グラレコは「自分の存在意義」を実現する手段に過ぎない―タムラカイさんが変化を恐れない理由
会議やイベントなど、多くの人が意見を交わす場の模様を、絵や図を交えて記録する「グラフィックレコーディング」(グラレコ)。2018年7月にメディアアーティストの落合陽一さんと、衆議院議員の小泉進次郎さん(現・環境大臣)が出演したイベント「平成最後の夏期講習」でもグラレコが効果的に用いられたことから、世間に広く知られるようになりました。ニコニコ生放送の同時配信で約2万人が視聴したこのイベントでグラレコを担当したのが、「グラフィックカタリスト」のタムラカイさんです。
富士通株式会社に勤務する現役社員にして、フリーランスのクリエイターとしても活動を続けるタムラさん。現在はDX(デジタルトランスフォーメーション)を通じて富士通の製品・サービスやビジネスモデル、業務プロセス、組織、企業文化などを抜本的に改革する全社プロジェクト「Fujitsu Transformation」(フジトラ)の主要メンバーでもあります。
タムラさんの活動は常に変化し続けていて、インタビューでは「最近はグラフィックカタリストと名乗っていないんです」とも。彼のクリエイティブの原点や、会社員と個人の活動をともに進化させてきた歩み、クリエイターとして掲げるご自身のパーパス(存在意義)などについてお聞きしました。
グラレコは「自身が提供できる価値の一部分」
タムラカイさんはグラフィックレコーダーではなく「グラフィックカタリスト」と名乗って活動しています。この肩書きには、どのような思いが込められているのでしょうか。
僕自身はもともと、グラレコをやりたかったわけではありませんでした。社内のさまざまな会議やイベントに参加して絵を描いているうちに、周囲から「それってグラレコと呼ぶらしいですよ」と教えてもらったくらい。
グラレコで人の役に立てると知ってからも、グラフィックレコーダーという肩書きを名乗るべきか悩みましたね。僕がやりたいのはレコーダー(記録係)ではなかったからです。
そこで見つけたのが「触媒」を意味するカタリストという言葉。それからはたくさんの人が集まる場の化学反応を生み出すカタリストとして「グラフィックカタリスト」と名乗り始めました。2016年頃のことです。
タムラさんが実際に手がけていることはグラレコの枠にはとどまらないのですね。
そう思っています。ちなみに現在はグラフィックカタリストという肩書きもほとんど使っていません。「トランスフォーメーションデザイナー」、あるいは社内では「DX Designer」とも名乗っています。
2020年夏以降は富士通の全社変革プロジェクト「フジトラ」での活動に重きを置いていて、企業風土を変えるために個人のパーパスを言葉にするプログラムを手がけたり、社員同士の対話のプログラムを作ったりと、新たなチャレンジを続けているところです。
こうした取り組みの中でもグラレコは存分に生かされていますが、それはあくまでも、僕自身が提供できる価値の一部分だと考えるようになりました。
2016年から毎年グラフィックレコーディングを担当してきた富士通フォーラム。
「富士通以外の肩書きがほしい」。ブロガーから始まった個人活動
タムラさんはどのようにしてグラレコなどの技術を身につけ、活動の幅を広げてきたのでしょうか。クリエイターとしての観点からお聞かせください。
原点には子どものころのアート体験があります。僕は父親が彫刻家、母親が陶芸家という家庭で育ちました。父は田舎で木工教室を開き、家で使う食器は母が作ったもの。そんな環境だったので、自然と絵を描くのが好きになり、いつしか「僕も芸術家になりたい」と思うようになっていったんです。
ところが、高校生になって本格的に進路を考えているときに、母から「アートはお金にならないよ」と言われて(笑)。改めて自分のやりたいことを考え、大学ではプロダクトデザインを学びました。
僕が大学時代を過ごした2000年代初頭はパソコンが普及し始め、携帯電話、今で言う“ガラケー”のメールによるテキストのやり取りが盛んになっていた時期。そうした中で僕は、ものづくりに加えてコミュニケーションにも強い興味を持つようになり、携帯電話やインターネットに関する事業を展開していた富士通を就職先として選びました。
富士通への入社後は、どんな仕事を担当していたのですか?
入社後の5年間はウェブ制作に携わりました。クライアントの意向を踏まえながら自分の持ち味を出していくにはどうすればいいのか。ウェブページのボタンの作り方一つとっても、先輩のPhotoshopのファイルを落としてきて何千倍にも拡大し、1ピクセル単位で分析するなど、デザインを突き詰めて考える経験をしました。
その後は携帯電話のUI/UX開発やスマホ事業の立ち上げに関わり、社内でスタートアップの真似事のようなこともやっていましたね。
当時のタムラさんは会社員として充実した経験を積んでいたと思います。なぜ個人としての活動を始めることにしたのでしょうか。
ある時期から「自分には富士通社員以外の肩書きがないな」と感じるようになったんです。自分自身を知ってほしいというアーティスト的な気質があったのかもしれません。
それで2009年ころにブログを始め、自分の好きなものを書いて人に伝えることにハマっていきました。いわゆるブロガーにもなったんです。
新商品や人気商品の写真を撮って紹介すればアクセスが伸び、ブログを書き続けていくことで、ある程度は人に知ってもらえるようにもなりました。
でも、いつの間にか自分のブログが「定型化している」ことに気づいて……。もともとは会社以外の自分の武器を作るつもりだったのに、「自分は同じようなことを書き続けるブロガーになりたかったんだっけ?」と悩み始めてしまったんです。
そんなときに、社外の知人から「絵を教えてほしい」と頼まれました。僕の絵を見て、「楽しそうに描いているから学んでみたい」と。そこで、絵を描くことが最大限に楽しくなるような講座を考えてやってみたんです。これがとても楽しくて、僕はそれから「ラクガキコーチ」と名乗るようになり、書籍「ラクガキノート術」も出版していただけました。こうしてグラレコの発見につながっていきます。
ラクガキノート術(エイ出版社)
ルーティン化した仕事は、意識して手放す
ブロガーからラクガキコーチ、グラフィックカタリスト、そしてトランスフォーメーションデザイナーへ。個人としてのあり方が、どんどん変化してきているのですね。
そうですね。僕は誰も見たことがないものを作るのが好きで、同じことをルーティンで続けるのにはまったく向いていない人間だと思っています。
先ほどブログで似たような話をしましたが、デザインをやっていても、同じ業界や領域を担当し続けていると自然に型ができてしまう。それに気づいた瞬間に飽きてしまう自分がいました。
グラレコも同様です。ある程度までクオリティを高めていくには自分の型を持つことも大事ですが、続けていけばいくほど、「なんだか同じことばかりやっている気がするなぁ」と感じるようになっていきました。
クリエイティブがルーティン化してしまうことに拒否反応が出る、ということでしょうか?
はい。そう感じたときには、意識してルーティン化した仕事を手放すようにしてきました。
自分自身がルーティンに陥らないために、大いに助けてもらっているのが、グラフィックカタリストのチームとして結成した「グラフィックカタリスト・ビオトープ」(以下GCB)です。
ある大手企業のダイバーシティ推進イベントをお手伝いした際には、「グラレコだけではなく社員同士の会話のファシリテーションもできます」と提案し、イベント自体を仕切る仕事を任せていただきました。僕が得意とするファシリテーションと、“グラレコが好きで好きでたまらない”GCBメンバーの価値をかけ合わせたんです。こうして新たな価値を生み出せるのも、チームでやっているからこそだと思います。
自分の強みだったものを手放すことに恐怖心はありませんか?
ありません。なぜなら僕個人のパーパスとして「みんなの創造性を活かして世界の可能性のレベルを1つあげる」を掲げており、自分が手に入れてきた強みは「仲間のパーパスを実現するための手段に過ぎない」と考えているからです。
企業は自社が大切にすべき価値観や、自社のあるべき姿、存在意義として企業理念を掲げますよね。僕は個人にもこれが必要だと考え、パーパスを掲げることの重要性を伝える活動を行っています。
背景には、会社員のほかにフリーランス活動もしてみたことによる気づきがありました。フリーランサーとして自分で設定した売上目標を達成し、それを超えても満足できず、「自分は何のためにこの仕事をやっているんだ?」と疑問に感じた瞬間があったんです。
そこから改めて、僕が実現したいこと、自分自身のパーパスを考えるようになりました。
冒頭には、富士通社内でも「個人のパーパスを明確化する」プログラムを手がけているとおっしゃっていましたね。
はい。対話を通じて個人のパーパスを言葉にしていくセッションを行っています。
子どものころから好きだったこと、ハマったもの、乗り越えてきた壁、なぜ今この仕事をやっているのか、大切にしているもの、価値観。そうしたことについて参加者同士が語り、傾聴し合います。
参加者の中には、他者からのフィードバックを受けて思わず涙する人もいるんです。「オンライン参加のセッションでこんなに心が動かされるとは思わなかった」という声もありました。そうして発見した自分のパーパスには、嘘はつけません。
参加者が自律的に自身のキャリアを考えていくために、そして自律的な人材が企業風土を変えていくために、欠かせないセッションとなりつつあります。
「何かを作れる」は、とても大きなギフトを誰かに贈れるということ
今後、タムラさんはどのような活動をしていきたいと考えていますか?
今すぐに「これをやりたい」と出てくるものはありません。僕は今後も、パーパスに向かって常に変化を続けていくのだと思います。
例えるなら、次の山を探すために山に登っているような感覚ですね。まずは目の前の山に登ってみる。そうしないと見えない風景があるはずですから。
現在の山は富士通の全社変革です。小さなチームの立ち上げに始まり、そこで考えた言葉や構想がどんどん大きくなって全社へ広がっていく様子を目の当たりにしています。これを続けていく中で、また次の山が見えてくるんでしょうね。
タムラさんのお話を伺い、「クリエイターとして」「クリエイティブの力で」ビジネスを変えていることに感銘を受けました。クリエイティブに携わっている人の中には、ビジネス領域への苦手意識を感じてしまっていたりする人も多いかもしれません。そんな方々へメッセージをいただけますか?
ビジネスをお金儲けだと捉えていると、クリエイターとしてはビビってしまうかもしれません。なぜならクリエイティブと利益を直接結びつけるのは簡単ではありませんから。
でも、もっと大きな視点で「対価を受け取って、大きな価値を届けるんだ」と捉えれば、ビジネスへの見方はまったく違うものになると思うんです。
クリエイターは根本的に強い。僕はそう思っています。少なくとも、毎回真っ白なキャンバスに向かって新しいものを生み出しているわけですからね。
何かを作れるということは、とても大きなギフトを誰かに贈れる、ということ。クリエイターとしての力はもっともっと活用できるはずなので、ビジネスの世界にも勇気を持って飛び込んでみるべきではないでしょうか。
取材時には365日着ているというお手製のドット柄Tシャツ
マスクもお揃いで作ったそう
取材日:2021年7月7日 ライター:多田慎介