漫画・アニメと老舗酒蔵がコラボ! 地域活性化にも貢献する光武酒造場のクリエイティブな酒づくり

Vol.229
合資会社 光武酒造場 社長
Hiroyuki Mitsutake
光武 博之

ボトルには「お前はもう死んでいる!」の名台詞とともに、気迫あふれる表情のケンシロウが——。「北斗の拳」とコラボした焼酎シリーズは、2019年の発売以来、累計出荷本数100万本以上のヒット商品となりました。手がけるのは、佐賀県鹿島市にある老舗の酒蔵、合資会社光武酒造場。ほかにも「デビルマン」や「シティーハンター」、「孤独のグルメ」など数々のコラボ商品を展開して注目を集めています。

また、同酒造場が参加する「鹿島酒蔵ツーリズム」は、2日間の来場者数が10万人を超える一大イベントとなり、お酒による地域活性化の成功事例として話題に。鹿島市内の酒蔵が連携し、地域全体を巻き込んだ取り組みが、多くの観光客を魅了しています。

「常にクリエイティブを念頭に置き、伝統を重んじながら新しいことに挑戦したい」と語るのは、同酒造場社長の光武博之さん。コラボ商品シリーズ誕生秘話やそのこだわり、クリエイティブを活用したブランドづくりのポイントなど、詳しく伺いました。

作品の世界観を再現したコラボ商品の魅力

漫画やアニメとコラボした商品シリーズの開発をはじめたきっかけを教えてください。

2017年に仕事を通じて、デビルマンや北斗の拳の作画監督をはじめ、多くの作品に関わられてきたアニメーターの和田卓也さんと知り合ったことがきっかけです。

あるとき和田さんから、永井豪先生が当社の本格芋焼酎「魔界への誘い(いざない)」を晩酌に好んで飲んでいると聞きました。私は子どもの頃から永井先生のファンで、和田さんと「デビルマンと『魔界への誘い』は世界観が似ている」と話が盛り上がりました。

ちょうどデビルマンが連載45周年記念をむかえるタイミングだったため、何か一緒にできないかと話が進み、永井先生も快く承諾してくださってボトルの絵を描き下ろしていただいたのがスタートです。それから「はちみつ梅酒 キューティーハニー」などのコラボが広がりました。

コラボ商品の数々(画像提供:光武酒造場)

現在では、永井先生原作の作品のほかにも多くのコラボ商品を展開され、どれも人気があると伺いました。ヒット商品を生み出す秘訣は何でしょうか?

当社のコラボ商品は、単に作品が描かれたラベルを商品に貼るのではなく、キャラクターの感性や雰囲気を味やビジュアル、瓶のデザインに反映させ、どのコラボ商品も細部にまでこだわっています。

例えば、北斗の拳シリーズでは、ボトルの絵が原作者である原先生のイメージと髪の毛1本でも異なるとやり直します。味わいや見た目、すべての面で作品の世界観を徹底して再現しているのが他社との違いです。

「北斗の拳 黒王号セット」の陶器ボトルデザインの工程
(画像提供:光武酒造場)

企画にはじまり、味わい、瓶のデザインやパッケージの見せ方などを双方で話し合い、最終的には原作者の先生に確認を取ります。1回のやり取りに1カ月かかることもめずらしくなく、完成までには早くても8カ月程度を要します。
こうした時間と労力を惜しまない姿勢が評価されているのかもしれません。もちろん、あらかじめ原作の漫画は全巻読み込んで、作品の世界観はしっかり頭に入れておきます。

作品に対する愛を感じます。お酒の味わいは、どのように決定していくのですか?

まず、当社でいくつかブレンドのサンプルをつくり、その中から方向性を決めます。イメージに合ったものがなければ再度ブレンドを試み、それでも駄目ならお酒からつくり直します。例えば、シティーハンターとコラボした「XYGIN」というクラフトジンは、主要キャラクターである槇村香と冴羽獠、それぞれの個性を表現した2種類のジンをつくりました。

冴羽獠をイメージした「XYGIN BLACK GOLD」は、愛銃コルトパイソン357の硝煙の香りを表現しました。スパイシーな刺激とハードボイルドな渋さや香りをベースに考え、そこにヒッコリーの煙で風味付けしたスモークジュニパーベリーで、ウッディーかつスモーキーな風味を加えたんです。この味わいを生み出すまでには、試行錯誤の連続でしたね。

キャラクターの個性を味わいで表現するのはクリエイティブな試みですね。コラボ商品シリーズの発売後、どのような反響がありましたか?

コラボ商品シリーズは全国に流通し、光武酒造場の知名度が上がりました。業界内だけでなく、一般の方からも「面白いことをしている会社だな」と思ってもらえるようになったと感じています。

地域の魅力を発掘してブランド化する鹿島酒蔵ツーリズム

知名度といえば、光武酒造場が参加する「鹿島酒蔵ツーリズム」も来場者数10万人以上の一大イベントとなり、注目が集まっています。イベントをはじめたきっかけは何ですか?

以前から、酒蔵の前の通りで小規模なイベントを行っていましたが、転機は2011年です。鹿島市にある6つの酒蔵の一つが、世界最大規模で最高権威のワインの品評会IWCで、世界一のチャンピオン・サケに輝きました。この受賞をきっかけに、鹿島市の日本酒を世界にアピールしようという気運が高まりました。

そして2012年、春の蔵開きに合わせて鹿島市の6つの酒蔵で一緒にイベントを開催したのが、鹿島酒蔵ツーリズムのはじまりです。初回でも2日間で1万人から2万人の方々が参加してくださいました。現在は、蔵元だけでなく地域全体への活性化に寄与することを鹿島酒蔵ツーリズムの目的に掲げ、鹿島市の食や文化、歴史を国内外へ情報発信しています。

鹿島酒蔵ツーリズムの様子。酒が生まれた土地を散策しながら食や文化、歴史を楽しむ
(画像提供:光武酒造場)

日本酒のPRにとどまらず、地域活性化につなげようという発想になったのはなぜでしょうか。

それまで、鹿島市には特筆すべき特産品が少なかったのに加えて、地元でも鹿島のお酒がそれほど売れていない状況でした。しかし、初回の鹿島酒蔵ツーリズムに多くの人が集まったことで「日本酒が地域活性化の鍵になるかもしれない」と思うようになったんです。私だけでなく、鹿島市のみなさんが地元のお酒を再認識して、自慢に思う雰囲気が生まれたと感じています。

今では「鹿島市の特産品は?」と聞かれたら「お酒がおいしいんですよ」と、自信を持って言えるようになりました。市長や知事も、ほかの地域に出かける際に、自慢のお土産として鹿島のお酒を持って行くことがあると聞いています。

全国にはブランディングに苦労する酒蔵も多いと思いますが、鹿島市が成功した要因は何だとお考えですか?

佐賀県の酒造組合がまとまっているからです。商売ですから意見が合わないことも当然ありますが、それでも本当に仲が良く、普段から杜氏同士や社長同士が技術や情報を共有しています。小さな会社ばかりなので、1社だけでは外に出て行っても太刀打ちできません。

だからこそ「オール鹿島、オール佐賀」で一丸となり、「佐賀酒」というブランドの構築を目指しました。こうした連携が、関東や関西、さらには国外進出といった成功への鍵だと考えています。また、ワインのボルドーやブルゴーニュのように、鹿島のお酒も地域全体でブランドをつくり上げていこうとしています。みんなが共通の目標に向かって進んでいるというわけです。

さらに、やりがいを感じることも大切です。チャレンジはリスクを伴いますが、成功を確信しつつ、周囲を巻き込んでプロモーションを行い、成功へ導く雰囲気を醸成する。当社の社員には、日頃からそのようなマインドを持つように人材教育を行っています。

伝統と革新が共存する光武酒造場の強み

目標を達成するために必要な考え方や行動ができる。それが光武酒造場の強みでもあるのですね。

そうですね。当社の強みは、時流を捉えながらチャレンジを継続できることです。創業は1688年で、今年で336年目です。私は14代目で、21歳のときに父が急逝し、すぐに家業を継ぎました。当時は「金波」という日本酒の銘柄しかなく、売り上げが落ち込んでいました。そこでまずは市場調査を行い、金波の強みと弱みを分析し、その弱みを補える新しいブランドを立ち上げました。

鹿島市は日本で最も甘口の日本酒をつくる地域で、そのなかでも金波は辛口とされていましたが、地域外では甘い酒といわれました。つまり、地元と県外、さらには当社自身の評価が一致していなかったんです。そこが一致しないとブランドの売り出しは成功しません。

新たなブランド「光武」では、少し甘みがありつつもキレがある「芳醇旨口」を目指しました。伝統を重んじながらも新しいことに挑戦する姿勢は、この頃から育ったのだと思います。

光武酒造場外観(画像提供:光武酒造場)

もとの文化を生かしながら、時流に合わせた味を探していったのですね。焼酎づくりは、どういったきっかけではじめられたのですか?

30年ほど前、日本酒の消費量が減少し続けるなか、日本酒だけでは生き残っていけないという危機感がありました。佐賀県鹿島市の小さなマーケットだけでは限界があったんですね。そこで、第二の柱として注目したのが、焼酎です。

焼酎には蒸留酒としての魅力があり、新たな顧客層を取り込む可能性があります。当時、ちょうど懇意にしていた地元の焼酎メーカーから事業を継承できたため、1994年に焼酎製造をはじめました。

日本酒の酒蔵が焼酎づくりをはじめることに対して、社内で反発などは起きなかったのでしょうか。

私のなかではもう決めていたことなので、焼酎事業の必要性を1年かけて社員に訴え続けました。会議の中でその必要性を何度も議論し、社員全員に理解してもらうよう努めました。やるからには、プロモーションも重要です。当時はまだ、焼酎の鑑評会が国内になかったため、海外の品評会モンドセレクションに焼酎「魔界への誘い」を出品し、狙い通り金賞を受賞できました。

すると、その1年後に大手総合酒類メーカーのビールが「モンドセレクション金賞受賞!」とテレビで大々的に宣伝されはじめてね。おかげでモンドセレクションの知名度がさらに広まり、当社の焼酎も注目を集めることになったんです。

新市場開拓のためのクリエイティブ戦略

ツーリズムにせよモンドセレクションにせよ、すばらしい先見の明をお持ちだと感じます。

運がいいだけですよ。でも情報のアンテナは、日常的に張っています。本も読みますし、情報番組も見ます。24時間、寝ても覚めても仕事のことを考えていますね。私は音楽やギターが趣味ですが、仕事も趣味だと思っています。お酒は音楽とも相性が良く、飲みながらお客様の開拓もできますから、飲むのも仕事の一部です(笑)。

老舗の酒蔵という立場から見て、クリエイティブの意義をどうお考えですか?

私たちは常にクリエイティブを念頭に置いています。クリエイティブで大切なのは「楽しくできること、そしてブルーオーシャンであること」だと考えます。ほかと同じお酒をつくっていたら、最終的に価格競争に陥るだけなので、オリジナリティーを発揮して新しい市場を開拓することが重要です。

進化し続けるためには、現状を踏まえて時流をとらえていかなければなりません。私たちだけで創造できないことがあれば、クリエイターの方の力が必要ですから、その存在は欠かせないと思っています。

コラボ商品では多くのクリエイターと共同作業をされると思います。お仕事の際に気を付けていることは何ですか?

クリエイターのプライドを傷つけないことは必要です。しかし、お互いに言いたいことを言えない状況にはしないよう、心がけています。ですので、最初に「お互いのプライドは尊重しつつも、駄目なものは駄目だと遠慮せずに言いましょう」と伝えるようにしています。
また、仕事のクオリティーに妥協しないことも大切です。以前、急いで商品化した焼酎が思うように売れなかった経験があります。もちろん手を抜いたつもりはありませんが、知らず知らずのうちに確実に仕上がっていない状況で出してしまったのでしょう。妥協して満足しない商品は、やはりうまくいきませんね。

最後に、今後の事業展開や新しく挑戦したいことを教えてください。

現在、三本柱をしっかりと確立しようとしています。第一の柱は日本酒、第二の柱は焼酎、そして第三の柱としてクラフトジンに力を入れています。2024年からは本格的にジャパニーズクラフトジンのブランドを確立し、日本国内外に売り出していきたいと考えています。

2023年に国産スピリッツの規制が緩和され、蒸留したジンをオーク樽で長期貯蔵し色を付けることが可能になりました。そこで当社のオリジナリティーとして、日本酒をベースにしたジンをつくり「ジャパニーズクラフト“酒”ジン」を展開していきます。

また、原点回帰として日本酒ブランド「金波」と「光武」をさらに強化し、日本全国に広めていくことにも注力しています。伝統を重んじつつ、これからも新しい挑戦を続けて成長していきたいですね。

取材日:2024年5月15日 ライター・スチール:小泉 真治

合資会社 光武酒造場

  • 代表者名:光武 博之
  • 創業:元禄元年(1688年)
  • 会社設立:元禄元年(1688年)
  • 事業内容:清酒・焼酎・リキュール・発酵食品の製造・販売
  • 所在地:〒849-1322 佐賀県鹿島市浜町乙2421
  • URL:https://www.kinpa.jp
  • お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より

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