ネオンに宿る情熱と技術、日本に数少ないネオン職人が生み出す唯一無二の世界
かつて街の象徴だったネオンサイン。LED全盛の今では希少な存在となり、職人の数も減少しているといいます。しかし近年、アートやエンターテインメント界で、ネオンアートが新たな注目を集めています。
横浜・新山下に工房を構える「スマイルネオン」代表の高橋秀信さんもまた、ネオンサインの世界で挑戦を続ける職人のひとりです。企業から個人の受注まで、数多くの作品を手がける高橋さん。機械化ができないため、すべてが手作業で生まれるネオン管の光には「独特の温もりと味わいがある」と語ります。時代の波を超え、次世代へと受け継がれるネオンの魅力と可能性に迫ります。
ニューヨークの衝撃から始まった、ネオン職人への道
ネオンサインの職人を志したきっかけを教えてください。
横浜が地元で、本牧(※)に足を運ぶ機会が多く、アメリカ文化に触れる中でネオンにも自然と惹かれるものがありました。1989年に初めてニューヨークを訪れたときは、街中のネオンサインに衝撃を受けました。光るガラスの美しさと独特の色味に心を奪われたんです。
看板制作会社で働いているとき、ネオンサインにも触れる機会があり、職人を目指したいと思いました。同僚に相談したところ、地元のネオンサイン制作会社を紹介され、その親方のもとで修行が始まりました。当時はパチンコ店やホテルのネオンサインの仕事が多く、とても忙しい日々でした。最初の1年間の月給は10万円。でも、毎日ネオンのガラスに触れられることが楽しくて、全然苦になりませんでしたね。
※本牧:神奈川県横浜市中区南東部の地域名。1982年まで米軍基地があったことから、街にはアメリカ文化を感じさせるお店が並ぶ。
修業はどのような作業から始まるのですか?
ネオンサインの制作工程は、まずガラスのネオン管を曲げる作業から始まり、曲げた管に電極を取り付け、内部を真空にしてガスを注入する作業を経て、ようやく完成します。私は最初、電極付けの工程をひたすら任されていました。ガラスをバーナーで溶かし電極を取り付ける、単純ですが重要な作業です。
ネオン管を曲げる作業を任されるようになったのは7年後。親方が口癖のように言っていた「ネオンはセンス」という教えが身に染みてわかるようになったのも、その頃です。同じネオン管を曲げても、職人によって仕上がりが微妙に違います。その差がセンスの部分なんだと実感しています。
ネオン管の両端に取り付けられる電極
12年間の修業を経て、2000年にスマイルネオンを立ち上げたと伺いました。当初から順調でしたか?
いやいや。最初は仕事なんてほとんどありませんよ。でも、親方が横浜の仕事を紹介してくれてね。その親方の優しさや信頼のおかげで、少しずつ横浜での仕事をもらえるようになりました。本当は看板製作会社などに営業をかけるべきだったかもしれませんが、結局やらなかったですね。当時の自分は「何とかなる」という気持ちが強かったんだと思います。
それに、自分の仕事を無理に安売りしたくないという思いもあってね。街に取り付けた自分のネオンを見た人が「この職人に頼みたい」と思ってくれることを信じていました。実際、その積み重ねで今日まで続けてこられたと思います。
これまでの印象的なお仕事やご自身の作品について、お聞かせください。
すべての仕事に自分の魂を込めているので、大きい小さいに関係なく、どの作品にも思い入れがありますし、みんな大好きですね。

でも、特に思い出深いのはホテルニューグランドのネオンサインです。地元横浜の歴史的な場所で、自分の仕事が「横浜といえば」と言われるほどの存在になったことが、職人として誇りです。
本物の温もりが生む感動、ネオンサインの魅力
ネオンサインの魅力はどこにあるとお考えでしょうか。
ネオンサインには“温もり”があります。独特の色味と柔らかな光が目に優しく、空間を自然に包み込んでくれるんです。今はLEDでつくられたフェイクネオンもありますけど、目に刺さるような強い光がどうもね…。その点、本物のネオン管の明かりは柔らかくて、温かみがあるのがいいですね。
それに、ネオンサインは空間の雰囲気や建物の外観に見事に調和して、点灯するだけでその場所が完成される感じがします。工事の最後に点灯するとき、お客様が「うわあ!」と感動してくださる。その喜びの瞬間を見るのが、やっぱりこの仕事の醍醐味ですね。
制作において特に難しい部分はどこですか?
簡単なものはひとつもないんですけど、漢字のような細かいデザインは特に難しいですね。ネオン管の太さには限りがあるので、曲げる際にも最小サイズが決まっています。漢字の場合、一辺10cm以上のサイズでないと厳しいですね。一方で、アルファベットは比較的つくりやすいです。
高橋さんの作品を拝見すると細かい部分も多く、こだわりが感じられます。まさに腕の見せ所だと思いますが、色はどのように表現するのでしょうか?
ネオン管の内側には蛍光体のパウダーが塗られていて、それによって白やグリーンなど、基本的な色が決まります。そこに加わるのが封入するガスの種類。青いガス(アルゴンガス)と赤いガス(ネオンガス)の組み合わせで色を表現します。この組み合わせで約30色が作れますね。以前はもっとたくさんの色を表現できましたが、廃盤になった色も少なくありません。
「この場所にはこの色がいい」などアドバイスをすることもあるのでしょうか。
もちろんです。制作にあたっては、まずはお店が飲食店なのかアパレルなのか、どういった雰囲気や用途なのかといった情報から考え始めます。取り付け場所の図面やデザイン画をいただいて、お話をしながら進めていきます。必ず実物の色見本を見てもらって、イメージしている色と相違がないか確認することも大事です。
また、例えば飲食店で料理の真上にネオンサインがあると、料理の色が変わってしまいますよね。そういった点も事前にヒアリングして制作に反映させます。「黄色でお願いします」と言われても、こちらから「この電球色のほうが温かみがあって良いですよ」と提案することも。せっかく手がけるなら、妥協せずお互いが納得できるネオンサインをつくりたいんです。そのためには相互コミュニケーションが欠かせません。
つまり、ネオンサインのデザインや色をお客様と相談しながら決める段階から、もう制作は始まっているんです。お客様と一緒に考えながらつくり上げるプロセスを大切にすることで、ネオンサインが点灯したときの感動もより大きなものになりますから。
記憶や経験がセンスを育てる、ネオン制作に必要な視点
一緒につくり上げるというのも、大切な価値の一つですね。ところで、ネオンサインに特有の書体というのはありますか?
特定のネオンサイン専用書体というものはありません。どんな書体でも表現できます。ただ、ネオン管はガラスを曲げてできているので、どちらかといえば、丸みのあるゴシック体の方が角ばったものより表現しやすいですね。また、アルファベットの筆記体は、既存のフォントではあまり格好良く見えない場合もあります。手書きでデザインされた文字の方が個性が引き立ち、ネオンサインの温もりにマッチする気がします。
とはいえ、実際は、お客様がすでにお持ちのロゴやデザインを元に制作することが多いです。会社ロゴなどは、ネオンサインにすることを前提にデザインされているわけではないですからね。元々あったロゴやデザインに合わせて、硬い印象のものも、柔らかい雰囲気のものもつくれます。
ですので、最終的にはデザイナーのセンスによるところも大きいかな。ネオンサインの魅力を理解しているデザイナーが手がければ、その良さが最大限に表現されるのではないでしょうか。
高橋さんの作品
デザイナー側にもセンスが求められるとのことですが、ネオンサインの制作に必要なセンスとはどのようなものなのでしょうか?
やっぱり「ネオンを知る」ことですね。どれだけ多くのネオンサインを見てきたかが大事です。「あそこのあのネオンサインが格好良かったな」「海外で見たあの雰囲気が好きだったな」といった記憶や経験がセンスにつながります。もちろん、ネオンサインに直接関係なくても、このフォントを使いたいという強い思いがあれば、それがその人なりのセンスになると思います。
建物とのバランスやサイズ感もセンスが問われる部分です。もし迷うことがあれば、ぜひ気軽に声をかけてほしいですね。何より大切なのは、コミュニケーションです。メールだけのやり取りではどうしても伝わらない部分がありますし、実際にその人と話をして初めてわかることも多いです。
いい作品づくりには、クライアントや制作チームとの意思疎通が大切なのですね。
ネオンというのは本当に正直なものです。ガラスをバーナーで炙って曲げるだけの作業といえばそうですが、集中していないとすぐに割れてしまいます。例えば「このお店のために、最高のネオンサインを作りたい」という思いで取り組むと良いものができますが、逆に少しでも邪念が入ると、ミスが出たりガラスが割れたりする。
ネオン管は同じように曲げていても、そこに込めた思いが仕上がりに反映される気がします。だからこそ、お客様としっかりコミュニケーションを取った上で、集中して一つひとつ丁寧に作り上げることが大事なんです。
昭和から令和へ、変わるネオンサインの需要と可能性
ネオンサイン業界の現状について、全国的に職人が減少していると聞きますが、実情を教えてください。
以前は全国に百数十人ほどの職人がいたと言われていましたが、現在は50人ほどしかいないとも聞きます。新たに入ってきた若い世代が、まだ職人として十分に育ちきっていない過渡期のタイミングであるのも大きな原因でしょう。年配の職人さんが引退される中で、その技術を継いで独立していく人が増えれば良いのですが、そのバランスが難しいところです。
昭和の頃のようなネオンサインの仕事が減少した一方で、ブランド店のウィンドウディスプレイや映画のセット制作といった新たな案件もいただくようになりました。時代によって需要は変わりますが、ネオンサインはなくなるものではないと思っています。いずれにせよ、自分にできるところまではやり続けるしかないですね。この仕事にはそれだけの魅力もあるので。
近年では、ネオンアートも注目を集めています。それに伴い、職人を目指す若い方々も増えてきているのでしょうか。
増えていると感じます。実際、私のところにも「ネオンをやりたい」という問い合わせがたくさんあります。ただ、職人としてきちんとした技術がなければ、アートもできません。そこを理解している人は少ないかもしれませんね。
ネオンサイン制作は特殊な部分もあって、単につくれるだけでは商品として成立しません。耐久性や仕上がりの精度など、見た目だけでなくトータルでのクオリティーが必要です。お客様の個性もさまざまです。格好良さに憧れて始めたとしても、それだけでは続かない世界なんです。
そんな中で、一人特別な若者がいました。18歳くらいで私のところに来て「ネオンの職人になりたい」と真剣に話してくれたんです。その目が本当にキラキラしていて、まるで昔の自分を見ているような気がしました。
私はいつも、ネオンサインをやりたいという若者には、まず海外のスクールで基礎を学んでから戻ってくるようにとアドバイスしています。彼はそれをしっかりと実行に移し、今はロサンゼルスで学んでいます。渡米前に電気工事士の資格も取り「会社を辞めて、ネオン一筋でやっていきます」と聞いたときには、本気なんだなと確信しました。口だけではなく、行動を伴う姿勢には感心させられます。
彼が帰国したら、今度は私が全ての技術を教えて、一人前の職人に育てたいと思っています。私もいい歳ですし、いつまで続けられるかわからないのでね(笑)。これからは次世代を育てていくことも、自分の使命だと感じています。
「死ぬまで曲げの勉強」スマイルネオンの新たな挑戦
今後の展望について教えてください。
まずは、いただいたお仕事を一つ一つ丁寧に仕上げること、そして若い世代の育成に力を入れたいです。同時に、商業サインだけでなく、アート分野にももっと挑戦していきたいですね。部屋にインテリアとしてネオンサインが一つあるだけで、空間の雰囲気ががらりと変わります。ネオンサインを眺めながら飲むなんて、素敵じゃないですか。そんな空間を作るお手伝いをしていきたいです。
職人である一方で、アーティストとしても活躍の幅を広げていきたいと。
そうですね。ただ、私はあくまでも自分を「職人」だと思っています。アーティストというのは、自分から名乗るものじゃなく、人から「あの人はアーティストだ」と言われるものだと思うんです。自分から「アーティストです」なんて言うのは、ちょっと軽く感じてしまって。
若い子が簡単にアーティストを自称するのを見ると、「職人としての基礎ができてからだろう!」と思うこともあります(笑)。アーティストという肩書きは誰でも名乗れますが、本当の意味でそう呼ばれるには、人に認められる何かが必要なんだと思いますね。
最後に、クリエイターの方々へメッセージをお願いします。
やりたいことがあるなら、まずはトライしてみるべきだと思います。何かに挑戦したいという気持ちがあるなら、やってみた方がいいですよ。成功や失敗という結果よりも、それをどう良くしていくかが大事だと思います。特にデザインやクリエイティブに関わる人は、自分のイメージや信念をブレずに持ち続けることが重要ですね。結局、それがチャレンジにつながるんだと思います。
高橋さんご自身もチャレンジを続けていくお考えですか?
もちろんです。長くこの仕事をしていますが、完璧なんてないですから。ネオン管のちょっとした曲げの甘さとか、一般の人でも気づくことがありますし、そこを突き詰めるのが一生の課題だと思っています。死ぬまで「曲げの勉強」ですね。
取材日:2024年12月4日 ライター・スチール:小泉真治
スマイルネオン
- 代表者:高橋秀信
- 設立:2000年10月
- 所在地:〒231-0801 神奈川県横浜市中区新山下1-2-1 丸善ビル3F
- 営業内容:オリジナルネオンサイン製作、ネオン看板、デザイン、施工、メンテナンス、各種看板製作他
- URL:https://www.smileneon.com
- Instagram:https://www.instagram.com/smileneon/