慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)

vol.15
慶應義塾大学環境情報学部教授兼政策・メディア研究科委員 稲蔭 正彦さん
SFCという名称に聞き覚えはあるだろうか?慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスを、通称SFCと呼ぶ。1990年に完成した同キャンパスは、今の世の中に存在する雑多な諸問題を発見・解決していく人材を創出することを目的に「創造性の重視」と「問題発見・解決型」の学問を提供している。これまでの、日本における最高学府のあり方に問いを投げ掛けるような新しい試みの数々で、関係方面にかなり大きなインパクトを与え続けている。 そのもっとも大きなインパクトは、大学の本文とも言える人材輩出だ。これまでクリエイティブ業界に関係ある大学と言えば、~美術大学、~芸術学科と相場が決まっていたが、これからはSFCの環境情報学部や総合政策学部、大学院出身のクリエイターが増えていくだろう。特にデジタルコンテンツの分野は今後、SFC出身の人材なしでは語れなくなっていくはずだ。 そこで、今月の特集はSFC。環境情報学部で教鞭をとり、デジタルコンテンツの研究室を持つ稲蔭正彦教授が取材に応じてくれた。ちなみに今月の「戦場からIを込めて」は特集とのリンク企画として、稲蔭研究室に在籍する杉野公亮さんにご登場いただいているので併せてご一読のほどを。

<取材協力者> 稲蔭 正彦さん ~慶應義塾大学環境情報学部教授兼政策・メディア研究科委員 オベルリン大学で経済専攻、カリフォルニア芸術工芸大学大学院ビデオアート修了。MITメディアラボに在籍し、アーティストのためのCGツールを研究・開発 。現在はデジタルアーティスト、プロデューサーとしてSIGGRAPHほかで多数の作品を発表。「プロ野球ニュース」をはじめとするTV用オープニングCGなども手がける。メディア・スタジオ株式会社代表取締役および、アメリカCyberAgenzのpresident/CEO。

技術だけでも美術だけでも闘えないデジタルコンテンツの世界。 これまでの大学では育てられなかった人材を育成する場/SFC。

芸術系、工学系、そしてビジネス系までが一緒になって、デジタルコンテンツを作る。

これまでの大学というのは縦割りで、同じ大学でも学部が違うと交流がないのが当たり前でした。しかし、この、デジタルコンテンツと呼ばれるような分野では、いろんな才能の人たちが集まって協力しないと内容のあるものは作れません。 たとえばこれまでの学部割りで考えればまったく違うコースになってしまう芸術系の人と工学系の人が、それぞれの得意分野を持ち寄って力を合わせる必要がある。さらに言えば、ビジネスセンスを持った人が「どう売るか」ということを引き受けてくれるようなチームのあり様も必要になっています。そういう人たちが出会い、一緒に同じテーマを追いかけることのできる場、それがSFCなのです。

「混浴」の学習環境で、学生個々に追い求めるテーマに没頭している。

このキャンパスは、3つの学部と2つの大学院で構成されていますが、学生は好きな授業が取れます。一般のゼミにあたる研究会も、所属学部にしばられることなく好きな研究会に入れることになっています。 私はよく、このキャンパスを「混浴」と表現します。とくに環境情報学部と総合政策学部という2つの学部では、入り口が別で、卒業証書も別ですが、中は混浴。必須履修科目に少々差はありますが、入ってしまうとどちらの学生かわかりません。 学部の中には学科もコースもありません。政策・メディア研究科の大学院にはプログラムという、学科やコースよりゆるやかな枠があって、学生がそれぞれにそれぞれの分野を深堀りしています。ちなみに私の研究会(研究室)は、デジタルエンタテインメントやメディアデザインの世界にプロフェッショナルな人材を送り出すことを理念としたメディアデザインプログラムに属します。プログラムの活動では、かならず技術とアート的センス双方が求められ、同時に外に出す、つまり社会に発表することが強く意識されています。ただ作るだけでなく、マーケティングやビジネスモデルも含めた研究プロジェクトに取り組むことになります。 SFCでの研究活動、制作活動には理論的な説明が求められます。作りっぱななしでは許されません。美術的であり、工学的な開発をし、ビジネススクールのようにビジネスプランも求め、哲学科のように意味の説明も求められる。そんな他にはないカリキュラムは、このキャンパスのユニークな構成があるからこそ成立しているのです。

市販ソフトウェアは独学で学べばいい。大切なのは、今はない表現と技術をいかに生み出すか。

ここでは、市販ソフトウェアの使い方は一切教えません。独学でできることですし、バージョンが変わってしまえば古いノウハウなんて通用しませんからね。 日本のデジタルクリエイターたちは、まだ、「市販ソフトウェアでできないこと」は「できなくて仕方ないこと」と当たり前のように考えています。ですが、アメリカの特撮の会社などは、そもそも市販ソフトでできる仕事は受けません。どうやってやればいいか見当のつかない仕事しか受けない。会社の技術者たちが最先端の技術を開発して、これまでにできなかった表現をしてみせるのです。表現者の面白いアイデアがあって、それをいかに実現するかというときに、それにふさわしい技術が開発され、完成度の高い表現が生まれ、世界中の人を魅了するという流れです。世界の最先端はそうなっているということを、もう少し危機感をもって認識すべきだと思います。 たとえば以前は世界を席巻していた日本のゲーム産業も、気がつけば映像コンテンツの制作分野ではアメリカの専門会社にまったくかなわなくなっている。それが現状です。「どうやってやればいいか見当のつかない仕事しか受けない」クリエイターたちが、博士号を有する高い技術開発力とクリエイティブ力を兼ね備えた環境と仕組みを作り上げた結果、お家芸である町工場的な職人芸の世界しか持たない日本のゲームクリエイティブ界をはるか後方に置き去りにした、という図式です。

日本のクリエイティブに欠けていた、「それはどうしたら実現するのか?という予測を立て、研究する」場がSFC。

表現者のアイデアをどう生かすのか?それはどうしたら実現するのか?という予測を立て、研究することがデジタルコンテンツやメディアデザインにおける大学の役割だ、と私は思っています。作品作りだけでも、技術開発だけでもない、そういう部分を担うのがこのキャンパスです。 特に今は様々な意味で過渡期ですから、「今まではこれでよかった」が数年後には通用しなくなることは自明の理です。人の価値観が変わるとビジネスが変わる。ビジネスが変わると作品の内容も、作り方も、届け方も変わるかもしれない。変えなくてはならなくなるのかもしれない。そんな動きに対応できる人材や取り組み方を育て、組み立てることが私たちの使命なのだと考えています。 もうすでに、SFCからは、ハリウッドでアカデミー賞受賞作品に関わった会社で活動する卒業生も出ています。学生たちは在学中から積極的に自分の活動成果を発表し、就職活動も積極的です。しかもそのフィールドは、日本国内に限りません。これからも、たくさんの学生がSFCから直接海外のクリエイティブフィールドに旅立っていくでしょう。

現役クリエイターでもある教授と学生たちが、「さらに先」を形にしている研究会。

私も現役のデジタルコンテンツクリエイターの一人ですが、このキャンパスでは、学生と一緒に、会社ではできないことをやっているという感覚ですね。会社では「今よりちょっと先」の仕事を受けますが、ここでは「さらに先」をやっている。ここでの失敗が実業に生かせたりすることは、よくあります(笑)。 大学はタイムマシーンみたいなものです。ここでやっていることが明日、すぐに産業に生かされるわけではないですが、数年後には成果が出るかもしれない。そういうことへの取り組みは、大学でしかできませんからね。 たとえば杉野くん(杉野公亮さん/「戦場よりIを込めて」参照)の『ビヨンド・ザワールド』という作品は、小さいデバイスで、覗くと向こうが透けていて、いろいろなものが見えるというアイデアがとても面白い。しかし、実は、それを実現する技術はまだないのです。そのアイデアをどう実現するかが現在の研究対象で、アート系出身の彼が工学系の学生たちと一緒にその実現に取り組んでいる。半年もすれば完成するでしょうが、そうなると次はそれをどうビジネスにつなげるかが問題になる。アウトプットは玩具になるのか、エンターテインメント産業の装置となるのか、楽しみですね。

大学とクリエイティブの現場がもっと活発に交流できれば、業界の活力も増してくる。

現役クリエイターのみなさんには、できることなら「大学で研究していることなんて、自分には関係ない」とは思わないでほしいですね。たとえば、みなさん、日々のクリエイティブ活動の中で、「視野が狭いのはいけない」「新しい体験が新しい発想を生む」ということを実感していらっしゃるはずです。実は、SFCでおこなわれていることも、それと同じなのです。 ソフトウェアのバージョン情報に敏感なクリエイターや、鋭いビジネスセンスを持ったクリエイターは珍しくない。みなさんは仕事をしながらそういう部分を伸ばしたはずですが、SFCはあらかじめその訓練を受けた人材を輩出しようとしているだけと言えます。ここから巣立っていく学生たちは、決してみなさんの理解が及ばない異星人ではありません。出会ったら、仲良くしてあげてください(笑)。 むしろ、こういう機会に申し上げたいのは、いわゆる産学協同。大学で学び研究する者は、常に実際のクリエイティブの「今」を意識し、参考にし、活動しています。ですから、クリエイティブの現場にいる方々ももっと大学というものを身近に感じ、交流してもらえたら嬉しい。 欧米では、クリエイティブ関連の企業が「1年くらい鍛え直してもらってこい」と社員を大学に送り込むことは日常茶飯事です。SFCの大学院にも、そんな社会人研究生が増えてほしい。そうすれば日本のクリエイティブ業界は、もっと活性化するし、底力が上がってくると思うのです。

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