.41
吉武美知子さん
ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノという異色の3監督によるオムニバス作品『TOKYO!』が大ヒット公開中だ。(上映館も日々増加中) それぞれにディープなファンと芸術性における世界的な評価を争うような3作家の競演は、「誰もが考えはするが、実現するとは思えない」企画。それが、このプロジェクトでは実現しているのである。加えて、本年度カンヌ映画祭“ある視点”部門にも正式出品され、国際的にも熱い支持を集めたのである。 「仏=日=韓=独合作映画」とクレジットされた作品のプロデューサーは、澤田正道氏と吉武美知子氏の連名。脚本と監督を担当する3作家を日本の撮影クルーと役者陣が迎えるという、これまでにない体制でつくりあげた点でも大いに注目されている。 製作と制作の裏側に興味の尽きない作品の舞台裏を知りたいとアプローチしてみると、フランス在住の吉武美知子氏がインタビューに応えてくださった。

全世界に先駆けて、大ヒット上映中。 ★大ヒットにつき、角川シネマ新宿でも上映決定!!(08.28)

『TOKYO!』公式サイト http://tokyo-movie.jp/

『TOKYO!』公式サイト http://tokyo-movie.jp/

世界の巨匠が見た、 光と希望と影に包まれた真実の東京――

<インテリア・デザイン> ©2008『TOKYO!』

<インテリア・デザイン> ©2008『TOKYO!』

(プレス配布資料参考) TOKYO!<インテリア・デザイン> 監督・共同脚本:ミシェル・ゴンドリー 出演:藤谷文子、加瀬亮、伊藤歩 他 ●かけ出しの映画監督の恋人/アキラ(加瀬亮)とともに、上京してきたヒロコ(藤谷文子)は、高校時代の同級生/アケミ(伊藤歩)の部屋を拠点に活動を始めた。早くアケミの部屋を出なければならなく、アルバイトをし、アパート探しに奔走するヒロコだが、身勝手な言動を繰り返すアキラに心は曇る一方だった。そんなある日――。

 
<メルド> ©2008『TOKYO!』

<メルド> ©2008『TOKYO!』

TOKYO!<メルド> 監督・脚本:レオス・カラックス 出演:ドゥニ・ラヴァン 他 ●大都市の喧噪の中、突如マンホールからひとりの謎の人物が地上に現れる。赤毛の髪、長く延びたあご髭、擦り切れた緑色の服に身を包んだその姿は、どの部分をとっても異様な風貌だ。この謎の人物の出現は、各メディアでも大きなニュースとして報道され、“下水道の怪人”と称されたメルドは東京中の人々に衝撃を与えることになる――。

 
<シェイキング東京> ©2008『TOKYO!』

<シェイキング東京> ©2008『TOKYO!』

TOKYO!<シェイキング東京> 監督・脚本:ポン・ジュノ 出演:香川照之、蒼井優、竹中直人 他 ●東京のとある街に、ひとりの男(香川照之)が暮らしている。父から毎月送られてくる金、そして電話さえあれば、彼の生活は成立していた。食事を注文し、受け取る。ただひたすら、物と金を交換する日々。そんな生活に何の疑問も感じないまま、11年が過ぎようとしていたある日、ピザ配達の少女と目が合い、男の心が激しく揺れ始める――。

 

日頃から、「すばらしい映画監督だ!」と 感心している監督にのみ声をかけました。

東京をテーマにしたオムニバス。この企画の発端は?どのように成立させたのですか?

外国人、特に日本発のアニメ、漫画、ゲームで育った世代は、TOKYOという言葉に何かマジックを感じるらしい。なら、もろTOKYOを題材に外国人の視点で映画を作ってもらったらどうだろうか?というのが最初の発想。もともと日本に強い関心を持ち日本で既に映画を撮っている監督は敢えて外しました。 日本や東京に変な思い入れがない率直な視点が欲しかったからです。成立させるには、当たり前ですが資金が必要です。企画(東京を舞台に東京で撮影する東京を題材にした映画+3監督の組み合わせ)で出資者を口説きました。出資していただく方々には、出資に見合う採算が取れるのだということを納得していただかなくてはなりませんでした。

すばらしい3監督擁立に驚いています。3人の監督をセレクションした経緯は? どのようにして口説いたのでしょうか。

プロデューサーである我々が、日頃から「すばらしい映画監督だ!」と感心している監督にのみに声をかけました。「この監督が撮るTOKYOを観てみたい!」と心底思える監督に当たりました。 後は相手が、この企画に興味を持ってくれるかどうかです。興味を持たない人を深追いしても徒労に終わってしまう。幸いなことに、このすばらしい3監督は、この企画を面白がってくれて、すぐにトリートメントを書いてくれました。

「こんなことができればいいな」という意味では、過去にも多くの人が発案していたかもしれません。しかし成立させるには、多くの困難があったはず。■どんな困難を■どんな風に乗り越えたかを、お教えください。

最も困難だったのは、やはり現在の3監督に着地するまでの道のりでした。当初、興味を持って参加を約束していたのに離脱していった監督もいたので、他の監督のやる気が失われたり、出資者の心変わりがないように、彼等の心をつなぎとめるのに苦労しました。

3人とも、ただならぬ作品を撮っている監督。 そういう監督は、妥協しません。

同テーマのオムニバス作品を、世界的な名声のある3監督に撮りおろしてもらうにあたって気をつけたことは?

それぞれの監督が撮りたい作品を撮り上げられるような環境作り。至らぬところがいっぱいありましたが、我々のできる限りのことはやったつもりです。

当然ですが、現場にはさまざまな困難があったはずです。

3人とも、ただならぬ作品を撮っている監督です。そういう映画作品を撮り上げることができる監督は、妥協しません。自分の作品に対して貪欲で頑固です。だからすばらしい映画が生まれて来るのですから、こちらも腹を括って、とことん付き合わなければならない。 といっても外的物理的なリミットがあります。自分たちの持ち得る枠の中で、どこまで監督の我が儘(←良い意味での)を聞けるかの調整が大変でした。

観客からの、どんな反応を期待しますか?

純粋に、映画作品として楽しんでいただけたら嬉しいです。

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