グラフィック2022.09.14

復興支援、地域おこしからNFTアートまでさまざまな要素とデザインを掛け合わせ、地域発クリエイティブの可能性を追求する地方クリエイター

Vol.207
一般社団法人 BRIDGE KUMAMOTO代表理事
Katsuaki Sato
佐藤 かつあき
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「ロボリーマン」

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被災地で使われていたブルーシートから作った「ブルーシードバッグ」

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「okaeri」株式会社ヤマチク

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熊本城の瓦を、被災地域などで使用された廃棄ブルーシートで包み、熊本城内にある加藤神社でご祈祷をいただいた熊本城瓦御守

2016年4月に発生した熊本地震をきっかけに誕生した、地元のクリエイターによる支援組織「BRIDGE KUMAMOTO」。被災家屋を覆ったブルーシートを素材にした「ブルーシードバッグ」や「熊本城瓦御守」などのアイテムを製造、販売し、売り上げの20%を被災地に寄付している。発起人は、熊本県上天草市在住のデザイナー、佐藤かつあき氏。長崎県の高校を卒業後、福岡や東京でデザイナーとして修行を積んだのち、2010年に夫人の出身地である熊本県上天草市に移住、地方からクリエイティブの発信を続けてきた。地域振興×デザインのパイオニア的な存在である佐藤氏にBRIDGE KUMAMOTOの活動や地方在住のデザイナーならではの仕事術などを聞いた。

デザイナーとして転機となった「ロボリーマン」

長崎から福岡、東京、そして天草と拠点を変えてこられましたが、地方で活動する構想は最初から持っていたのでしょうか。

東京で暮らしていた時から、いつかは九州に帰るだろうなとは思っていました。夫婦共働きで、子どもが1人でも大変だったので、2人目の子どもが生まれたのをきっかけに、妻の地元である天草に移住を決めました。ちょうど社会のネット環境が充実してきて、どこにいても仕事ができる状態になっていたのも理由です。

とはいえ、仕事を獲得するには東京に居たほうが有利な面はあったと思いますが。

東京ではアシスタント的な役割だったのですが、当時からどこに住んでもデザイナーとして仕事ができるようになっていたいな、とは考えていたんですね。田舎から出てきた人たちにとって東京で活躍することが共通の価値としてありましたが、僕はあえて逆を行こうかなと。
ただ、ロールモデル的な人もいなかったし、地方創生も今ほど言われていなかった時代なので、周りからは東京で上手くいかなくて帰ってきたと思われていたかもしれません。

天草に移住した後は、どうやって仕事を取っていったのですか?

最初は福岡の知り合いから、ウェブサイトのバナー制作やホームページの更新などの仕事をちょこちょこ貰っていました。ケーキ屋さんで販売のアルバイトなどもしていたんです。そうしたらある時、知り合いの保育園の園長先生から、熊本市の商店街に地元の人たちが集まって町おこしのタウンミーティングをするから来ないかと誘われました。そこで市役所の人たちや大学の先生方と知り合って、仕事をいただくようになりました。

そうした仕事の1つが、さまざまな賞を受賞した「ロボリーマン」という作品ですね。

「ロボリーマン」は、熊本大学や九州大学が共同で進めている公衆衛生に関する研究の中で、学生が考えたキャラクターでした。それをパンフレットやチラシなどに展開したいという話を、熊本大学の河村洋子先生から伺って、正式にプロモーションを頼まれたわけではないけれど、「分かりました」と返事をして、頭の部分の被り物を作って後日持っていったらびっくりされました(笑)。
着ぐるみを作るとコストが高くつくけど、被り物なら安くできるので、これを被っていろいろなイベントに出て広げていきましょうよ、と。それを自分で被って写真を撮ったりイベントに出たりしているうちに、九州アートディレクターズクラブ(九州ADC)が主催するアワードで賞をいただくことができて、ロボリーマンを起用したCMを制作することになって、全日本CM放送連盟(ACC)の地域部門賞もいただきました。
九州中のデザイナーやクリエイターの知り合いも増え、間違いなく転機になった作品ですね。

ウェブサイトなど二次元のデザインから、ロボリーマン以降は立体的な作品を作ることが増えていきましたが、難しさはなかったですか?

東京に居た時に、同じような仕事を傍から見ていたので、どうすれば作れるかというのは予算も含めて何となくイメージがついていたのですが、九州ではそもそもロボリーマンのようなものをクリエイティブで表現する概念がなかったし、表現できるとも思われていませんでした。
また、東京ではグラフィックデザイナー、アートディレクター、ライター、カメラマン等、分業が進んでいますが、九州にいるとすべて一人でこなさいといけません。ただ、そちらのほうが自分には合っているので良かったと思います。

熊本のクリエイターによる復興へのこだわり

仕事が軌道に乗った直後に熊本大地震が起きたわけですが、「BRIDGE KUMAMOTO」を立ち上げるまでの動きは非常に早かった印象です。

立ち上げたのは地震が発生して2週間後くらいのことでした。友人が設営したボランティアセンターに水を届けたりしていたのですが、泥出しや瓦礫の運搬といった肉体労働以外に、デザイナーとして何かできないかと思ったのがきっかけです。東日本大震災の際に、東京のクリエイターから支援があったということが印象に残っていたのも理由です。
東京からの支援も有難いのですが、熊本にも優秀なクリエイターがたくさんいるので、せっかくなら自分たちだけで何かできないかと。自分たちでやっていこうという思いが強かったので、急いで動きました。

そこで生まれたのが「ブルーシードバッグ」ですが、どのような経緯で誕生したのですか?

ボランティアセンターには東日本大震災で被災した方などが来てくれていて、石巻の漁師さんの大漁旗をアップサイクルしてブレスレットにしたという話を聞いたんです。災害を象徴するものを地元の人たちが違う形にして販売し、還元する取り組みは凄く良いなと思って、真似することにしました。熊本では19万世帯が被災してブルーシートが掛かった屋根がすごく多かったので、このブルーシートを象徴として使おうと思いました。傘や雨合羽などいろいろなアイデアが出る中で、老若男女誰でも使えて汎用性が高いトートバッグにしようという結論に達しました。東京に居ながら熊本を応援している人たちにも手伝ってもらって、発表会を東京で行うことが出来ました。

当初1つだったロゴも、今はいろいろなパターンがありますよね。

エニタイムフィットネス(株式会社Fast Fitness Japan)さんが熊本に出店する際にノベルティとして作らせていただいたのを皮切りに、さまざまな団体からがコラボの申し入れがありました。鳥取県中部地震が起きた際には、熊本と同じくブルーシートが沢山使われたので、鳥取マークが入ったものを作ったし、西日本豪雨の際には岡山の方からの申し入れで「BRIDGE OKAYAMA」を作ったりしました。現在、ブルーシードバッグは30種類ほどの製品があり、コラボなどを含めると販売実績は約4千個に達しています。

「唯一性」の強みをデザインで表現

一方、ご自身のデザイン事務所でも精力的に仕事をこなしていますが、これまでで印象に残った案件は?

熊本県の南関町で、竹のお箸を作っている株式会社ヤマチクさんのリブランディングを行い、「okaeri」というプライベートブランドの商品開発のお手伝いをしたことですね。ヤマチクさんは竹の箸づくり一筋で、他に何も手掛けていないのが面白いと思いました。それまでお箸の素材について考えることなどなかったのですが、樹脂製、木製、竹製とさまざまな種類があることを初めて知りました。実は竹の箸を作るメーカーは以前沢山あったけど、今はヤマチクさんぐらいしか残っていないんです。他の地方で売られている竹の箸もヤマチクさんがほぼすべて作っています。それでも、OEM生産だけだと会社が衰退する一方なので、オリジナルブランドを作りたいという話でした。

特に高級品ではない、一般的な竹の箸をブランディングするのは難しかったのでは?

ヒントになったのは、島根県海士町の「ないものはない」というキャッチコピーです。これは、「ないものはないけど、大事なものは全部ここある」というダブルミーニングなのですが、ヤマチクさんの場合も、竹の箸しか作れないということが、逆に強みになるのではないかと思いました。そのような会社は他にないので、そうしたユニークな部分、唯一性を前面に出して戦っていこうと。そこで、「竹の、箸だけ。」というキャッチコピーをまず考えました。

それをデザインとして具現化するところで、また悩みそうですよね。

以前はお箸にシールが巻いてあって「竹」と書いてあったのですが、そこに「ヤマチク」と入れて、ロゴデザインも作って、影の存在だった社名を表に出すようにしました。これは言ってみれば、お取引先様の中には快く思わないところもあったかと思います。それまでOEMがメインだったのに、社名を前面に出してプライベートブランドを作るわけですからね。でも、このままでは社会の変化についていけなくなるかもしれないし、会社も成長できない。実際、その後は社員さんの意識が変わって、今では売り上げの4割程度はプライベートブランドが占めるようになったということです。

「okaeri」は、ニューヨークADCでメリット賞を受賞しました。売り上げの割合が伸びたのは受賞が影響しているのですか?

受賞そのものが売り上げ増に繋がったというよりは、以前から東京の展示会に出展するなどして認められてきていたのが大きいと思います。ただ、ニューヨークで賞を獲ったことで、同じモノづくりの仲間たちに認められて仲良くなれることが増えました。地方を訪れると、地場の工芸品などのモノづくりを盛り上げようという気運が高まっているのを感じるし、そこで知り合うデザイナーたちから刺激を受けています。

デザインと縁のない新しい分野にも顔を出す

BRIDGE KUMAMOTOもそうですが、佐藤さんは人のつながりを大事にして仕事を生み出している印象です。

そこは意識していて、復興支援、障害福祉、地域おこし、工芸など、これまでデザインと縁のなかったところに積極的に顔を出すようにしています。先日も熊本のスタートアップや学生さんが集まるウェブ3.0のイベントに出席しました。

ただ、「仕事に繋げよう」という下心があると上手くいかない気がします(笑)。

そうですね(笑)。警戒されないように、素の自分で行くのが大事かなと。カッコつけてバレると、噂が広がるのも早いですからね。

今でこそ地域振興×デザインは注目されていますが、佐藤さんはパイオニア的な存在ですよね。

結果的にそうかもしれません。今は新型コロナの影響で地方移住が進んでいるようなので、熊本にも複数拠点を構えて働くとか、熊本に住みながら東京のIT企業で働くといった人も増えています。そういう意味では僕は行動するのが早かったかもしれません。

当初抱いていた「どこにいても仕事ができる人になる」という目標は、着実に実現できていますね。

もう少し先には海外にも行きたいと思っているので、東京よりはアジアの方を向く意識があります。韓国に仲の良いデザイナーがいますので、今後はそちらに力を入れたいと思っています。

デザインを考えるときに地域性を意識したりはしますか。

唯一性みたいな部分はデザインの売りになるところなので、その意味では地域性は大事かなと思います。ただ、海外に仕事をオファーすることで日本にない雰囲気が出せる点でいい場合もあります。たとえば韓国の仕事を手掛けたことはありませんが、韓国のデザイナーにロゴやイラストなどをオファーすることは多くなっているので、ケースバイケースですね。どちらにせよ、東京のデザインに迎合するのは良くないという話はデザイナー仲間の間でよく出ます。

将来取り組んでみたいことは?

新しいもの好きなので、NFTとデザインのかけ合わせも既に始めています。例えば、熊本地震から6年を迎えた今年の4月14日には「4.14の売り言葉」と題して、NFTアート作品をOpenSea(NFTのオンラインマーケットプレイス)で売り出しました。売れませんでしたが(笑)、新しいことは何でもやってみるという姿勢を発信することが重要かなと思っています。 また、1つの取り組みとして、場づくりはしていきたいなと思っています。BRIDGE KUMAMOTOの時もそうですが、クリエイターのコミュニティというか、ちょっとしたトークイベントが開ける場があったりすると良いのかなと思いました。田舎なら家賃も安いし、こだわりを実現した格好良い施設が作れる気がします。場所を固定させることと、どこでも働けることとの兼ね合いが難しかったりするので、悩みどころではあります。
ビジネスモデル的にスケールしにくいデザイナーの仕事と、属人的でない仕組みを上手く絡められないかと考えています。たとえば、熊本城で売っているブルーシートのお守りを作っているのは、熊本の障害者福祉施設の作業所なんです。企業や団体が持っている不要な品を上手くアップサイクルさせながら、障害のある人たちがモノ作りを手掛けるプラットフォームを、1つのビジネスモデルにしようと活動しているところです。

取材日:2022年8月1日 ライター:吉田 浩、スチール撮影:幸田 森

一般社団法人BRIDGE KUMAMOTO

  • 代表者名: 佐藤 かつあき
  • 設立年月:2016年5月
  • 事業内容:あらゆる分野のクリエイターと企業・団体・個人をつなげ、新たな協業の形を創出する。それをもって災害復興支援や地方創生、若者の雇用などの社会的課題を、創造力で問題解決することを目的とした事業を行っています。
    アップサイクル商品の開発・販売に関する事業
    デザイン・広告・映像の制作
    ウェブサイトの制作・運営
    イベントの企画・運営
    海外との交流及び貿易に関する事業
    経営コンサルティング事業
    その他上記の目的を達成するため必要な事業
  • 所在地:〒860-0004 熊本県熊本市中央区新町2-2-23
  • URL:https://bridgekumamoto.com/
  • お問い合わせ先:上記HPの「Contact」より

 

クリエイティブNEXT|無料オンライントークライブ

デザインや表現活動を通じ、復興支援を行うクリエイティブ集団「BRIDGE KUMAMOTO」を立ち上げた代表理事の佐藤かつあき氏に、被災者として、組織の代表として、クリエイターとして、文字通り「BRIDGE」に込めた社会課題とクリエイターをつなぐ活動に関してお話しいただきます。

~終了しました~

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