映像エンタテインメントとコンテンツファンドの蜜月時代が到来!?

vol.7
映画プロデューサー
コンテンツファンドという用語は、もうかなり一般的になっています。用語の意味としては、コンテンツを投資対象にして資金を募り、その資金を用いてコンテンツを完成させ、完成したコンテンツのあげた収益を投資家に分配することをさす場合が多い。作る側にどんなメリットがあるかといえば、少ない自己資金(場合によってはゼロでも)で大予算のコンテンツ製作を手がけられることです。 9月に封切られた松竹映画『SHINOBI』は、日本で初めて個人投資家から公募で資金を集める映画ファンドを導入したことで話題になりました。その少し前に封切りの松竹映画『阿修羅城の瞳』は、機関投資家向けの公募だったせいか『SHINOBI』ほど話題にはなりませんでしたが、こちらもファンド方式を導入していました。どうやら、日本の映画は、ファンドと緊密な関係を持ち始めたようです。そして、調べてみると、ファンドを導入し始めているのは映画だけはなかった。映画に限らず様々な映像エンタテインメントが、ファンドを利用して、これまでとは違う資金調達とコンテンツ製作を手がけ始めていることがわかりました。

<コメンテイター/映画プロデューサーM氏> 某大手映画会社在籍中に製作した映画15本。その後独立し、フリーランスの映画プロデューサーとして20本以上の映画製作を手がけるキャリア20年の実力派プロデューサー。エグゼクティブプロデューサーの経験も数多く、映画の資金調達の内情に精通した人物。

時代に即した法律の改正 ――行政の制度改革がファンド隆盛の一因。

『SHINOBI』と『阿修羅城の瞳』の、仕組みとしての大きな違いは知的財産権信託を使っているか否か。2004年11月に信託業法が改正されて、不動産などに限られていた信託投資が著作権などの知的財産権を対象にしても可能となった。話題になった『SHINOBI』は、実は、既存の匿名組合という手法によるファンド。『阿修羅城の瞳』こそが、業界で始めて知的財産権信託を導入したファンドと思われる。今後立ち上がるファンドも、知的財産権信託を使ったものが増えていくだろう。

<M氏の証言> 『SHINOBI』の意義が大きいのは、個人投資家から資金を集めた点でしょう。出資者が多くいればいるほど、管理が煩雑なので、結構大変だったんじゃないかと思います。松竹さんがこれによってうまく話題を作ったことに感心。特に私は、こういうファン作りもあるのかということに注目ですね。出資に応じた人のうちのかなりの人々は、純粋なお金儲けというより「映画作りに参加する」という意義にお金を出しているんだと思います。

法律を使う。金融機関と組む。 それがこれからの資金調達法。

特に、映画に関して言えば、これまでは「お金のある人(会社)が作る」あるいは「作る人がお金を集めて作る」のどちらかだった。ここのところ、日本映画を支えてきた製作委員会方式も、信用のある会社が映画ビジネスに実績のある会社を集めて資金とリスクを共有し、作品に関する様々な権利を分け合うといった、法律的な根拠はかなり希薄な“現場の知恵”レベルの仕組みだった。 知的財産権信託を使ってファンドを立ち上げるとはどういうことか?それは、お金集めと管理を専門の金融機関(証券会社)にお願いして映画を作るということ。金融機関と手を組むから、手持ち資金の乏しい人も、リスクを分散して億単位の製作予算を集めることができる。そこに意義があるのだ。

<M氏の話> そうですね、一番大きいのは金融機関と一緒に製作プロジェクトを運営するということでしょう。映画に限らず、これまで映像コンテンツにはそれがなかった。金融機関という専門家が介在してくれるから個人投資家や機関投資家と映画が結びつくようになった。時代の変化はそこにあると思います。 日本では、確実に、金融機関のコンテンツ投資への見方が変わってきています。最近では、銀行がコンテンツ製作にお金を貸し付けるケースが出始めました。今後は、日本とハリウッドの大きな違いが少しずつ縮まっていく気がしますね。向こうでは、映画が銀行の融資の対象として確立しているんです。

国策と言っても大げさではない、 アニメファンドの位置付け。

ファンドに関する話題は、次々に生まれている。最近発表されたのは、来年完成予定の東宝アニメ『北斗の拳』。これは、一口10万円で製作費25億円のうち5億円を集めようという本格的な公募ファンド。 アニメに関するファンド――アニメファンドは、国の期待感も大きく、最近では経済ニュースに取り上げられるケースもよく目にする。日本発で数少ない、世界市場を相手にできるコンテンツ産業を育てるために、まさに官民一体となっていると言えるだろう。 アニメファンドに関しては、日本の“国策”に刺激を受けて、ヨーロッパ諸国にも似たような動きが起こっている。慢性的な資金不足に悩むアニメ業界に、資金調達の仕組みを提供すれば世界的なコンテンツ事業が育つ――そう考えたイギリス政府がアニメファンドを設立する見通しが、この春に報じられた。さらに、それに促されるように、フランスや他のヨーロッパ諸国にも同様の動きが見え始めている。

重要なのは、「完成保証」という概念。

ファンドに限らず、金融機関と組んでコンテンツプロジェクトを進める場合、大切になるのが「完成保証」という概念だ。ところでこの企画書は、この脚本は、本当に映画やアニメとして完成するのか?という素朴な疑問。お金を出す人、お金を集める人にとってこれほど大きな心配はないはず。その心配=リスクをどう回避するのか?への回答が、完成保証だ。ハリウッドでは、この完成保証をする専門会社が数多くある。脚本、企画書などで判断し、「これが完成しなかった場合の責任は、うちが持つ」と宣言する会社が保証を与えるから銀行が融資するという構図。完成の保証に専門のプロが存在することで、毎年あれだけ多くの映画が生まれているわけだ。 日本がもっとも遅れているのはこの分野。前出の『SHINOBI』では、完成保証は松竹自身でしている。結局、信用ある会社が、会社の信用のある範囲でお金を集めたという域は出ていないということ。企画の素晴らしさにお金が集まり、成功に至る――そういう理想的なコンテンツドリームが誕生するには、まだ時間が必要なようだ。

<M氏の話> ハリウッドでは、映画企画を持ったインディペンデントのプロデューサーの多くはまず配給会社に足を運びます。ここで企画の内容を見た担当者は、それが興行的に成功しそうだと考えると「完成したら配給権を買う」という仮契約書を出す。さらにその人は、完成保証会社に足を運び、完成保証の証書を出してもらう。配給会社からの仮契約書と完成保証会社の証書が2点セットになると、銀行は100%お金を出します。そのシステムが、毎年数多くの映画を生み出します。先ほど「日本でも銀行が当然のようにお金を出す時代がくる」と言いましたが、そんな時代が到来するか否かは、やはり完成保証にかかっているでしょうね。 完成保証会社も結局金融機関みたいなものです。作品の内容ごとに非完成のリスクの大きさを換算し、それに応じて手数料を変える。そのノウハウがあるからビジネスとして成立しているんですが、そういう仕組みを構築できる専門家が、日本で育つのかどうかが問題です。

コンテンツファンドで作品を作る――は夢物語か?

映画を作りたい、アニメで作ってみたいすごい企画がある――そんな一個人が、ファンドを利用しての作品作りを夢見る。それは、非現実的なことなのだろうか?現状を分析すれば、「そんなに簡単なことではない」という答えが見えてくる。しかし、夢見る価値もないということはないと思う。少なくとも、完成保証をクリアして、相談に乗ってくれる金融機関を探すという努力さえ実れば、ファンドはできる。問題になる完成保証に絞って、応援してくれる人や企業を探す、あるいはアイデアを絞るということは無駄ではないし、突破口になるのではないだろうか?そういう一人ひとりの努力や情熱が、映画をはじめとする映像コンテンツの製作環境を少しずつ変えていくのだと思う。

<M氏の話> ファンドによる映画製作を、もっとも歓迎していないのは映画人なのかもしれません(笑)。もちろん、一部の。だって、今、映画界でやっていけている人は、ファンドなしでやってこれた人でしょ。しかも、それなりにいい思いをしたから映画界にいる。ファンドなんていうややこしい金融技術は覚えるのが面倒くさいし、覚える自信もない。 そういう人たちが、これまでみたいに、培った“顔”で「お金出してください」というお願いに応じてくれる企業郡と映画を作り続けていきたいと考えても不思議はありません。ファンドのような新しい手法を受け入れるということは、新しい競争相手を受け入れるということにもなります。“顔”がなくても映画を作れるライバルがどんどん増える。彼らは戦々恐々としているんではないでしょうか?でも、それは確実に、映画界全体にとってはいいことだと思います。

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